第10話 奇跡の瞬間




 夜崎くん、おはよーっ。


 いつまで寝てるの? ほら起きないと音楽の授業に遅れちゃうよ。


 シャーペンの芯ないの? 良かったら私の使う?


 それじゃ夜崎くん、また明日ね。




 彼女はクラスで浮いた陰キャぼっちの僕に対して、いつも気さくに話し掛けてくれる。


 それが、姫宮ひめみや 有栖ありすだ。


 学園三大美少女の一人に挙げられるほどの清楚で可愛らしい美少女なのに一切鼻にかけない。

 打算的じゃなく、本当に優しくていい子なんだと思った。


 だから憧れたんだ。

 そして、好きになった。


 でも姫宮さんには彼氏がいた。

 僕なんかと違い、学年カースト一位ともてはやされる男。

 クラスでの人気者の彼氏。


 周囲からベストカップルと言われるだけあり絵になっていた。

 あまりにもお似合いすぎて嫉妬することもできなかった。

 比較するだけ自分が惨めになるとさえ思った。


 ならば遠くで眺めていよう――。


 憧れの……片想いのままでいよう。

 姫宮さんの輝かしい世界に、僕なんかが踏み込んじゃいけない。


 そう思って距離を置くようにしていた。


 姫宮さんには幸せになってほしい。


 生きてほしい。


 ただそう願っていた。


 筈なのに……。




「う、ぁあがぁ!」


 黄色い肌の感染者オーガと化した姫宮さんは両腕を伸ばし、僕の両肩に掴みかかる。


 華奢な女子とは思えない物凄い力。

 新体操部のエースだったけど異常すぎる。

 きっと感染したことで潜在能力の制御リミッターが外れた状態なんだ。 


 確か感染者オーガは黄色い肌から時間を置くことで、青い肌に変化すると聞く。


 今の姫宮さんは黄色い肌――つまり感染してから『初期症状』の状態なのか。


 当然、オーガ用のワクチンは開発されていない。

 されていたら、世界中がこんな事態になってはいない。


 どの道、僕に彼女を元に戻してあげる術はない――!


