第3話 美味しいのは反則だと思う
サクサクッとパン粉の衣が音を立て、ホロホロと崩れた魚の身が口の中で熱を放つ。
衣の程よい油が魚のパサつき感を抑え、ピクルス入りのクリームソースが更にお魚フライの旨味を引き立てていた。添えられているピクルス単品も酸味が程よくシャキシャキで、ついついフォークが進んでしまう。
はい。私は今日もご飯に負けております。
悔しいけど美味しい。揚げ物とピクルスのコンビは反則だわ。常識という概念の抵抗は虚しく、私はすでに3枚目のお魚フライを頬張っている。
「はふはふっ」
「アメリー、口に合ったのは嬉しいけど、火傷に気を付けてくださいね。足りなかったらまだ揚げられますから」
シェルトは心底嬉しそうに眩しく輝く笑顔を向けてくる。
彼に何故まだ居座っているのか問いただそうとはしたのよ?
でもエプロンを投げつけ、問い詰めるために近づいたら目の前に揚げ立ての皿をずいっと出され、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、私のお腹がごはんを渇望したのよ。
「どうぞ! 揚げ立ての今が一番美味しいので、すぐ食べましょう」
シェルトそう言われ、気付けば4枚目を食べている私が今ここにいる。
憎い。
自分の食欲に対する抵抗力の低さが憎いわ。完璧すぎるほど昨日を再現している。きっとこのままでは明日も同じ事が起こるのではと危機感が募る。
私は先に釘を刺しておかないとと思い、一度フォークを置いて姿勢を正した。
「シェルト、また今夜も泊めてって言わないでよ?」
「え、そのつもりなんですが」
当たり前でしょう――と言いたげな顔で返されてしまった。
え? 私が悪いの? 違うわよね?
身なりは良いしお金に困っている様子はなくて、浮浪者ではなさそう。それに体目当てかとも警戒したけど、口説いたり無理やり近づくこともない。私の家に執着する理由が分からない。
「なんで家に帰らないの? 仕事は大丈夫なの?」
「……実は、家も仕事も同時に失ったのです」
「え?」
「幸いにもお金はあるんですが、居場所がなくて……ははは」
シェルトの輝いていた瞳は陰り、表情は抜け落ちた。まるで絶望を思い出しているような暗さで、先程まで明るかった彼の落ち込みように言葉がでない。
仕事場が火事にでもあったのか、魔物に襲われたのか分からない。
ただ両方を失うのは酷く辛いことだけは想像に容易い。財産が守られたと言っても宿に連泊するなんてお金がかかりすぎるし、料理ができないと栄養バランスも心配。アパートを探そうにも時間が必要だわ。
「あなたも大変だったのね」
「……そう、ですね」
シェルトは弱々しい笑みを浮かべる。本当は原因をきっちり聞きたいところだけど、辛い思い出を抉ってしまうだろう。
悲しい思い出は本人が言えるようになるまで、そっとしておくべきだ。無理に聞くのは今の彼には可哀想すぎる。
なんか見捨てづらくなってきたわね。
でも赤の他人の私ができることなんて、新しい部屋と仕事が見つかるまで屋根裏部屋を貸すことくらい。
「仕方ないわね。今夜も泊まって良いわよ」
「ありがとうございます! やはりアメリーは女神だ」
大人の男が両手をあげて喜び始めた。
「その代わり! 新しい仕事と部屋を見つけるまでの間だけよ? 屋根裏部屋だから家賃は請求しないけど、泊める条件としてあなたの自腹で夕御飯を用意すること。こんなに豪華じゃなくて良いわ。どうかしら?」
この街は冒険者が多いから、市場もご飯屋も多いし、料理上手のシェルトなら数日で仕事が決まるはず。
仕事が決まれば部屋の契約も可能だろうし、ざっと1週間程度を見積もった。
「部屋を貰えるのに夕飯だけで良いんですか? もし良ければ朝食も作らせてください!」
「朝食も!?」
