第3話 奇妙な家族環境




「痛っ、クソッ」


 洗面台の鏡で、僕は殴られて切られた唇を確認する。

 頬は晴れてなく、触らなければ痛みはないようだ。


 にしも鏡に映る自分の顔……。


 我ながら冴えない顔だと思う。


 身長は普通。自分で言うのもアレだが痩せ型でひょろっとしている。

 不健康そうな白肌に、分けられた長い前髪に後ろ髪。

 特に後ろ髪はもう少し伸ばせばゴムで結べそうだ。


 ふと助けてくれた理系風のアラサー男性を思い出す。


 何故かあのお兄さんに対して、妙な親近感を覚えてしまう。

 

「……ハンカチはくれるって言ったけど、洗って帰すのが礼儀だよな」


 けど誰かわからないし、名前も教えてくれなかったからな。

 

 そう思いながら、僕は洗濯カゴにハンカチを入れた。


「ねぇ、美玖。後で洗濯物、洗っておいて~」


「んーっ、いいよぉ。明日はお兄ぃの当番だからね」


「わかったよ」


 僕の家は、母親と妹の三人家族だ。

 父親は僕が生まれて間もなく他界したと聞いている。


 じゃあ、美玖の12歳は可笑しいだろうって?


 美玖は異父兄妹、つまり種違いの妹だ。


 母親の絵里えりは普段はスーパーのパートで働いているが、何故か金だけはある。

 幼少の頃から、僕を知人に預けて自分は夜の街へ遊ぶという自堕落な生活を送っていた。


 僕が4歳の時、母親がふと赤ちゃんを抱いて連れて来たのを覚えている。

 それが美玖ってわけだ。

 きっと夜遊びした際に、ホストの男と関係を持ってできた子だと今更ながら思っている。


 けど母親が妊娠していた光景が思い出せず、実はその記憶もない。


 何せ4歳の頃だからな……。

 別にいいやと割り切っている。


 美玖とこうして家事を分担することで生活は成り立っているし、兄妹仲も悪くない。

 僕みたいな頼りない兄を見限らず傍にいてくれて感謝しているくらいだ。



「お兄ぃ、明日からマスクしてよ……多分、また日本にくるよ、これ」


 居間に行くと、美玖がテレビを見ながら言ってきた。


 ツィンテールがよく似合う、華奢で小柄な小動物のようなに可愛い妹だ。

 くっきりと二重の大きな瞳に小さく整った容貌、学校でも男子に人気があるとか。


 女子友達も多く、兄の僕と違い間違いなく陽キャのリア充だろう。


 けど美玖は本物・ ・だと思う。

 性格はいいし、シングルマザーの母さんが家庭を放置している分、家事はほとんどを彼女がやってくれている。

 勉強もできるし、しっかり者の頑張り屋さんだ。


 見た目も僕と全然似てないし……。

 そんな美玖に感心しつつ、僕は妹の言う事を聞くようにしている。


「わかったよ。何のニュースだい? まさかあの・ ・ウイルスが復活したのか?」


「違うよ。でも、また『あの国』からだって……しかも今回は相当危険みたいだよぉ」


「危険だって?」


「うん。何でも感染したら肌が黄色くなったり青くなったりして、暴れちゃうんだって」


「肌の色が変わる? 暴れるって……一体どんなウイルスだよ?」


「そんなのわかんないよ。まだ日本には感染者はいないみたいだし……でも前例もあるでしょ? だから感染予防はしないと、ね?」


 美玖の言う通りだ。


 にしても、しっかりしている。

 母親以上だな。



「――ただいま」


 っと言っている傍から、母親の絵里が帰ってきた。

 年齢の割には若々しく、パートタイムで働いているだけにしては随分と身形がいい。


「お帰り、母さん」


「ん、弥之。母さん今晩も出かけるから。お金置いていくから何か買って食べなさい」


「わかったよ。ニュース知ってるか? また変なウイルスが流行りそうだから、母さんもマスク着用してくれよ」


「……わかったわ。あんた達、小遣い足りてるの?」


「ああ、十分だよ」


「そっ。はい」


 言いながら、母さんは自分の財布から三万円ほど抜き、僕に手渡してきた。


「いらないって」


「いいから。弥之が嫌なら、美玖にあげなさい」


「私いらない」


 美玖は振り向きもしないで、じっとテレビを見ている。

 この子は前から母さんが苦手らしい。


 それもあって僕と仲良くしてくれるのかもな。

 引きこもりだけど、まだ妹の言う事は素直に聞くし。



 それから、僕は自分の部屋で夕食までネトゲをすることにした。


