第5話 黒い男




 僕の視界いっぱいに迫る、青い肌をした男の顔と口、そして前歯。


 思わぬ恐怖と焦りで心臓が狂ったかのように跳ね上がる。



 ――ドゥォン!



 両耳に重くねじり込む轟音と共に、青い男の後頭部は破裂して血飛沫と共に散開した。


 男が掴んでいた力が消失し、そのままぐったりと僕に覆い被さる形で動かなくなる。


 びしゃっと、僕の顔に返り血が降りかかる。


「ひぃぃぃ――!」


 グロさに思わず悲鳴を上げ、男を払いのけた。


 青い男はぐったりしたまま倒れて動かない。

 後頭部が完全に破壊されている。


 今の重い音は紛れもなく――銃声だ。


「少年、どこも噛まれてないか?」


 開けられた扉の向こう側から男の声が聞こえた。


 視界を向けると、廊下からひょろりと背の高い人影が歩いてくる。


 いや、影というよりも全身が黒一色の服で着こなした男。

 革ジャンにアーミーパンツ、底の厚い軍用靴コンバットブーツといった動きやすい格好だ。

 深々と黒色のスキャット(風船帽)を被り、無造作に後ろ黒髪が跳ね上がっている。


 こちらへと近づく黒ずくめの男。

 その両腕には自動小銃アサルトライフルの『Ⅿ16』が握られているのがわかった。


 ――あれは実物なのか?


 FPSのゲーム以外で見たのは初めてだ……いや日本で実物を見る機会なんてないだろう。


 黒ずくめの男は開かれた扉を通り、機敏な動きで銃口を向けながら部屋中を見渡している。


「ひぃ、人殺し!」


 僕は座り込んだまま後ろへ下がっていく。

 目の前で起きた惨状とライフルを持った男にびびってしまい、すっかり腰が抜けて立てないでいる。


 だが男は動じることもなく、帽子の奥に隠れている眼光が僕の姿を捉えた。


「この部屋にいたのは少年だけか?」


 黒ずくめの男が問いかけてくる。

 

「え? は、はい……」


 思わず、僕は素直に答えてしまった。

 

 しかし不思議だ。

 声を掛けられた途端、恐怖が薄れていく。


 この男は間違いなく、人を撃ち殺しているにもかかわらず。


 その低くめで凛とした声の響きで、どこか安心感を抱いてしまう。

 なんていうか声優のような「イケボ」だ。


「どうした、立てないのか? それとも、そいつに噛まれたか?」


「い、いえ……噛まれる寸前でこんな感じなって、腰を抜かしたというか……思うように立てないというか」


「そうか、手を貸そう」


 言いながら、黒づくめの男はすっと手を差し伸べる。


 僕は恐る恐る腕を伸ばすと、男はぐいっと手首を引っ張りあっさり立つ事ができた。

 古武道のような体術だろうか。

 力というより、テコの原理のようなふんわりとした感覚だった。


「ありがとう……ございます」


 僕は顔を上げ、背の高い男の素顔を見据える。


 まだ若く、きっと20代後半くらいだと思った。

 スキャットの下から鋭い双眸を覗かせており、よく見ると左目の下に横線状の古傷がある。

 精悍で整った顔立ち、声と同様にイケメンだと思った。


 黒ずくめの男は、すぐ僕から視線を外して再び辺りを見渡している。


「少年はどうしてここにいる? ここはどういう部屋なんだ?」


「……わかりません。目が覚めたらここにいて……ここは笠間病院なんですか?」


「ああ、そうだ。既に閉鎖された地下室だ……てっきり『人』なんていないと思って潜入したんだが。悲鳴が聞こたんで駆け付けたら、少年がその男に襲われていたってところだ」