「はい! ふわふわのオムレツが得意なんです」
完全に笑顔を取り戻したシェルトの新しい提案は魅力的だ。彼の手料理はとても美味しい。ふわふわのオムレツなんて食べたことがないから、朝ごはんも気になって仕方がない。
でも簡単に頷くことは出来ない。
「それではお金がかかりすぎて、逆に申し訳ないわ。私は屋根裏部屋を貸すことしか出来ないのよ? 夕飯で十分よ?」
「美味しい節約レシピ知ってるんです。それに何も頼る先が無かったから、俺は精神的に助けられているんです。夕飯だけでは返しきれません。だから是非朝食も」
「もう……無理しないでよ。朝食、楽しみにしているわ」
「はい! 任せてください」
心のケアというものは難しい。彼が精神的に楽になるのであれば断ることなど出来ない。それに本当に朝食が今から楽しみなのよね。
そうして止めていた食事を再開し、最終的に6枚のお魚フライを胃に収めた。1枚が小さいとはいえ完全に食べすぎたわ。これから朝ごはんも増えるわけだし、早くシェルトに出てってもらわないと体型が心配。
美味しい紅茶を口にしながら、自分の体型の変化を想像して身震いした。するとシェルトがひょいと顔を覗き込んできた。
「今日の紅茶は美味しくなかったですか?」
「違うのよ。シェルトのごはんが美味しすぎるのも問題だなって……」
「褒め言葉として受け取っておきます」
くすくすと笑いながら、洗い物を終えたシェルトが正面の席に座る。
「俺がお世話になる上でアメリーの生活リズムについて教えてもらえますか? できるだけ、邪魔しないように俺が動くので」
「生活リズム? そうね」
私がいつも起きる時間、出勤時間、帰宅時間、シャワーからの就寝時間まで簡単に説明すると、シェルトはメモ帳に記録していく。
「では出勤に間に合わせるために朝食を作りたいので、朝食を作るときにアメリーを起こしても良いでしょうか?」
「……お願いします」
恋人でもない男に起こしてもらってありなの?
少し悩むが、すっぴんを見られる上に寝顔をずっと晒す方が恥ずかしいと判断して頷いておく。
寝相と寝起きは悪くないから、数分程度なら見られても大丈夫だと思いたい。あと伝えておくことは……
「あ、休日は定食屋の定休日に合わせて週に一度で、次は明後日ね。その日はゆっくり寝るから朝食はいらないわ。シェルトもゆっくりして」
「はい、ありがとうございます」
「私の生活はこんな感じね。何か他に気になることはある?」
「いえ、また何かあったら聞きます」
そうして簡単に相談を終えるとシェルトはメモ帳をポケットに入れ、飲み終えたカップを片付けていく。台所に立つ姿は何故か自然と馴染んでいる。
「ではアメリー、俺は屋根裏部屋に登ります」
「うん、私はシャワー浴びてから寝るわ」
「はい。では明日の朝は起こしますね。朝ごはん楽しみにしててください。おやすみ、アメリー」
「おやすみなさい、シェルト」
私は梯子を登っていくシェルトを見送ると、シャワーを浴びてコップに水を注いだ。
そして一気に飲み干して、一息つくとだんだん冷静になってくる。
私、なんで義理も縁も何もない見知らぬ男を、独り暮らしのアパートに泊めてるのよ!
レディとしての危機感の無さと自分の流され具合に頭を抱えた。
家庭力の高さゆえか、あまり彼を異性として意識せずにいる。むしろ危機感どころか、出会って3日の見知らぬ男にリラックスしている自分がいた。
これがシェルト相手でなかったら、今頃は残念な朝チュン事案ね。
シェルトが下心を持っていない人で良かったわと胸を撫で下ろす。安心すると眠気がやって来た。私は明日の朝を楽しみにしながら眠りについた。
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