第2話 お礼らしいです


 叩きつけたエプロンは床に落ちることなく、男がしっかり受け止めた。その顔には反省の色はなく、笑顔のまま。



「なんで、まだいるわけ?」

「ご迷惑をおかけしたお詫びに夕飯を作らせていただきました……が、もしかして食べてきましたか?」



 そういえば部屋の中は美味しい香りが広がっていて、疲れていた私のお腹は正直にぐーっと音を鳴らした。


「いや、あの、これは……!」


 レディらしからぬ立派な音がなり、かなり恥ずかしい。

 しかし男は引くどころか感動したように目を輝かせ、小さなキッチンに向かって、先ほど味見をしていた鍋からいそいそと皿に盛っていく。

 あっという間にテーブルにはスープにおしゃれなおかずにパン、カットフルーツが並べられ、完璧なラインナップに私のお腹が「ぐぅー」と拍手喝采をあげる。

 


 本当にダメな胃袋だわ。

 


「さぁ、召し上がってください! 材料はきちんと俺が良いものを用意したので、ガツガツいってください!」

「うぐっ……用意しちゃってるなら仕方ないよね。遠慮なくいただきます」



 女性に対してガツガツいけというのはどうかと思うが、美味しそうな匂いには逆らえないし、食べ物には罪はない。

 見知らぬ男が皿の位置を把握するほど勝手に台所を使い、1日入り浸っていることについては後回しにして肉団子のような料理を口に運ぶ。



 肉団子を噛むとで肉汁がジュワっと出たあとホロホロと崩れ、口いっぱいに旨味が広がった。


 何これ……なんて美味しさなの!?


 すぐに二口、三口と進み、流し込むようにスープも飲むが肉団子の脂をリセットするような爽やかなハーブの香りがデリシャス!



「あぁー良かった。お口に合ったようですね! まだまだありますから! どんどん食べてください」



 気持ちが私の顔にしっかり出ていたようで、前のめりでおかわりを勧めてくる。

 確かに美味しいので素直におかわりをするが、男は立ったまま私を見るばかりで食べづらい。



「ねぇあなたも食べたら? そんなに見られてたら美味しさが半減するわ」

「はい! 失礼します」



 私が提案しなければ、ずっと食べずに立ったままいるつもりだったのだろうか?

 男は浮かれたように喜びながら、私の正面に座り食べ始める。


『待 て』されてようやく『よし』された犬のように、なんだかブンブンとふる尻尾の幻覚が見えてくる。やっぱり私疲れているんだわ。そうでなければ、こんな正体不明の男にほっこりするなんてあり得ない。

 でも美味しい料理に口は素直に動く。



「すごく美味しいわ」

「良かった。味の濃さが心配でしたが、ちょうど良さそうですね」


 私は素直に頷いて、また料理を口に運ぶ。今まで食べてきた料理にランキングをつけるなら、確実に上位に食い込んでくる美味しさ。どんどんフォークが進み、あっという間に食べきってしまった。



「ごちそうさま」

「では食後のお茶を出しても良いですか? 茶葉を借りても?」

「えぇ、お願いするわ」



 男はいつも私が使う茶器を棚から出して、お茶を淹れ始める。

 スプーンでピッタリ計量し、砂時計ではなく懐中時計で時間を確認する。その間に食べ終えた食器はテーブルから片付けられ、代わりに紅茶で満たされたカップが目の前に置かれた。



「どうぞ。ストレートが美味しい銘柄だったから、何も加えてないけど大丈夫ですか?」

「あ……うん、ありがと」



 私は紅茶は好きだけれど渋味が苦手だ。けれども、ここでミルクが欲しいと言ったら子供っぽいと思われそうで、ストレートのままカップを傾けて琥珀色のお茶をすする。



「……美味しい」

「ですよね。良い茶葉をお選びで」



 私の反応に手応えを感じた男は手慣れた様子で食器を洗い始めた。


 どうしてこんなにも違うのかしら。


 再び確かめるように紅茶を口に含むが、同じ茶葉とは思えない。渋味はほんのりする程度なのに、香りは口いっぱいに広がり鼻を抜けていく。いつもこの強い香りを求めてたら、渋味が出てしまうというのに……



「私が淹れたのより美味しいんだけど、コツってあるのかしら?」

「コツですか? さぁ、普通に淹れたつもりなんですが」

「あら、そう」



 男は悩ましい顔をしながら、布巾で皿を磨いて戸棚にしまっていく。つまりこの男にはお茶の才能があって、私には無いということね。

 この美味しい紅茶を飲めるのは今回で終わり。私はゆっくりと味わいながら飲んでいく。



 その間、私の不在の間に部屋に異変がないか確認するが、大有りだった。

 朝掃除し忘れた床は埃が無いどころかピカピカに磨かれ、1ヶ月は放置していた窓ガラスの曇りは消えていた。

 ベッドのシーツも宿並みにピシッときまってる。


 この男なんなの?


