第6話 今ここにいるのは

 コグレ軍医長との話のあと、ユウトは食堂でミコトと話すよう命じられた。


 ミコトとは救出時に怖がらせてしまって以来、会えていない。彼女の精神面に配慮した艦長から禁止されて。だが事情を理解したミコトが面会を希望したので解禁されたとのこと。


 食堂のドアをくぐると、利用時間外のため貸切になっていた。その一角でぽつんと1人、ガウンを着た短髪の女性がテーブルに着いている。


 ミコトだ。


 ガウンはホテルの備品にあるような室内着。ネフィリムの培養槽に裸で囚われていた人々のため艦が用意してきたもの。


 髪はネフィリムに呑まれた2年前より短い。救出した時にはもうあの長さだった。あの培養槽には、保存中の人間の髪や爪を短く切りそろえる機能があるとかで。


 顔はうつむいていて見えない……傍まで来て、ユウトはミコトの正面の席に座る前に、声をかけた。



「相席、よろしいですか?」


「あっ、はいっ、どうぞ!」



 ミコトはビクッとしながら顔を上げてそう言った。ようやく見れたその顔に、ユウトは強い違和感を覚えた。


 彼女は強気で快活だった。


 こんな弱気はない。


 まるで人が変わっている。顔は同じでも、そこに現れる性格の違いで別人に思えるほど……いや、別人なのだ。


 人格は記憶から形成される。記憶を失った今の彼女は以前とは別人格──そんな彼女に、着席したユウトは自己紹介した。



「こんばんは。ダイ ユウです」


「あ、はい。オオツキ コト、です」


「では〖オオツキさん〗とお呼びしますね」


「はい……ワタシからは〖ダイチさん〗で」



 ワタシ──ミコトの以前の一人称は〖アタシ〗だった。



「はい。オオツキさん、オレの妻のダイチ・ミコトは鬼籍に入りました。その死が誤りと判明した以上、戸籍が回復されるところですが、籍を置いていた日本国は今は存在しません」


「聞きました……ダイチさんたちはこの船で、滅亡する日本から脱出されたんですよね。他の人は国土と運命を共にする中、戦いつづける道を選んだって」


「はい……なので日本国民として戸籍の回復はできません。貴女は今のオレたち同様、いずれ人類統合体での新たな戸籍を得ますが、今は無戸籍。法律上、オレの妻ではありません」


「!」



 ミコトの顔に喜色が差した。


 ユウトはそれが悲しかった。



「戸籍を得る際、オレの配偶者としてか、他人としてかも、貴女が決められます。そういうことですので、初めに旧姓を名乗って牽制せずとも、オレは貴女に夫ヅラはしませんよ」


「すみませんッ⁉ その、初めてお会いした時あんな態度を取っちゃったことも! 謝りたいと思ったんです。今晩は、それで」



 真相を知って、気に病んでいたのか。


 優しいところは変わっていなかった。



「そうでしたか……お時間をいただき、ありがとうございます。ですが、貴女は悪くありません。オレの過失です。その節は申しわけありませんでした」


「いえっ! ダイチさんこそ悪くないです……あの時はワタシが記憶喪失だなんて知らなかったんですし、死んだはずの奥さんと再会すれば……そういうの全部、もう分かってます……ただ」



 ミコトは一層、縮こまった。



「それでも、貴方を夫とは思えなくて。それは伝えなきゃって。でも謝ったあとに言うつもりだったのに、順番が前後しちゃいました……ごめんなさい」


「お気になさらず。あの時のように、オレが妻への気安さそのままに今の貴女にふれることは性犯罪です。それを拒む意思表示は大切です」


「……こんな、あっさり」



 強張っていたミコトの体から力が抜けた。



「ワタシ、きっと貴方が『嫁なんだからいいだろ』って、これからも抱きついてきたり、キスしてきたり、そ、その先をしてきたりするんだって決めつけて、怯えて……本当にごめんなさい‼」


「貴女が今もオレの妻だったとしても、合意なくそういうことをするのは犯罪ですよ。もしオレがそうしようとしたら憲兵が飛んできて阻止してくれますから、ご安心を」


「ええっ⁉」


「貴女と同じことを艦長も危惧されていて、オレは以前の関係を引きずって貴女を傷つけかねないとマークされているんです」



 コグレ軍医長から、そう告げられた。


 それはショックだが、心強くもある。



「そんな……」


「艦長以下、この船の乗組員はの味方です。その方針にオレも従いますが、オレのことは信じていただけなくても大丈夫。個人で組織に抗う力など、オレにはありませんから」


「ダイチさん……」



 ミコトは目に憐憫の色が浮かべたが、自分の立場でどう慰めを言っていいか測りかねているようだった。そして結局、別の話題を振ってきた。



「ワタシの治療は、いつから……」


「記憶を取り戻したいのですか?」


「えっ?」


「希望されるなら、貴女の過去に関する話をして記憶を刺激する治療法を施します。それには貴女の過去を知るオレも参加しますから、これから予定を組みましょう。ですが」


「が……?」


「希望されないなら、なにもしません」


「なら……希望しま……せん」


「……」


「だって……記憶が戻ったらワタシは、今のままではいられなくなって、それは今のワタシには、死ぬのも同然に……!」


「分かりました」



 記憶喪失については自分でも調べたし軍医長からも色々と聞いたので、こうなる可能性は承知していた。だがミコトがここまで恐怖を感じているとは、じかに聞くまで分かっていなかった。



「では、治療はなしで」


「貴方は、それでも?」


「はい。ただ残念ながら治療しなくても記憶は自然に戻ることもあります。ですので貴女は、貴女でいられる限り、好きなだけ好きなことをして幸せに生きてください。我々もサポートを──」


「なんでそんな優しくできるんですか‼」



 ミコトが立ちあがり、座っていた椅子が倒れて音を立てた。



「貴方から見たらワタシなんて、妻の体を不法占拠している他人じゃないですか! こんな女とっとと消えて、元の妻に戻ってほしいって思わないんですか⁉」


「それは、思ってますけど」


「だったら──」


「だからって今の貴女に冷たくしたら、記憶が戻った時に妻に愛想を尽かされます。そういう打算あってのことですから、貴女が気にすることはありません」


「うっ、うわぁぁぁぁん……」



 ミコトが泣きだし、ユウトは憲兵に逮捕された。

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