第30話 私が尽くす理由
sideリコリス
シェルトさんが突然休んだ日――皆に心配をかけないようにして、不器用な笑顔を浮かべたアメリーさんを見送った。
私はかける言葉をうまく見つけられず、抱き締めることしかできなかった。
アメリーさんが見えなくなるまで、通りを眺めているとポンと落としていた肩を叩かれた。
「リコリス、今は見守るしかないって。心配なら明日の午後にでも一緒にアメリーの家に行こうぜ」
「ジャック……ありがとうございます」
「よし、仕事しよう! お店がグダグダになったらアメリーにもシェルトさんにも後悔させちゃうからな!」
「そうですね。頑張ります」
私は後ろ髪をひかれる思いで、仕事に集中するよう気持ちを切り替えた。
でも忙しい時間帯を過ぎてマスターとテレサさんが先に帰ると、あとは私とジャックで飲み物と作り置きのおつまみを出すだけの時間になる。お客さんもポツリポツリくる程度で、ジャックはその間に明日の仕込みも行う。
忙しそうな彼と比べて何もない私は店内をウロウロするだけ。思考の余裕ができるとアメリーさんの寂しそうな顔を思い出してしまう。
アメリーさんは孤独に敏感で、誰よりも寂しがり屋なのを私は知っている。
それは全部、私が原因で私が悪い。
私は17歳の時から冒険者を始めた。魔力があって、当たりがあれば稼げるからと気軽に始めた仕事だった。残念ながら頭は良くなかったので、国に勤めることは最初から除外していた。
王都のギルドを拠点にすると、すぐに同世代の女の子の仲間が3人もできた。
仲間は剣士、治癒師、魔術師の女の子。私も魔術師だけど……私は身体強化中心の肉弾戦派で、もう一人は飛び系の攻撃魔法を得意とした。
パーティーを組んだ私たちは順調にランクアップさせた。
私たちはもっと稼げる。もっと難易度の高い仕事をしよう。私たちなら大丈夫。何度もピンチは乗り越えてきた。
失敗をしてこなかった私たちは完全に傲り、慢心が生まれていた。それが終わりの始まりだったと今ならわかる。
私たちはCランクアップした次の日に、Cランクのクエストでも難易度の高い依頼に手を出した。
討伐内容は王都近くの地中の穴に住む魔物の討伐。現在再調査中でBランクに上がる可能性があると受付嬢に止められたが、私たちは決行した。
逃げ場のない穴に魔法を打ち込めば終わると油断していたのだ。
しかし攻撃魔法が通じず、反撃に出た魔物に私たちは逃げることしかできなかった。
魔物の表層は固く剣は通らない。振り回される尻尾には鋭い鱗が生えていて当たれば命は無さそうな威力だった。
近づくことなどできず、離れるように走るしかない。
しかし怒り狂った魔物は執拗に追いかけてきて、逃げ切れる希望を失いつつあった。
――死にたくない! 死にたくない!
冒険者の命は軽い。
いつ死ぬか分からない職業だと分かっていたのに、今まで他人事のように思っていたことを後悔していた。足掻くように必死に足を動かし、時々誤魔化しで攻撃を繰り出し、時間を稼ぐ。
そして助けを求めるように私たちは王都入り口の見張り台に飛び込んだ。冒険者の命は自己責任。関係ない他人を巻き込むのはご法度だったが、命惜しさにルールを無視した。
ここに飛び込めば、騎士は国民や王都を守るために強制的に魔物と戦わなければならない。見捨てられる事はないと知ってて飛び込んだ。
結果は小さな見張り台は崩壊し、騎士3名が死亡した。王都の騎士は対人間の戦闘はできても、魔物相手では分が悪かった。
魔物の襲来から守るための魔石で障壁魔法を使用したかったのかもしれないが、逃げ込む私たちを受け入れるために発動が遅れてしまった。
魔物は見張り台を破壊するように突っ込んできた。
しかし勇敢な騎士たちの捨て身の抵抗により、魔物を討伐。お陰で仲間の3人は軽症で、私は瓦礫の下敷きになった右足の膝が潰れただけで済んだ。2度と走れない足になったけど、命は助かったことに安堵する最低な自分がいた。
自分達のせいで人が死んだというのに……目の前で事切れて動かぬ人の顔が脳裏に焼き付いて、悪夢にうなされたとしても……生き延びたことを喜んでしまう自分に幻滅した。
パーティーは自然に消滅していた。正しくはもう冒険者として動けない私だけが、王都に置いていかれたのだった。
でも追いかける気力はなかった。もう走れないからという理由よりも、気持ちの問題が大きかった。