「姫宮さん! 僕だよ、夜崎だよぉ!!」


 僕は呼び掛けるも、姫宮さんの反応は変わらない。

 あの青い感染者オーガ達と同様に、大口を開けて噛みつこうとする。



 ドッ。



 押さえつける力に耐えきれず、二人は地面に共倒れになった。

 姫宮さんは僕に覆い被さり、顔を近づけてくる。


 僕は――



 チャッキ



 制服のポケットから『小型拳銃コンパクトガン』を抜き、彼女の胸元に銃口を押し当てた。


 S&W.M&Pシールド。竜史郎さんからもらった護身用の拳銃ハンドガン


 でも胸じゃ駄目だ。


 頭だ。頭を撃ち抜かないと……。


 僕は片腕で彼女を押さえつけ、銃口をずらし額へと向けた。


「ぁあぁぁあがぁぁぁ!!!」


 姫宮さんは唾液を撒き散らし、僕の血と肉を求めている。


 もう、あの可憐で優しかった彼女はいない。


 人を食らう、ただの人喰鬼オーガだ。


 このまま誰かを襲うくらいなら……。



 ――いっそ、僕の手で終わらせる。



 きっと姫宮さんだってそう望んでいる筈。


 無理矢理でもそう思い込む。


 引金トリガーに指を添える。


 後は指を引けば、それで一瞬で決着がつく。


 ぐっと、指に力を入れかけた。


 その時、


「ぁあぐっ……は早く、こ、殺して……お腹が空いて……苦しい」


 姫宮さんは真っ黒な瞳から大粒の涙を流して訴えてきた。

 僕に掴み掛かる力は緩めることはなかったが、黄色い皮膚の初期症状では多少の自我は残っているようだ。


 その言葉を聞いて決意が鈍ってしまう。


 拳銃が震え、指先に力が入らない。


「う、ううう……うぐっ、姫宮さん……姫宮さん」


 気がつけば僕は泣いていた。


 涙いっぱいで視界がぼやけ、感染者オーガである彼女が同時の姿に見えてしまう。


 ――ずっと憧れていた、姫宮 有栖。


 あまりにも尊くて眩しすぎる存在に近づくことができなかった女の子。


 だけど今、こうして僕を求めている。

 切なくて苦しくて悲しくて……。


 ――でも嬉しい。


 ようやく近づくことができたんだ。


 こんな至近距離まで……。




「――いいよ、姫宮さん」



 僕の言葉に、姫宮さんの動きがピタッと止まる。


「姫宮さんになら……僕、食べられてもいいから」


 言いながら銃口を下ろし、そのまま彼女を抱きしめた。


「ぅあぁぁがぁあぁ!」


 姫宮さんはお預けを許可された猛犬のように勢いよく、僕の首筋に歯を突き立てて噛みついてきた。


 痛い――!


 肉が裂かれ血が溢れているのがわかる。


 このまま死んでしまうのか、それとも感染者オーガとなり彼女と一緒に人肉を求めて彷徨うのか。


 そうなる前に殺されたい。

 竜史郎さんと香那恵さんなら変貌した僕を躊躇なく撃ち殺してくれるだろう。


 ごめんよ、母さん。


 美玖。


 探してあげられなくて……。


 僕は人生を……生きるのを諦めた。



 ――少年。



『生き延びたいなら戦うしかないんだよ。命が燃え尽きるまでな』


『希望は糧になり可能性を生むことを忘れるな』


 ふと脳裏に竜史郎さんの言葉が浮かぶ。



 無理です。



 だって僕、もう全て諦めて姫宮さんを受け入れてしまいましたから。


『弥之、お前には期待しているよ。必ず『救世主』として成し遂げてくれることを――』


 今度は謎のアラサー男だ。


 あいつは一体何者なんだ?

 それに『救世主』って、どういう意味なんだ?


 走馬灯の如く、僕の思考が目まぐるしく回っていく。


 人間、死期を迎えると色々な雑念が過ってしまうのか。


 どちらにせよ、もう遅い。


 遅すぎるんだ。



 ………………――――。



 あれ?



 姫宮さん。


 一回噛んだだけで、どうして何もしてこないんだ?


「……姫宮さん?」


 僕はチラッと彼女の様子を確認して見る。


 すると、


「うぅうぁあがぁぁぁぁあぁぁ!!!」


 姫宮さんは顔を上げ、喉元を押さえて苦しみ出した。


 僕から離れると、地面に転がり蹲る。


「姫宮さん!?」


 首筋の痛みを忘れ、僕は彼女に近づき寄り添う。


 姫宮さんは苦しそうに嘔吐を繰り返しているようだ。


 はっ! まさか!?


 僕、美味しくありませんでしたか!?

 あまりの不味さにお口に合いませんでした!?


 つーか、陰キャぼっちだと肉と血が不味いのか!?


 え、ええーっ!?


 マジか!? 


 僕って感染者オーガにまでハブられるのかよ!?


 嫌だぁ、何この展開……。


 せっかく覚悟を決めたのに……これじゃ噛まれ損じゃないか。



 そんな自虐に浸っている中、




「う、ううう…………くん」



 また姫宮さんの様子が一変する。

 さっきまでの呻り声が消失し、聞き覚えのある優し気のある響き。


「姫宮さん、大丈夫!?」


 僕の呼びかけに、彼女は顔を上げて振り向いた。


「うん、夜崎くん……もう大丈夫みたい」


 信じられない。


 皮膚の色が血色のいい肌に戻り、瞳孔も以前のように綺麗な黒瞳だった。

 柔らかく微笑む笑顔。


 僕が憧れていたままの姫宮さんだった。


「あ、ああ……戻った。姫宮さんが戻った……あ、あぁぁぁ!!!」


「夜崎くん?」


「良かったぁ! 本当に良かったよぉ!! 姫宮さん、うわぁぁぁ……!!!」


 感極まって思わず彼女を抱きしめてしまう。

 姫宮さんは嫌がることなく、寧ろ優しく僕の背中に両腕を回してくれた。


「ありがとう……夜崎くん。キミの声、届いたよ……」


 つぅと温かい雫が僕の頬に触れる。


 姫宮さんが流した涙。


 それは、僕にとって紛れもない。



 最高の奇跡が起こった瞬間だった。






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