第29話 会いたいよ


「アメリーちゃん」


 女将さんが心配するように、私の肩に手を乗せる。

 私は首をゆるく横に振り、笑顔を作った。



「来れないなら仕方ありませんよね」

「そうね」

「アメリーちゃんよ。今日は領主様の顔を立てるためにも、このご厚意を受け入れて店を開こうと思うんだ」



 マスターが決めたのなら私は従うだけだ。伯爵様ご推薦の人ならお店は大丈夫だろう。ただ心配なのはシェルトのことだ。


「サミュエル様、今日はよろしくお願いいたします」

「いいえ。こちらの都合でご迷惑をおかけします。私も平民なので、様はなしでいいですよ」


「ではサミュエルさん、シェルトはいつ戻ってくるのでしょうか?」


 質問するとサミュエルさんの眉は下がり、申し訳なさそうに頬をかいた。



「私にも分かりません。今それを話し合っているかと」

「そうですよね、すみません」

「いえ、お力になれずすみません」

「そんな!ありがとうございます」


 サミュエルさんが優しそうな人で良かった。朝の仕込みもあるので話は程ほどにして、マスターの音頭で準備を始める。


 にゃんこ亭は今日も忙しく、比較的無心になれた。

 しかしふと気を抜くとシェルトの事を思い出してしまい、ミスをしないように何度も思考を止めてしまった。



「お疲れ様です。本日は私がご用意させていただきました」



 昼の営業を終えて、サミュエルさんが作ってくれた賄いはシチューがかけられたオムライスだった。

 シチューとご飯の組み合わせに戸惑いつつも、口にいれるとご飯とソースが絡み合いリゾットのような味わいが広がった。単調になりやすいオムライスだが、いつもより大きくダイスカットされたベーコンの塩味と、中心に隠されていた溶けるチーズがアクセントになって飽きがこない。

 

 何より昨夜と今朝は冷めたご飯だったから、残暑が残る季節でも温かいものが体に染みて美味しい。


「お口に合ったようですね。シェルト殿にレシピを教えてもらい正解でした」


 サミュエルさんの言葉ににゃんこ亭一同は皿から視線を上げた。そして説明を求める視線を投げかける。


「実は今朝、賄いを作るなら“これを”と指定されまして。よほどにゃんこ亭がお好きなようですね」

「シェルト君……本当に真面目だなぁ」

「自分だって大変なのに、私たちの心配してくれるだなんてねぇ」



 マスターと女将さんの言うとおりだ。突然連れてきたのがきっかけなのに、シェルトのにゃんこ亭を思う気持ちが心と体を温める。

 私はこれを機に、サミュエルさんに気になること聞くことにした。


「サミュエルさん、伯爵様はシェルトをどうして呼んだのでしょうか」

「ただの派遣の私には詳しく知らされてませんが、シェルト殿が知らぬ間に退職していたことを伯爵様はたいそう残念そうにしておられました。それくらいしか」


 シェルトの話では忠誠を伯爵様に無下にされたと聞いていたが、どうやら違うらしい。

 誤解だと知ったら、シェルトは再び伯爵様に忠誠を誓うのだろうか。

 そうしたらもうにゃんこ亭にも、あの屋根裏部屋にも戻って来ないのではないかと一抹の不安が生まれた。


 夕方になるとジャックとリコリスにもシェルトの情況が知らされた。

 二人とも驚き、何故か揃って私を心配そうに見つめた。大丈夫よと笑ってみたが効果は薄かったようだ。

 リコリスに関しては、励まされるようにぎゅっと抱き締められる始末。



 本当は寂しいから皆とお店にいたい。

 でも今夜こそは帰ってくるのではないかと思いたくて、店をひとりで出た。

 途中、以前シェルトが気に入ってくれたお店に寄り道をしてお弁当をふたつ買う。

 これで彼がお腹を空かせて帰ってきても大丈夫。彼ならパパッと作りそうな気もするけど、疲れていたら無理はさせたくない体を動かさず話し合いだけだとしても、貴族相手では気から疲れそうだ。

 そんな事を考えながら家を目指した。



 玄関を開けたらシェルトが先に帰宅していた――という事はなく肩を落とす。

 先にシャワーを浴びて待つものの帰ってくることはなく、結局ひとりで夕飯を食べた。クルルは今日は来ないらしい。静かな部屋で、冷たいご飯をひとりで食べていると嫌でも孤独を思い出してしまう。


 3年前の夏の終わりに、騎士だった父が任務中に急死した。元々体が強くなかった母はショックで倒れ、季節の変わり目に風邪を拗らせそのまま亡くなった。心の準備が整うことなく、たった一ヶ月の間に私はひとりになってしまったのだ。


 毎日母が料理を作っていたから、甘えていた私は料理が出来なかった。ひとりになって決まって食べるのは外で買ってきたお弁当。


 冷たい部屋に冷たいご飯は私の心も冷やしていった。

 温かい思い出が詰まった実家だからこそ、その温度差が辛い。墓石が完成したタイミングで、現実から逃げるように王都を出た。


 行き先はくじで決めた。

 レーベンスは王都から遠くて移動は大変だったけれど、偶然入ったにゃんこ亭で働き口と住まいを手に入れられたのは幸運だったと思う。

 私の境遇を知ったにゃんこ亭家族は本当の家族のようによくしてくれている。マスターと女将さんは親のように、ジャックは弟のように。リコリスは妹のように振る舞ってくれる。


