第28話 寂しいです
少しでも動けば唇が触れそうなギリギリの距離を保つように、シェルトは動きを止めた。
こ、これはどっち?
シェルトも私と同じ気持ちなのか、それとも私がベタベタしないようにするための牽制なのか……空回る頭では答えを出せない。
「お願いです……頷いて下さい」
シェルトは懇願するように言葉を絞り出した。
一際ドクンと心臓が跳ねる。まるで彼も私を好きだと聞こえ、胸が高鳴る。
「アメリー、答えてください」
気付けば包み込むシェルトの指先は不安を表すように、ほんの僅かに震えているではないか。
あぁ、彼を待たせてしまっている。私の回答ははじめから決まっているのに、何を恐れているのか。
私はそっと上からシェルトに手を重ねた。
「私は――」
ドンドンドンッ
私の声を遮るように強く扉が叩かれた。
しかしシェルトは来訪を無視して、私の名前を囁いて言葉の続きを求める。
私は一度途切れた勇気を振り絞るために、深呼吸をしたが――
ドンドンドン
「レボーク伯爵の使いです。シェルト殿にお目通り願いたい」
シェルトが顔をあげて扉を凝視した。
私も視線を追って扉を見るが、すりガラスには黒いシルエットが夕陽を背景に浮かんでいた。
レボーク伯爵と言えばこの街レーベンスの領主で、シェルトの元ご主人様の名前だ。相手は帰宅を見ていたのか、シェルトが家の中にいることを確信している口振りだ。
さすがに無視できず、シェルトが苦虫を噛み潰したように表情を曇らせ扉を開けた。
そこにはマスターとさほど変わらない年あいの、ピシッと燕尾服を着こなす男性が立っていた。
「筆頭執事とあろう方が、なんのご用でしょうか」
「シェルト殿、お久しぶりです。旦那様より領館にお連れするよう命じられ、お迎えにあがりました」
威嚇するように低い声のシェルトに対し、男性は顔はにこやかなまま軽く腰を折った。執事の後ろには狭い通りを塞ぐように立派な馬車が停まっている。
執事はシェルトの返事を待たずして踵を返して馬車の扉を開けた。するともう一人来ていたのか、顔は見えないものの磨きあげられた艶のある黒靴と、珍しい意匠のシルバーのステッキが見えた。
「伯爵様……」
シェルトは息を飲んで呟いた。そして観念したように髪をかきむしり、深いため息をひとつする。
「着替えてすぐに行きます。お待ち下さい!」
「かしこまりました」
馬車に向かってそう言うと、執事は満足気に頷いた。シェルトは家の扉を閉めると、険しい顔をしたまま私の隣を過ぎて屋根裏部屋に登っていってしまった。
まさか勝手に騎士寮を出ていったことになっているシェルトを処罰しようとしている?
でもあれは伯爵様も望んだことでは……
では騎士をブランドン様が腹いせに嵌めようとしている? それとも連れ戻そうと、逃げられないように直接伯爵様が出向いた?
悪い想像ばかり巡り、熱くなっていた私の頭は冷水を浴びたように急速に温度を失っていった。
数分するとシェルトは1階に降りてきた。
皺のないシャツの首もとには小さな宝石が施されたループタイが付けられ、張りのあるシンプルなジャケットを羽織っていた。髪は整え直され、日中厨房で働いていて料理の匂いがする筈なのに彼はスーッとしたミントの薫りを纏わせていた。
見たこともないフォーマルなシェルトの姿は、遠い存在のように感じてしまう。本当にこの人は貴族の側で働いていたのか、と他人事のように眺めていた。
私が棒立ちで佇んでいると、シェルトは心配げに見下ろし両手を掬い上げ包み込む。指先まで冷たくなっていたのか、彼の手がとても暖かい。
「アメリー、俺は少し出掛けます。晩御飯を作れなくてすみません。冷蔵庫の中身は自由に使って良いですし、テイクアウトでも良いのできちんと食べてください」
「……うん」
「それと俺の帰りが遅くても、待たずにいつも通りの時間に寝てください。きちんと玄関も窓も戸締まりして用心するんですよ」
「……こんな時も過保護なのね」
私の口からは可愛いげのない言葉しか出てこなかった。
「それだけアメリーが大切なんです。ではいってきます」
シェルトは私の言葉を気にすることなく微笑むと、玄関を出ていってしまう。指先が更に冷える。
見送りの言葉を言えなかった私は追いかけるように玄関を出た。すでにシェルトは馬車に乗り込んだようで扉は閉められ、執事は御者席に座っていた。
「……あ」
すっと馬車の小窓が開く。私はシェルトが顔を出すのかと期待したが、目があったのは渋味のある美しい老人。
ただならぬ雰囲気に、すぐにこの人が領主であるレボーク伯爵だと直感した。手招きされたので、馬車に駆け寄る。
「あの!」
気付けば自ら声をかけていた。平民から先に声をかけるなんて失礼に当たるというのに……私は深く頭を下げた。
「大変申し訳ありません。一言お伝えしたいことがございます。お許し願います」
「よかろう」
伯爵様がお怒りになることなく、許してくれたことに安堵する。
そしてできるだけ声が震えないように、ゆっくりと口を開く。
「シェルトさんには避けられない事情があったのです。どうか彼の言葉を信じてあげてください」
「うむ、参考にしよう。彼を借りていくよ」
伯爵様はそう述べると小窓をパタンと閉じた。それを合図に馬車は走り始め、角を曲がるとあっという間に見えなくなってしまった。