 PCは自作で最新のハイスペックだ。

 ディスクも椅子も何もかも整っている。


 シングルマザーで古びたアパート暮らしにしては贅沢三昧だと思う。


 全て母親の絵里が買え揃えてくれたものだ。


 それ以外にも僕が欲しいゲームや玩具があれば、すぐ金を渡してくれる。

 見た目とは裏腹に、物に満たされた生活。

 母親が家にいない分、小遣いで育ったようなものだ。


 そんな日々を送っていたら、無理して友達を作って遊ぶ気になれるわけがない。

 こうして一人、自分の部屋で仮想現実に浸っていた方が気も使わなくて済むし楽しい。


 あっという間に、引きこもりの陰キャぼっちの完成である。


 だから、陽キャの美玖は凄いと尊敬してしまうわけで。


 母親もあんなだが、実は夜遊びと称して水商売でもしているのか思った。


 でも、母の知人の話だと「亡き父親の保険金や遺産」があるとかないとか。

 現に、その知人にもお金を渡した上で、幼い僕達を預けていた。

 どうせなら水商売して汗水たらして頑張ってくれていた方が、美玖だって見直してくれたのにな。


 はぁ。


 ――どうでもいいや。


 そう思いながら、僕は得意分野である一人視点のシューティングゲームである『FPS』を楽しむ。


 この世界は何でもありだ。

 誰かを撃ち殺したって罪になるわけがないし、良心も咎めない。

 

 現実世界じゃリア充どもでも、この世界じゃ誰もが平等。

 

 ――弱ければ死ぬ。


 ただそれだけだ。


「はい、20人抜き~。ざまぁ」


 悪態をつきながら、学校でのストレスをぶつけまくる。


 そんな時だ。



 ごほっ



 あれ? 咳が出て来たぞ?

 風邪でも引いたか?

 


 ごほっ、ごほっ、ごほっ



 何だ、次第に咳き込んできた。

 


 ごほっ、ごほっ、ごほっ



 頭が痛い。



 ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ



 全身が熱い。


 

 ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ



 意識が朦朧として――



 ガシャン!



 僕は椅子から崩れ落ちる。



「……お兄ぃ、どうしたの? え!? お兄ぃ!? お母さん! お兄ぃが倒れているぅ!!!」


 美玖の叫び声が耳に響きつつ、僕は意識を失った。






「あら、目が覚めたみたいね。今、先生を呼ぶから待っていてね」


 目を覚ますと、見慣れない真白な天井が視界に広がった。


 視線を動かすと、清潔感の溢れる個室にワンピースの白衣を着た女性の姿。


 20代くらいの若い女性。

 茶系髪のハーフアップに白衣から浮かび上がる大人びた凹凸のある抜群のスタイル。

 血色の良い美肌に、少し目尻が垂れ下がった穏やかで優しそうな瞳。

 第一印象から清潔感のあるおっとり系の美人お姉さん、いや看護師さんだ。


 彼女を見て僕は思わず


「――天使」


 っと、呟いてしまった。


「え?」


「い、いや……すみません」


 看護師さんは微笑みながら首を傾げている。

 癒し系スマイルだな。


 ここは病院……病室にいるのか?


「私は、久遠くおん 香那恵かなえ。担当の看護師よ。よろしくね、夜崎 弥之みゆきくん」


「は、はい……ところで、どうして僕はここに?」


「救急車で運ばれたのよ。高熱を出したって、ご家族様が連絡してくれたそうよ」


 そうか、やっぱり……。


 きっと美玖と母さんだな。

 具合悪くなって倒れた所までしか覚えてないけど、心配を掛けさせてしまったようだ。


 僕は左手の前腕に点滴がされていることに気づく。


「最初はびっくりしたわ……原因不明の発熱みたいだったし。担当医の谷蜂たにばち先生なんて今時のニュースに感化されて、『感染者だ! 受け入れを拒否しろ!』って叫んでいたくらいだからね。すぐに理事長が飛んで来て『そんなわけあるか! むやみに患者の受け入れを拒否するな!』と怒鳴って収まったけどね」


 楽しそうに微笑んで説明してくれる、看護師の久遠さん。


 いや、笑えないんすけど……。


 そんな危なっかしい医者が僕の担当医で大丈夫なのか?





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