ご主人様は忠犬の皮を被った狼に甘やかされる

長月おと

第1話 保護しました

 

 私はアメリー、金髪に茶色い瞳を持った彼氏無し21歳。2年前に相次いで両親を失い、独りでは広すぎる王都の一軒家を親戚に譲って、この街レーベンスに引っ越してきたの。

 今は定食屋にゃんこ亭で働きながら、独りでアパート暮らしをしている。

 このアパートはワンルームにキッチンがついて、シャワーとトイレも別々に完備。そして上の階には普通の部屋と思えるような大きな屋根裏部屋がある私のお気に入りの家。



 私は一日の終わりに仕事の疲れを癒そうと、唯一の贅沢である紅茶を楽しんでいた。

 白地に青い花模様のついたポットに茶葉を入れ、たっぷりのお湯を注ぐ。砂時計をひっくり返して、時間がきたらポットとお揃いのカップに淹れた。出来上がった濃いめの紅茶にほんの少しミルクを足せば完成。


「んー!美味しい」


 少し渋味が出やすい茶葉だけど、ミルクがまろやかさを作り出し、優しく口に広がっていく。ミルクに茶葉を直接入れて煮出した芳醇なミルクティも美味しいけれど、私は後入れのミルクが軽いタイプが好き。



──ドンドン


「ん?」


 私がちょうど紅茶を飲み終えた時、玄関の扉を叩く音が聞こえた。回覧板にしては変な時間だし、人の家を訪ねる時間にしては遅すぎる。一応、私は女で独り暮らし。

 不審に思った私はすぐに鍵は開けずに、警戒するように扉の向こうに声をかけてみる。



「どちら様でしょうか? お名前お願いします」



 聞いてみたけど、何の返答もない。念のため鍵穴から覗くと誰もいない。 誰かのイタズラなのだろうか。

 はぁ……と溜め息が出てしまう。



「みゃー、みゃぁあ!」

「あら、クルル?」



 するとここら辺のご近所仲間で可愛がっている猫のクルルの声が聞こえてきた。

 クルルは日替わりで各家に上がり込んで夜を過ごすのだけれど、今夜は私のところに泊まりに来たみたい。

 きっと誰かがクルルの代わりに扉を叩いていったのかもしれない。



「クルル、いま開けるわね……ひゃ!?」



 そしてドアを開けると玄関の外には灰色の猫クルルと、見知らぬ人間が鞄を抱き締めてドアの前で寝ていた。

 転がっている柔らかそうな亜麻色の髪をした男を素通りして、クルルは部屋に入っていく。



 恐る恐る男の顔を見るために近づく。顔は真っ赤でお酒の臭いがするし、深い寝息を立てて夢の世界に行っている。そして、涙を流したあとが少し見受けられた。

 どうやら泣き上戸の酔っぱらい様が私の家の前で力尽きたようだ。

 いい近所迷惑だわ。



「もしもーし、大丈夫ですか?」

「んー? はーい?」



 声をかけてみるが、男の返事は実に頼りない。山の雪は溶け始め、季節はすっかり春になり、夜はさほど寒くないが朝はグッと冷え込む。寝ぼけている彼を放置すれば確実に風邪を引きそうだ。



「起きて下さい! 帰らないと大変なことになりますよー」

「んー? 帰る? どこに帰れば……」



 起こすように体を揺すると男は目を開け、すくっと立ち上がった。



「もちろん自分の家に……って!?」



 これで帰ってもらえると安心したのも束の間、なんと男は私を無視して部屋に入ると見渡し、目的の場所を見つけたかのようにベッドに向かっていく。


「待ちなさい!そこは――」


 急いで手を伸ばし、立ち塞がろうとするが彼の足取りのほうが早かった。

 制止も虚しく、彼は一直線に進みダイブして寝息を立てはじめてしまった。



「嘘でしょ? 起きてよー! ねぇってば!」

「…………ぐぅ」

「あぁ、もう! 信じられない!」



 何度も体を揺するが、反応がない。男は毛布を手繰り寄せるように抱き締めて、枕に顔を埋めて気持ち良さそうに寝ている。

 でも涙のあとは色濃く、助けを求めて毛布に縋っているようにも見えた。



「はぁぁあぁ……」



 深いため息をついても仕方ないわよね?