自分が冒険者をしていたから、無関係な善人が死んだのだ。遺族の心情を思えば、失敗を反省せずのうのうと冒険者を続けていたら、怒り狂う姿が想像できた。
実際にそうだった。病院に残された私は騎士2名の遺族に怒りと苦しみをぶつけられていた。
他の冒険者はなぜ謝りに来ないのか。何故見張り台に飛び込んだのか。何故、身の丈に合わない依頼を受けたのか。何も反論できず、私はひたすら地に額をつけて嘆きを受け止めた。
私にできる懺悔は謝ることしかできない。残り一人の騎士の遺族からの批難の言葉も受ける覚悟をした。
しかし病院を退院する日になっても残りの遺族は文句すら言いに来なかった。顔も見たくないのだろう。
いや、本来は私から謝罪に足を運ばなければいけない。松葉杖が外れ、ようやく動くようになった右足を引きずりながら残りの騎士の自宅を訪問した。
「すみません! 誰かいますか?」
扉を叩き、声をかけるが返事はない。留守にしているのだろうか、また来ようかと悩んでいるとお隣さんが出てきた。
「お嬢ちゃん、そこのうちは誰もいないよ」
「え? 何でですか?」
「騎士のお父さんが殉職してね、体の弱いお母さんもショックで追うように亡くなって……残された一人娘は耐えきれず、つい先日この家を飛び出したんだよ」
「――っ、そんな」
連鎖的にまた人を不幸にした現実が重すぎる罪悪感となって、支えきれず私はその場に崩れた。
「お嬢ちゃん大丈夫かい?」
「あの……その一人娘さんはどこに?」
「たしかレーベンスに行くと行っていたね。随分遠いから、ここで待っていても戻ってこないかもね。金髪で茶色い瞳の美人な子で、名前はアメリーって言うんだけど」
「レーベンス……アメリーさんはレーベンスにいるんですね!」
私は勢いのままレーベンスに向かった。
ただ自己満足で良いから謝罪して、罪悪感から解放されたかった。
早く見つけなきゃ。早く謝らなきゃ――
気持ちは焦るが、アメリーさんがレーベンスの何処にいるかは分からない。
一週間ほど滞在したが、まるっきり手掛かりはなかった。
だけど、運は私の味方についた。
半ば諦めかけていたとき、通りがかった猫の看板をぶら下げた定食屋のテラスにいたのだ。
金髪のポニーテールを揺らし、儚げな茶色い瞳をした綺麗な女性が慣れない手つきで食器を片付けていたのだ。
直感でこの人がアメリーさんだと分かった。少し離れたところから声をかけてみる。
「すみません。アメリーさんですか」
「え? はい、そうですけど」
彼女は弱々しい笑顔で答えてくれた。
まだ心の傷が癒えていないのが初見で分かるほど、アメリーさんには憔悴の影が残っていた。
「私……リコリスって言います。元冒険者です」
私は緊張で震える唇をなんとか動かして、名前を告げた。
アメリーさんは名前を聞いて悟ったのか、茶色の瞳を大きく見開いた。
右足を引きずりながらアメリーさんに近づいて、膝をついて頭を下げた。
「謝りたくて会いにきました。私、何もできなくて、これくらいしかできなくて……文句をぶつけられる覚悟はしています。だから、どうか」
話を──と言葉を続けられなかった。
「遠くて大変だったでしょう? 足も辛そうなのに、わざわざありがとう」
アメリーさんは糾弾することなく、私の肩を優しく押し上げ目線を合わせてくれたのだ。
彼女の瞳は憂いの色を浮かべていたけど、憎しみを感じさせなかった。
「わ、私……とても酷いことを」
「そうね。でも生きてて良かったわ。これでお父さんも報われる。国民を守れたんだもの、命を張った甲斐があったわと思うわ」
「でも、お母さんまで」
「お母さんの死はリコリスさんのせいじゃないわ。私がお父さんの分もお母さんを支えなきゃいけないのに、出来なかっただけ」
アメリーさんは軽く顔を伏せた。悲しみを他者にぶつけることなく、全てを背負った彼女の姿に自分を恥じた。
彼女は楽になりたくてもなれないのに、自分だけ苦しみから逃げようとしていたのだ。
目の前に加害者がいるというのに、アメリーさんは私を責めることはせず、でも許すわけでもなく現実を受け止めようと苦心していた。
私は胸が詰まり、続く謝罪の言葉すら出てこなくなった。その間もアメリーさんは自分よりも私を案じてくれる。
「冒険者やめて今お仕事は? リコリスさん、あなたとても細いけど食べれているの?」
