第9話 敵意

 機関室の隣は医療区画だった。診察室、検査室、手術室、病室──病院が丸ごと艦内に収まっている。その院長に当たるのが、コグレ・マモル軍医長。



「いらっしゃい、メイミちゃん」


「お邪魔します、マモル先生!」



 記憶喪失の精神、ネフィリムに囚われていた肉体、心身両面でケアしてくれている軍医長に、メイミはすっかり懐いている。


 メイミは軍医長と手を繋いで歩き、ユウトはその後ろを、さらに後ろを憲兵長が隠れながら付いていく。ここは通過するだけで見学はしない。なぜなら──



「危険、ですか?」


「ここ、半分は研究所でね。ネフィリムの生態を解明するため、その生きたサンプルで動物実験もやってるの」


「えっ⁉」


「そこには近づかない経路で歩いてるから、だいじょう──」



「危ない‼」



 誰かの声と、ダダダダッという足音──メイミが振りむくと、それはもう、すぐそこに迫っていた。


 頭の先端に丸い口吻。


 体側に8本の短い脚。


 全身が甲殻に覆われた……蟲。


 知識にあったようで、メイミはそれがクマムシだと分かった。そして普通のクマムシは微小で、こんな猫のような大きさにはならないことも。



【ネフィリム】



 その幼体が猛然と走ってきて、メイミに跳びかかった。非戦闘員の軍医長は反応が遅れ、ネフィリムと反対側にいた憲兵長は狭い廊下でメイミの脇を抜けるのに手間取った。鋭い牙が届く──



 ズバッ‼



 ──寸前、その身が左右に割れて、メイミの足下に落ちた。断面はほとんど白い肉。血液はなく透明な体液がしたたる。脳ごと斬られ、死んでいた。


 ユウトが腰の軍刀を抜いて一刀両断にしたのだった。ただの刀で斬れたのは僥倖、相手が成体なら無理だった。



「イヤァァァァッ‼」


「もう大丈夫ですよ」



 憲兵長が絶叫するメイミの頭を自分の胸に抱き、なだめながらグロい死骸を見せないようにした。そこに『危ない』と叫んだ声の主が駆けつける。医務科の兵士、衛生兵──軍医長の部下。



「軍医長! お怪我は!」


「これはどういうこと⁉」


「サンプルが、脱走いたしました‼」


「ちゃんと拘束していなかったの⁉」


「いいえ! ですが急に前例のない力で暴れだし、体の一部が千切れたことで拘束を脱し、再生しながら走りだし、ここまで」


「……分かったわ、問題の追及はあとよ。サンプルの回収と、ここの掃除と消毒を」


「ハッ‼」



 他にも数名の整備兵が集まってきて作業が始まった。さらに病室から包帯を巻いた傷病兵たちが『なんだなんだ』と顔を出す。



「うっ、うう……」


「よし、よし……」



 憲兵長の胸で泣きつづけるメイミに、ユウトが布で汚れを拭いた刀を鞘に納めてから、優しく告げる。



「もう大丈夫。死骸も運ばれてったから」


「……ユウトさん、ひどい」


「……え?」


「なんで殺しちゃったんですか‼」



 場が凍った。メイミは涙をボロボロ流しながらユウトをにらんでいる。ユウトが絶句していると、軍医長があいだに入った。



「ごめんなさい、わたしの責任よ」


「先生……」


「大尉は悪くないわ。貴女を守ろうと」


「そんな必要なかった!」


「……貴女は覚えていないだろうけど、今のがネフィリムなの。貴女を丸呑みにした、人類の敵」


「分かってます! でも、あの子『助けて』って言ってたじゃないですか‼」


「えっ……?」


「襲ってきたんじゃない! ワタシに保護してもらおうと……」


「ッ、メイミちゃん。ひとまず移動しましょう」



 軍医長と憲兵長に支えられて歩きながら、メイミは見た。ユウトの捨てられた小犬のような瞳にも胸が痛んだが……


 無言で自分を見つめる衛生兵と傷病兵たちの目に、嫌悪と敵意が浮かんでいて、メイミは身がすくんだ。







 軍医長はメイミを医療区画内にある厨房の横、炊事を担当する主計兵のための休憩室まで連れてきて、そこにいた主計長にメイミを託し、自分は先ほどの後始末のため現場に戻った。


 今はメイミを人目から遠ざけようという配慮。


 室内にいるのはユウト、メイミ、憲兵長、主計長の4人。ユウトは部屋の隅でじっとしている。メイミは部屋の中央でうつむいていた。憲兵長が変わらず寄りそってくれている。



「本官は、メイミさんの味方」


「ありがとう、シノブちゃん」



 そして、メイミと向きあって座っている絶世の美女であり、一目でそうと分かるほどお腹の大きくなった妊婦。



「わたしも味方よ、メイミちゃん♡」


「ありがとうございます……カネコ少佐」


「ツカサでいいわよ♡」


「はい……ツカサさん」



 メイミは初対面の主計長、カネ ツカサ 少佐だった。その明るく元気なオーラに当てられて、メイミの暗い気分もいくらかマシになった。



「ごめんね、ウチの連中が」


「いえ……」


「みんな、ネフィリムに大切な人を奪われてるから、とっさに大人の対応ができなかったけど。貴女が悪いわけじゃないって頭では分かってるから、今頃は後悔してるわよ」


「はい」



 メイミが落ちついてきたところで、憲兵長が口を開いた。



「ネフィリムの声が聞こえたんですか?」


「え? うん、そりゃ、あんな大きな声」


「本官には聞こえませんでした」


「オレもだ」


「⁉」


「ネフィリムの声は超音波だから人間の耳には聞こえないし、なんと言っているかも解明されていないんです」


「嘘……ワタシ、確かに聞いたの!」


「疑ってはいません。メイミさんたちは培養槽で、ネフィリムの万能細胞に生かされていました。その影響で、ネフィリムの言葉が分かるようになったのかも知れません」


「……」



 それは、きっと一大事。


 でも今は、それよりも。


 メイミは自分の聞いた幼体のをあの場の誰もが聞いたと思っていた。だから無慈悲に殺されたのが悲しかったし、殺したユウトには裏切られた気分にもなった。


 誤解だった。



「ワタシ、また! ユウトさん、ごめんなさい‼」


「泣かないで。いいんだ、君が無事なら、それで」



 ユウトはどこまでも優しい。


 メイミはそれがつらかった。


 もっとなにか伝えなくてはいけないのに、涙が邪魔して言葉にならない。そうこうしている内に、警報が鳴った。



「「「敵襲‼」」」


「えっ⁉」



 軍人3名の顔が厳しくなり、内1名が部屋を飛びだしかけ、寸前でとまってメイミのほうを向いた。



「ユウトさん……」


「どうか、元気で」


「えっ?」



 ユウトの去り際の言葉を、メイミは不吉に感じた。

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