 女子力で勝てる気がしないわ。思わず怪訝な眼差しを送ってしまう。男は私の不躾な視線に気付くも、微笑みは一切崩れない。



「どうでしたか? お礼になりましたか?」

「えぇ、すごく。昨夜はとんだ人間を拾ってしまったのかと後悔したけれど、人生で一番美味しい料理を食べられたから、助けて正解だったかもね。しかも掃除もしてくれたようで……ありがと」



 保護した恩を上回るお礼を受けた自覚があったから、きちんと感謝の言葉も伝える。



「また拾っても良いかなくらいには?」

「そうね。人助けなら悪くないとは思うわ」



 すると男は急に私に近づいて床に膝をつけると手を握り、キラキラした眼差しを向けてくる。

 私は既に嫌な予感がして、先ほどの発言を取り消したくて堪らない。



「なら、今夜も俺を拾ってください!」

「嫌よ!」

「えぇー!? そこは良いわよって、なるところではありませんか?」

「なんでそうなるのよ!」


 迷わず突っ込むと男は絶望したような表情になり、しゅんと垂れ下がる耳が見える。振られてた尻尾はたらりと下がって、今にも泣きそうだ。

 いや、実際に耳と尻尾は無いんだけど、幻覚を見せてくるほどの落ち込みように、何故だか私が悪者になった気分にさせられる。解せない。

 


「どうかお願いします。俺が頼れるのはあなたしかいないんです」


 私が罪悪感を抱いていると、彼は私の手を握ったまま新緑の瞳はうるうる潤ませ、上目遣いで私に助けを求めてきた。

 この瞳を見ては負けてしまう。

 視線を逸らして反対の意思を示してみるが……1分も経たないうちに静寂のプレッシャーに負けてしまった。



「はぁ……もうなんなの? 仕方ないわね。その代わり屋根裏で寝てくれる? 同室はちょっと……上は広い空きスペースになっていて、毛布もあるから自由に使って」

「ありがとうございます! 貴女は女神ミューズだ」



 許可した途端、彼がまたブンブンと尻尾を振り回しているだけでなく、背景がキラキラ光る幻覚まで見えてくる。

 あまりの切り替えの早さに騙されたようにも感じるが、もうどうにでもなれ。

 私の長所は切り替えの早さだ。決して開き直りではない。


「あなたの名前を教えてもらっていい?」

「そうでしたね。申し遅れました。俺はシェルトと言います。宜しくお願いします、俺のご主人さ──ぶっ」

「だから言わせないわよ!」


 急いで握られていた手を振りほどき、シェルトの頬を両手で強く挟んで食い止めた。

 油断も隙もないわね! 危うくこのまま飼い主認定されるところだったわ。むっと睨んで、警戒しながらそっと手を離す。


「飼うつもりはないわ。良い? 私の名前はアメリーっていうから、ご主人様なんて呼ばないでよ」

「アメリー様ですね」


「様は不要よ。つい敬語忘れちゃってたけど、シェルトさんの方が年上でしょ?」

「26歳になりますね。敬語は癖なので気にしないで下さい。ではアメリーと呼んでも? それに俺の事も呼び捨てで……是非!」


「……分かったわ、シェルト」

「はい、アメリー」



 名前を呼んだだけなのにシェルトは幸せそうに微笑んだ。本当にわんこのような笑顔に毒気が抜けて、私もつられて笑ってしまう。


 そうよ、保護した以上のお礼を頂いた気分だし、もう一泊ぐらい良いわよね。これで貸し借りはトントンでバランスもとれるはず。



「さぁ、屋根裏に案内するわ」

「はい」


 リビングから玄関に行く廊下の壁にかかっている梯子はしごを外し、天井の扉を押し上げる。

 ただこ板が載っているような扉を外して、そのまま梯子を枠の縁に固定した。


「これで登れるわ。屋根裏部屋に毛布や寝袋があるから自由に使って。それと私は朝仕事にでるから鍵はテーブルの上に置いておくわね。起きたら自由に出てってちょうだい」

「ありがとうございます! アメリーはこれからシャワー浴びますよね? 俺は邪魔しないようもう屋根裏に引きこもります」


「えぇ、助かるわ。じゃあシェルト、おやすみなさい」

「はい、おやすみなさいアメリー」


 シェルトはペコリと頭を下げて、するするっと梯子を登り屋根裏部屋に消えていった。


 私は浴室に向かいシャワーを済ませ、疲れた体を癒すためにすぐにベッドに潜り込んだ。枕やシーツからはお日様の香りがして、彼が気を利かせて洗濯してくれたことが分かる。


 律儀な人なんだなぁと思いながら、幸せな香りに包まれて私は夢の世界に旅立った。


 翌朝、窓から溢れる日差しで目を覚まし、バッチリ化粧を施していつもの私の姿で仕事に出た。

 シェルトはまだ起きていないらしいけど、昨日も説明したし起きたら勝手に出ていくはず。

 そう思って仕事を終わらせアパートの前まで帰ってきたのだけれど、植木鉢の鍵を探すが見つからない。

 そして光が漏れている小窓が目の前にあった。私は激しい既視感に目眩がしそうだ。


 昨日と同じように深呼吸してから扉を開け、リビングに進む。するとそこには笑顔のあの男がいた。


「シェルト……」

「あ、おかえりなさい! 夕食にしますか? お風呂にしますか? それとも……おr」

「だから、言わせないってば!」


 そうして私は今日もシェルトの顔に全力でエプロンを投げつけた。

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