第30話 ネフィル

『この放送は、妾が遺伝子をいじって撮影やら送信やらの機能を持たせた子が行っておる。そなたらの道具の再現はともかく、言語を理解するのに難儀したが、ようやく通訳なしで話せるな』



 ミコトの顔、ミコトの声で。


 ネフィリムの始祖、ネフィルと名乗った女が尊大に語る。その電波は人類統合体の全域で受信され、大勢が視聴した。ユウトたち、マナーマのパレードにいた人々も。



『さて、もっと妾の姿を見せてやろう』



 顔だけが収まっていた画がズームアウトして周りも映していく。まずは、その上半身が。半裸の女性。肌を隠すものは、黒い首輪と、黒い胸パッドのみ。


 背景は薄暗い青空、夕方の屋外──


 そこに移りこむ羽毛に覆われた白い翼。ネフィルの背中から生えているのだろう、X字を描く左右2対4枚の翼。その姿は──



『空棲種と、そなたらは呼んでおるな?』



 ネフィリム空棲種──それは背中に翼を生やした人型、つまり天使型のネフィリム。体格は翼の他は人間の女性そのもの。


 元のクマムシの姿では4対8本あった脚は、前端の2本は人間の両腕となり、後端の2本は人間の両脚となり、あいだの4本は鳥の翼となった。


 それだけで体を浮かせるには翼が小さすぎるが、両足のかかとに開いた穴からのジェット噴射の推力を加えて飛行を可能にしている──


 フラッドの脚部と同じ。


 全身を覆っていた甲殻は首、両胸、股間、前腕、下腿を覆うのみに減っている。ファンタジーの女戦士のよう……


 ただし頭部はクマムシの頃と大差なく、顔の中央に1つだけ赤い眼があり、その下には上下に分かれていない丸い口吻があり、髪や耳や鼻はなく、のっぺりしている。


 完全にミコトの、人間そのものの頭部をしているネフィルは例外か。陸棲種のボス、クユーサーも背中にルビーの山があるなど他の陸棲種とは一部が異なった姿をしていたが。


 ではネフィルは、空棲種のボス?



『元々この姿だったわけではない。初めはクマムシだった。そこから陸棲小型種の大きさとなり、その後も自らの肉体を改造しつづけた。顔をこう整形したのは最近じゃな』



 ネフィルは己の顔を撫でた。



『これは我が子を欺き、あの子とその子ら陸棲種を皆殺しにした人間、オオツキ・ミコトの顔。その礼をすべく、妾は空棲種の子らを遣わし、あやつを妾の許に招待した』



 ミコトメイミは2匹の空棲大型種にさらわれた。


 ナイル川の氾濫原で乗機のフラッドごと。


 空棲種の身長は、陸棲種や海棲種の全長と変わらない。


 小型種は2m。


 大型種は20m。


 メイミをさらった2匹は初めは2m未満の幼体だったらしい。それが翼を切って敢えて再生せず、頭を隠して人間になりすまし、あそこまで歩いてきたと推測されている。


 メイミ機ら、クユーサーとの交渉に臨み、核から避難するためナイル川に飛びこんだフラッド各機が打ちあげられた岸辺は人類の勢力圏のかなり内側で、そこに空棲種がいきなり現れたのは、そういうことだろうと。


 空棲種の勢力圏は中央アジア。


 そこからアフリカのあの場所まで飛んできたなら、人類の勢力圏に侵入される前に、軍の警戒網で察知できたはずだ。


 目撃情報によれば、フードをかぶった人影が漂流していた陸棲大型種の死体の中にもぐったとたん、死体が空棲大型種の姿に変じたという。


 人間に扮した空棲種の幼体が、陸棲大型種の死体を取りこんで一気に空棲大型種にまで成長。メイミ機を抱えて、防衛線の崩壊した南方から人類の勢力圏を出て、ネフィルの許へ帰還。


 そこで、メイミは──



『喰ろうてやったわ。これまで喰らった人間の脳から学んだ、おぞましき責め苦を与えてからな……アッハハハハ‼』



 ミコトの顔で、ミコトメイミを喰ったと。


 ネフィルは大口を開いて爆笑した。



『そして遺伝子を読み、その容貌を妾の顔に写しとった。人類の大敵に姿を奪われる──ククッ、我らをたばかった報いじゃ』



 ネフィルの双眸が細められた。


 不快害虫を見るような目つき。



『そういうわけで、せっかく話せるようになったばかりじゃが、そなたら人間は信用できぬと分かった。今後一切、交渉はせぬ』



 冷めた声で、淡々と語り──



『我らのあいだには闘争あるのみ! どちらかが滅びるまで! 妾は全ネフィリムを代表し、そなたら全人類へ宣戦布告する‼』



 バッ‼



 右手を前に突きだした。それに合わせて、また画がズームアウト。2本足で立つ全身は、やはり頭部以外は空棲種そのもの。


 ただ……おかしい。


 ネフィルが立っていたのは湖のほとりだった。すぐ人類は記録から、そこをバイカル湖と特定した。


 空棲種の勢力圏である中央アジアから、絶滅前の陸棲種の勢力圏に少し入った所。ロシアのシベリア南東部にある三日月型の、世界で最も深く、貯水量が多く、透明度の高い湖。


 その地形データとの比率から算出された、ネフィルの身長は……3000m、すなわち3㎞。超大型個体と呼ばれた陸棲種のボスクユーサー海棲種のボスバハムートは300m。


 その実に10倍。



『そう、そなたらの用語では妾は〖空棲ネフィリム超大型個体〗〖空棲種のボス〗……それも誤りではないが、先に述べたように妾は全てのネフィリムの祖でもある』



 ネフィルが遠い眼をする。



『そなたら人間に月に捨てられた数千匹のクマムシの同胞の内、隕石に乗って地球に帰還し、宇宙で浴びた放射線の影響でネフィリムに進化した──そんな奇跡に恵まれたのは妾だけであった』



 それが、ネフィリムの始まり。


 以後、増えていったのは──



『妾は単為発生で子を産む。その際、子が親に逆らえぬよう、親が死ぬと子も死ぬプログラムを遺伝子に書きこんでいる。毒親と言ってくれるな、生存本能がそうさせるのじゃ』



 そしてネフィルは──



『そなたらの命名に従えば、クユーサーもバハムートも妾の子。そして妾は今からでも、あの子らと同じ能力の子を生み、一度は滅ぼされた陸棲種も海棲種も、再び増やせられる』



 瞳を爛々と輝かせ──



『が、妾が死ねば子孫は全て死に、ネフィリムは完全に滅びる。それが嫌で今まで隠れておったが、もうやめじゃ』



 毅然と言い放った。



『そなたらは強い。子らに任せていては、また多くの子らが失われる。ゆえに妾も矢面に立って戦い、そなたらを根絶やしにすると決めた! 我らネフィリムの安寧のために‼』

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