 その優しさに働いている間は孤独を忘れることができた。

 でもひとりの部屋に帰ると孤独は私の隣に何度も現れる。2年半以上も経てばそれにも慣れた……と思っていたのに。



 ひとりで椅子に座って部屋を見渡す。

 独り暮らしの時とは違い、増えた食器と調味料が台所に並んでいて、クローゼットのそばには下着を隠すカーテン、洗面台にはふたつのコップと歯ブラシが見える。あちこちにシェルトと一緒に住んでいるというのが分かる空間が広がっている。

 いえ、むしろシェルトの家に私が居候してるのではと思うほど、彼は私の生活に根付いていた。



 シェルト無しでの生活は考えられない。



 そう思うと小さかった不安は大きくなっていく。伯爵様に騎士寮の復帰を求められ、シェルトが頷いたら一緒に住むことは厳しい。

 居住エリアであるここ北区と騎士寮のある南区は遠くて、朝から夜まで働くとしたら遠すぎるからだ。

 貴族は何人も料理人を雇う人がいるとも聞いた。本当にシェルトの事を気に入っていたら、他の領地に連れてかれてしまう可能性も考えてしまう。


 でも今の私にはにゃんこ亭を離れることも考えられない。好きだからといって追いかける勇気もない。

 昨日とは違って前向きに考えられず、考えていることも支離滅裂だ。



「馬鹿だなぁ、私」


 シェルトが出掛けるときにきちんと伝えれば良かった。「いってらっしゃい」とか「待ってるね」とか……ううん、「大好きだから帰ってきて 」と言えたらどれだけ良かったか。

 そうすれば私にとても甘い彼は、私の望みを叶えるために戻ってきてくれるって思えるのに。



 そう考えたけれど頭を振って考えを否定する。


 言わなくて良かった可能性もある。シェルトの本音が騎士寮への復帰だった場合、私の言葉は足枷になる。

 彼の可能性を狭めたくない。そんな中でも純粋に私を選んで欲しいと思ってしまうのは私の驕りだ。



 少しもまとまらない思考に天を仰ぐ。

 今日も見えるのは住人のいない天井だ。ふと今の屋根裏部屋の状況が気になった。

 出禁になる前からずっと登っていなかったけれど、今ならバレないんじゃないのかしら……と悪い好奇心が疼きだす。


 そうよ! なんでシェルトは私のエリアに出入り自由なのに、私は規制されるのよ。

 元から必要がなくて登ってなかったのに、あえて出禁だなんていったのよ。というより私のアパートじゃないのよ。と逆ギレのように幼稚な怒りがわいてくる。

 勢いそのままに、気合いをいれてはしごを登って灯りをつけた。



「アメリー、入りまーす! って…………はぁ!?」



 視界には更に発展を遂げている楽園が飛び込んできた。

 どうやって運び上げたのか不思議なほど大きいカーペットが敷かれている床。倍に増えたであろう本はきれいに本棚に陳列され、服が収納されたバスケットは三段ラックに整頓されていた。照明も増やされていて、作りかけの棚まであった。まだまだ侵略をやめないらしい。



「わぁー」



 リビングより快適そうな空間に感嘆の声が出てしまう。そして肩の力が抜けた。



「ふふふ」



 あまりの本気ぶりに笑いが溢れてしまう。この永住する気満々の部屋を見て、シェルトが出ていってしまうなんて誰が思えるのだろうか。


 私は靴を脱いで、カーペットの感触を楽しみながら奥へと進むと木箱があった。ラベルには「アメリー」と丁寧に書いてあり、一時的に撤去された調理器具や食器が入っているらしい。


 そっと開けると一番最初に出てきたのは、引退したはずのベッドカバーだった。そういえばシェルトがカバーを変えてくれたけど、その後の行方を知らなかった。


「まさか、これも保管対象? いざって時の予備?」


 私は残されている理由に疑問を抱きながら、ひとつひとつ新聞紙に包まれた食器を取り出す。3個ほど出してみるが、どれも懐かしい。

 そう、懐かしいという言葉がぴったりなほど過去の物なのだ。今はお揃いの物が私たちの食器。



 きっと彼は帰ってくる。



 この部屋にいると不思議と信じられてしまう。明日はにゃんこ亭は休みだし、勝手だけれどここでシェルトを待つことにしよう。

 どこか腰を落ち着かせられる場所を探すけれど、さすがにソファや椅子はない。代わりに見つけたのは彼の寝床。


「まぁ、良いわよね?」


 シェルトだって勝手に寝たことあるんだし!と出会った日を思い出して、真似するようにダイブする。

 ふわっと石鹸の香りが広がる。彼の香りがしないことを少し残念に思いつつ……いいえ、私は変態じゃないわ!

 ちょっとだけよ? 単なる興味だからね! それが変態だって? やめてよー! とひとりで脳内漫才を繰り広げて、私のベッドより広い寝床を転がってみる。



 ネタが尽きたところでふぅと呼吸を整えて、1ヶ所だけ開いている床の方を向く。

 シェルトが帰ってきたら、私が屋根裏部屋にいることに驚くかしら?

 そして勝手に入られて、勝手に人様の寝床で寝られた人の気持ちを味わえばいいのよ。なぁんて事を考える余裕が出てくる。



「ねぇ、早く帰ってきてよ」



 不安な気持ちになっては部屋を見渡し、心を落ち着かせて、またはしごの方を向く。何度繰り返しただろうか。シェルトの驚く顔を見るために起きていようと思っていたのに、次第に瞼が重くなってくる。


 そうして月が傾く頃には私の意識は夢の中へと溶け込んでいった。

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