第2話 天より堕ちきたる者たち

【クマムシ】


 かんどうぶつもんに属する1000種以上の無脊椎動物の総称。


 頭部1節と腹部4節から成り、腹部には1節ごとに左右1対、計8本の脚がある。頭部側の3対は両側から生え、後端の1対は後方に向かっている。


 その後端の2脚が、時に後脚で人間のように直立することもある熊と似ていなくもない。ずんぐりした体型も。


 だが体長は0.05~1.7㎜ほど。


 200~250㎝にもなる熊には程遠い微小な生物──だったはずが。突然、熊と同サイズの巨大クマムシが出現した。


 巨大なだけでなく、本来のクマムシにはない異常な〖再生力〗〖進化力〗〖学習力〗を備えた、怪獣と呼ぶべき超生命体が。


 一部のクマムシが突然変異したとしか考えられないが、原因は不明。しかし推測による定説はある。



 それを語る前に、まず事実のみを述べる。


 人類が把握している、断定できる事柄を。



 元は水中でしか活動できないクマムシだが、その中には乾燥環境では活動休止して乾眠かんみんという仮死状態クリプトビオシスになることで、食事も呼吸もせずに生存可能になる種がいる。


 彼らは乾眠中は活動中よりも過酷な環境に耐えられる。真空で放射線に満ちた宇宙で生きられた実験結果もある。


 この生命力を見込まれ──


 西暦2019年、数千匹のクマムシが乾眠状態で、イスラエルの月探査機ベレシートに搭載された。人間の遺伝子サンプル、それと膨大な人類史の記録を極小文字で書きこんだ金属板と一緒に。


 遠い未来、月でそれらを見つけた未来人なり宇宙人なりが、その情報を元に現在の人類や動植物を再生してくれるよう願って。


 そして地球から宇宙へ打ちあげられたベレシートは月に到達するも、着陸に失敗。月面に墜落して大破した。



 それから数年後。



 ベレシートが墜落した付近に隕石が衝突した。その衝撃で月の岩盤が砕かれ、舞いあがった岩石の一部は地球まで飛んできて、大気圏突入の熱で燃えて流星となった。


 中でも特に大きな破片は日本最大の湖、琵琶湖に落ちた。湖面に到達する頃にはほとんど燃えつきており、周辺への被害はなかった。


 それから数ヶ月後。


 琵琶湖の湖畔の結婚式場に巨大クマムシの群れが出現。花嫁のダイ コトを含む数名が喰い殺された。なお花婿のダイ ユウは瓦礫の下敷きになり逃げられない状態だったが、なぜか助かった。



 ここから先が推測。


 なにも証拠はない。



 琵琶湖に落ちた流星には、それが月にあった時に、大破したベレシートから投げだされたクマムシたちが付着していた。


 彼らは乾眠状態で生きたまま宇宙環境にも大気圏突入時の高熱にも耐え、琵琶湖の水に浸かったことで乾眠が解けて蘇生した。


 元とは違う超生命体として。


 彼らは宇宙で浴びた放射線によって遺伝子を組み換えられ、体の成長する限界サイズが大きく、また諸々の超機能を持つよう変異しており、水中で数ヶ月かけて巨大に成長してから上陸した。


 信じがたい話だった。


 かつての常識からは。


 それでも、これ以上マシな説も出てこず定着した。


 そしてこの説に基づき、巨大クマムシたちは〖天より堕ちきたる者たち〗を意味するヘブライ語、旧約聖書で堕天使と人間のあいだに生まれた巨人たちの呼称【ネフィリム】と名づけられた。







 最初に現れた琵琶湖から、ネフィリムは瞬く間に世界中に広がっていった。あらゆる動植物を捕食して爆発的に増殖しながら。それは生命としての自然な営み──だけではないだろう。


 ネフィリムは、人間を敵視している。


 人語を話さぬネフィリムと、人類は未だ意思疎通する糸口さえ掴めずにいるが、相手に敵意があることだけは確信していた。


 宇宙という死の世界に放逐された恨みからか、ネフィリムは他の生物は捕食するため以外で襲うことはないのに、人間にだけは満腹状態でも殺すためだけに襲いかかってくるから。


 よって、両者の共存は不可能。


 その生活圏は奪いあいになる。


 人類とネフィリムの戦争が始まった。


 そして人類は負け続け、2年で地上の半分ほどを奪われた。多くの国家が領土を失って消滅し、また領土は残っていても戦いのダメージで国体を維持できなくなり崩壊していった。


 ネフィリムは、強い。


 その強さの源となる数多の超機能の中でも、まず厄介なのが〖再生力〗……唯一の急所である脳以外に受けた傷は簡単に治癒してしまう。


 ただし傷の再生には生命力を消耗するため、治しきれない傷を負えば死亡する。また、脳と物理的に繋がっていない部分が再生することもない。


 それでも、充分な脅威。


 人間を含めた大抵の動物は、脳に限らず内臓が破損すれば、自然には回復せず死亡する。銃弾1発分の、小さな傷でも。


 だがネフィリムを銃撃する場合、脳に当てねば殺せない。そして銃による穴状の傷口1つでは小さすぎて、すぐに治癒され大して生命力を削ることもできない。


 殺せなくはないが殺すまでに必要な弾薬や手間が、人間を殺すより多くかかる。現代文明の主要武器である銃の効果が薄い、このことが人類にとって大きなハンデとなった。


 なら、どうするか。


 不利な戦いを強いられながら人類は〖銃撃より効果的なネフィリムの殺しかた〗を模索し、1つの結論にいたった。それは〖刃物による斬撃〗だと。


 銃撃で開けた穴より、斬撃による断面のほうが、傷の面積が広い。治癒により多くの生命力を消費する。それに完全に斬り離してしまえば、失った部分を再生するのに大量の生命力が要る。


 ネフィリムを殺すには広い断面をつけられる長い刃物が有効。それはつまり、刀剣。こうして人間同士の戦争からは銃に押されて退場していた前時代的な兵器、刀剣が復権することになった。


 それで戦況は少しだけ好転した。


 少しだけ、そう劇的にではない。


 人間など爪の一振りで殺せる筋力を持つネフィリム相手に、人間が接近して刀剣で斬りつけるのも、決して容易ではないから。


 むしろ遠くから銃で撃つより難しい。


 技術的にも、恐怖に耐える意味でも。


 だが兵士たちは、ある者は憎しみで、ある者は使命感で、技術を磨いて恐怖を乗りこえ、ネフィリムの体に剣を打つ。


 足りない筋力はパワードスーツで補い、硬い甲殻を斬るためにチェンソーの機能を付与した剣を用いて。それが今の時代、ネフィリムと戦う兵士たちの一般的なスタイルだった。

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