その日の夜はテイクアウトのお弁当を食べることにした。はじめは簡単なものでも作ろうと思ったのだけれど、増えた調理器具のどれを使えばよいのか悩み、止めた。
何よりシェルトが来てから約半年料理をしていないのだ。元から低かった腕は更に落ちて、舌は肥えていく一方。自分の料理が怖い。
でもせっかく買ってきたお気に入りのお弁当も、今日は味がしない。それに部屋がやけに静かに感じられる。私のため息が大音量に聞こえてしまうほどだ。
「駄目だわ。早く寝よう」
静かな部屋にひとりでいるとロクでもない考えばかり出てくる。
お弁当の残りは朝食べることにして冷蔵庫に入れ、食後恒例の紅茶は飲まずにさっさとシャワーを浴びる。
「みゃーみゃあん」
タオルで髪を乾かしていたら玄関から猫の声が聞こえ、私は急いで扉を開けた。そこには灰色のご近所猫のクルルがいた。
「みゃあー!」
「クルル!久しぶりね。どうぞ入って」
クルルは慣れた様子でリビングに真っ直ぐ進んだ。ひとりでなくなったことに心底ホッとする。
私はすぐに追いかけて、クルル専用のタオルで足を拭いてあげた。するとポンとベッドの上に上がり、お腹を見せ始めてしまった。
いつもならミルクを催促するのに、今日はもう寝るらしい。
「待ってて、すぐ戻るから」
「ミャァ」
寝る前にシェルトが帰ってきても良いように、廊下の魔石ランプだけは灯りをつけたままにする。そうしてベッドに入ってしまえば、この静けさもいつもと同じだ。
夏は暑いのか、クルルは腕の中に入らず枕元で寝ている。
まだ寝れない私は彼に買ってもらったカバーの刺繍を指でなぞって、夕方のことを思い出した。
一番に浮かぶのはシェルトの懇願する声だ。あんなに近くに顔を寄せたのも初めてで、あんなに存在を求められるのも初めてだった。
「きゃぁぁぁぁっ」
「ミャッ!」
「クルルごめん」
恥ずかしさのあまり叫んでしまった。
クルルが枕元にいるのを忘れていたため、驚かせてしまった。すぐに謝って、カァッと胸が熱くなった気持ちを我慢するようにベッドの中で悶絶する。
直接気持ちを聞かされたわけではない。だから彼が望むようにすぐに頷いて、聞けば良かったと少しの後悔が生まれる。
「うぅ……情けない」
でももし頷いていたらシェルトの顔はもっと近くに――そこまで想像してまた震えるように悶絶した。まだお互いの気持ちを確かめた訳でもないのに妄想ばかりが先走る。
「早く帰ってこないかなぁ」
「みゃ」
「あなたもそう思ってるのね」
「みゃあ」
呼吸を整えて、住人がいない天井を見上げる。
レボーク伯爵様は聡明で領民からも人気の高い領主だ。私の失礼を咎めることもなく、表情は穏やかに見えた。貴族は心の内を隠すのが上手だと聞く。
それでも伯爵様はシェルトを乱暴に捨てる人には見えなかったし、違うと思いたい。
それに伯爵様は“借りる”と言っていた。きっと返してくれるから大丈夫。シェルトはすぐに帰ってくると信じてその夜は瞼を閉じた。
はじめは寝られそうに無かったけれど、クルルの規則正しい寝息が自然と夢へと誘ってくれた。
✽ ✽ ✽
慣れぬ違和感にパチリと目が覚めた。朝だというのにやけに静かで、いつも漂う美味しい香りがしないのだ。台所を見れば立つ人はおらず、結局シェルトが帰ってこなかったのだと知った。
久々にセットした目時まし時計は鳴る前の時間を示していた。
もしかして実はこっそり帰ってきて、疲れた彼は屋根裏部屋でまだ寝ているのではないかと廊下に向かう。
「シェルトー!」
しかし私の声が虚しく響くだけで、返事はない。
私は肩を落として、ひとりで身支度を整える。いつものように鏡に向かって呪文を唱えて、昨日残していたお弁当の残りを食べた。
マスターと女将さんはきっとシェルトが伯爵様の所に行ったことを知らない。急に欠勤と言われて困るのは目に見えている。それならできるだけ早く伝えた方が良いだろうと、いつもより一時間早く、クルルと家を出た。
まわりも仕事に向かう人がちらほらいて、新聞屋は記事を売ろうと通りかかる人に声をかける。
定食屋の通りに入れば換気のために開けられた窓からは声もして無音ではないのに、私には静かに感じられてしまう。
まるで2年前に戻ったような感覚に頭を振った。
大丈夫。一日くらいで感傷的になるなんて、私らしくない。切り替えるのよ。
そうしてたどり着いたにゃんこ亭の前には立派な馬車が1台停まっていた。
「もしかして!」
私は少しの距離を走って、勢いよくお店の扉を開いた。
しかしそこにいたのは困惑の表情を浮かべたマスター、女将さん、そして見知らぬコック姿の壮年の男性だった。
「アメリーちゃん、早かったな」
「ちょうどいいわ。アメリーちゃん、こっちへいらっしゃいな」
マスターと女将さんの言われた通り店内の奥に進む。すると男性が軽く会釈をしてくれたので返す。
「おはようございます。えっと……」
「レボーク伯爵の命により派遣されました、こちらに来られないシェルト殿の代理を務めますサミュエルです。本日はよろしくお願いいたします」
そうサミュエルさんは朗らかに挨拶した一方、私はシェルトに会えないことに落胆の色を隠せなかった。
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