「人がいない? どういう意味です? あんたやっぱり、その『Ⅿ16』で人の頭を……人間を撃ち殺したんですよね!?」


 僕は厳しい口調で問い質すと、男は銃口の先で床に倒れている青い男を突っついた。


「人間を撃ち殺したね……こいつはもう人間じゃない。ウイルスに感染して人を食い殺すバケモノだ」


「人を食い殺すバケモノ? 確かに常軌を逸していたとういか、普通じゃなかったけど……でも、どうして」


「なんだ少年、知らないのか?」


「え?」


「一ヶ月前くらいから日本でも例のウイルスが蔓延し、今じゃ各地の至る場所でこんなバケモノで溢れ返っているらしい……まさにパンデミック、俗に言う生物災害バイオハザードってやつだ。おかげで国家としての機能も麻痺しつつあるようだ。まぁ、日本だけに至る話じゃないけどな」


 マジかよ……もろ終末世界アポカリプスみたいな話じゃないか。

 突拍子も無さすぎて、とても信じられない話だ。


 だが現に僕は青い男に襲われ、目の前にいるライフルを持った男に助けられている。


 そこは紛れもない現実なんだ。


 けど、あれ? 待てよ?


「一ヶ月前だって!? 例のウイルスってまさか……ニュースでやっていた原因不明の――」


 僕が詰まらせた言葉に、男は軽く頷いた。


「ああ。色々な説が挙げられているが、前と同様『とある国』が発症に違いない。おかげで俺がいた国も紛争どころじゃなかったからな」


 僕がいた国? 紛争? 何を言っているんだ、この人?

 そんなに流暢に日本語を喋って、どう見たって日本人じゃないか?


 だけど、それ以前にもっと大事なことがある。


「すみません……何月ですか?」


「7月の上旬だが、それがどうした?」


 ああ! やっぱり、そうだ!

 なんてこった!


「――僕が意識を失ってから、一ヶ月も経っている……」


 確か入院した時は、まだ6月の初め頃だった。

 

 あの担当医に変な点滴を打たれ、意識を失ってから一ヵ月が経過していたんだ。

 

 担当医――『谷蜂たにばち』って苗字だったな。


 僕を三年の不良達から助けてくれた理系風の紳士。

 いい人だって思ってたのに……。

 

 クソッ! それで身体に力が入りづらかったんだ。

 寝たきりで筋力が低下していたから……。


 逆にこの程度で済んだのが幸いかもしれない。

 まだ歩けるし関節の拘縮もないようだ。


 そう言えば、谷蜂の奴。


 意識を失う前に、『救世主』がどうのって言ってたよな?

 一体どういう意味なんだ?

 

 しかも馴れ馴れしく、名前で呼びやがって……。


 けど何故だろう?


 随分と懐かしい響きにも聞こえた。


 僕は以前、谷蜂に会っているのか?


 初めて会った時といい……。


 ずっと頭の片隅に『何か』がこびりついている。



「……そうか、少年。そういうことか」


 黒ずくめの男が、僕を見つめながら一人で納得している。


「そういうことって?」


「いや、俺の身内から少年のことをそれとなく聞いていた程度だ。それじゃ早速、その身内に会いに行こうか、少年?」


「え? 行くって……僕も?」


「そうだ。他に誰もいないだろ?」


 いや、ヤバくね?

 ライフルを持った人と一緒に歩いていたら、危険人物として警察に捕まってしまわないか?

 しかし、この男の話を信じるなら警察もまともに機能しているかわからない。

 

 外では一体、どんな状態になっているんだ?


 妹の美玖や母さんは無事なんだろうか?


 そして、姫宮さんも……無事に避難とかしているのかな。


 彼氏である笠間と一緒に……。



 ズキッ。



 胸が痛む。


 学校じゃ、いくら目の前で仲良くしていようと気にしないようにしていたのに。


 こんな状況だからか胸が苦しくなる。

 妙に会いたくて切なくなってしまう……。


 姫宮 有栖さんに――。


 僕は締め付けられる気持ちを必死に抑制し、深く呼吸を繰り返した。

 なんとか気持ちを整える。


 ――何事も焦っちゃいけない。


 パニックは死を招く……FPSゲームでもそうだろ?


 とにかく今は自分のやれることをやる――。


「あ、あのぅ、失礼ですけど、あなたは?」


「俺か? 俺は久遠くおん 竜史郎りゅうしろう――竜史郎と呼んでくれ」


 黒ずくめの男は、被っているスキャットの位置を直して答えた。


 くおん……あれ? どっかで聞いたことのある苗字だぞ。






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