無職の私は首を横に振った。病院で過ごしていたため、私の体は筋肉も落ちて食事も減って痩せていた。
そして学も無く、後遺症のある私が働ける仕事は思い付かない。
「足はずっと痛いの? 完全に治らないの?」
「も……もう少しリハビリをすれば痛みは和らぎ、誤魔化しながら歩けるようになるはずです。2度と走ることはできませんが……」
そう答えるとアメリーさんは思い付いたように、私を置いてお店の中に戻っていってしまった。
訳が分からず呆けていると、数分してすぐに戻ってきた。
「ねぇ、リコリスさん一緒に働かない? 人手が足りなくてね、もう一人看板娘を探していたの。マスターと女将さんに相談したら、リコリスさんが頷けばオッケーだって!」
私は耳を疑った。何故そんな話になるのか分からない。
だって私は親の仇で、働ける能力があるかも分からないのに一緒に働こうなどと思えるのか。
そして彼女は一体どんな説明を店主たちにしたら、承諾が得られるというのか。混乱したまま疑問を投げかけた。
「なんで、私を誘ってくれるんですか? 悪い人かも知れないのに」
「だって逃げ込んだ冒険者の女の子は4人いたと聞いたわ。そのなかで重傷者は一人。他の元気な人が謝りに来ないのに、唯一の重傷者のあなたは、足を引きずってまで遠い地を訪れてくれた。根性があるいい人よ!」
「――っ!」
「お父さんはそんな貴方を助けたわ。だから私も助けるの。それに可愛い顔してるしね? ふふふ」
アメリーさんは最後に沈む心を晴らすように笑った。
私の胸の中は熱くなった。どこまでも優しい彼女のために何かしたいと思った。
彼女こそ幸せを掴まなければいけない。私は尊敬してやまないアメリーさんの幸せのために生きようと強く思った。
「ハンカチ使って! ここまで辛かったのね」
「え?あ……私……ぅ」
アメリーさんの慌てる姿を見て、自分が泣いていることに気が付いた。
「違うんですぅ。アメリーさんが優しすぎて、涙が……ごめんなさい。ごめんなさいぃ」
「もう仕方ないわね! さぁお店の中に入りましょう? もう準備中だからお客様もいないし、たっぷり泣きなさい」
「アメリーさん、私がアメリーさんを幸せにしますぅー」
「ふふふ、ありがとう。さぁ立って、手伝うわ」
アメリーさんは私の足を気遣うように肩を貸してくれた。
そうして私はアメリーさんとにゃんこ亭で働き始めた。はじめは仕事を教わるために同じ時間帯で働いた。
アメリーさんにセクハラしようとするお客さんを倒し、ナンパしようとする軽薄な男は私のぶりっ子攻撃で興味をそらした。
最初はぶりっ子の自分に吐き気がしたが、今はもう慣れたし色々と便利になった。アメリーさんのためなら何だってできる。
そして彼女が寂しくないようにゃんこ亭家族の提案を受けて、アメリーさんとは家族のように接するようにした。
妹のように甘え、親友のように寄り添う努力をした。
それでも彼女の寂しさを全て埋めることは私たちには出来ない。彼女は心配をかけまいと、逆に一線を引かれてしまった。
しかし私が歯痒い思いをしている間に、突然現れた男はいとも簡単に壁を飛び越えていった。
あとからアメリーさんに聞かされたけれど、シェルトさんは半ば強引に住み込みはじめ、遠慮もせずに侵略を続けているらしい。
アメリーさんの優しさに付け込みやがって!と怒りそうになったが、彼女の嬉しそうに語る顔を見て溜飲が下がった。
父親のように過保護で、母親のように料理が上手で、時々異性を感じさせる器用なシェルトさん。
寂しさを忘れるほどにアメリーさんはシェルトさんを頼り、恋をしていた。
私の野生の勘ではシェルトさんは同じタイプの人だと感じていた。裏表の顔を使い分け、気に入った存在に執着して溺愛するタイプ。
最初は気に入らなかった。私が出来なかったことを簡単に成してしまった嫉妬だったと思う。
けれど今はもうシェルトさんはアメリーさんの幸せに必要な人だと認めざるを得ない。それに彼ならアメリーさんを心から大切にしてくれると分かる。
だからシェルトさん、お願いします。アメリーさんのために早く帰ってきてください。ずっと側にいてあげてください。
私はそう祈りながら、営業を終えたにゃんこ亭の扉を閉めた。
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