 玄関に置き去りにされたかばんをテーブルの上に乗せてからイスに座わり、寝ている彼を見ながら今後について考える。

 不法侵入者がいると警備隊を呼ぼうにもこんな夜中外を出歩く方が危ないし、夜も遅くにご近所さんに迷惑をかけたくない。

 でも見知らぬ男とふたりで同じ部屋で過ごすのも怖いし……と思案する。


 あ、そうだわ!


 私はクローゼットから長めのタオルを選んで男の手を縛っていく。無抵抗の人を縛るなんて、なんだか私が悪い人みたいだけど……これは自衛よ!と自分に言い聞かせて足も縛った。口だけはそのままにしておく。


「よし!」


 これで突然襲われる事は無いはず。

 それでも少し心配なので、武器になりそうな灰かき棒を持って、今夜は椅子に座りながら見張ることにした。

 部屋には規則正しい男の寝息だけが響いている。その音を聞いていると日中働き倒して疲れた私の体は次第に船を漕ぎ、ゆっくりと意識は夢の中に沈んでいった。



「みゃー」

「……ん」


 あぁ、クルルの声が聞こえる。いつもの朝御飯の催促の甘える声だわ。



「みゃー」

「クルル、おは……っ、きゃ!」



 クルルの声に起こされ目を開けると、見知らぬ男が私の顔を覗きんこんでいた。

 縛ってあったはずなのに! と彼の手足を見るが自由になっており、タオルはほどけて床に落ちていた。なんでよ!


 恐る恐る男の顔を見た。彼の眉間には深い溝ができ、頭を押さて不機嫌そうな男が怖い。

 私は慌てて灰かき棒を構えようとするが、それは既に男の手の中。

 もしこの人が極悪人だとしたら、私に勝ち目なんてない。怯えるように固まって男と見つめ合っていると、先に男が口を開いた。




「どういうことか説明してくれませんか? ……っ、すみません。先に水下さい」



 男は頭を両手で抱え、床に膝をついた。不機嫌なのではなく、ただ二日酔いが辛いだけだったようだ。私は一気に冷静さを取り戻した。


「とりあえずイスに座って待ってて」

「あ、はい」


 保冷庫にあった冷たい水をコップに注ぎ渡すと、男は一気に飲み干した。一息ついたところで、昨日のことを伝える。



「あのね、あなたは夜中に突然ドアを叩き、人様の玄関で寝てて、起こしたら勝手に部屋に入って、地べたに転がっていた服のままでベッドで寝て……随分な酔っぱらい様でしたよ」

「……そんな、大変申し訳ありません。俺はなんて迷惑と失礼なことを。だから縛られてたんですね。なんてお詫びをしたら……」

「本当にね」


 昨日のことを詳しく説明すると男はショックを受け、すぐに深々と頭を下げた。

先ほどまでの狂犬のような恐さは消え、申し訳なさそうな姿はしょんぼりとした子犬のようだった。


 もう怖さを感じない男の顔をじっくり見つめてみる。亜麻色の柔らかい髪と少し目尻が下がった新緑の瞳はとある大型犬を彷彿とさせ、年齢は私より少し上に見える。

 体格も騎士ほどではないけれど細くなく、身長は高めで服装も質がいい。


 きっと普段はきちんとした人なのかもしれない。誰だって酔ってハメを外すときはあるでしょう。

 今も肩を落として反省しているようだし、本人に悪気は無いようだからこれ以上は怒らないでおこうかしら。

 さてどうしようかな? と時計を見たらと出勤の時間が迫っていた。無遅刻無欠席が自慢の私がここで記録を途絶えさせるわけにはいかない!


「ちょっと目をつぶってて!」

「え?」

「仕事に遅刻しそうなの! 着替えるから見ないで! ベッドに顔でも沈めてて!」

「はい!」


 慌てて命令する私に対して男は素直にベッドに顔を埋めて言いなりになる。

 パッと着替えて洗面台の前に行き、濡れたタオルで顔を拭いて髪を縛って、リビングに戻って部屋の鍵をテーブルに置く。ついでに冷蔵庫から小さなボトルも取り出して置いた。この部屋には盗まれるような物はないし、隠してある両親の遺品が盗まれたらこの男が犯人だ。


「あなた二日酔い辛いんでしょう? 顔色が悪いわ。この保冷庫にある紫ジュースでも飲んでなさい。まずくても効くから。で、少し休んだらテーブルに置いてある鍵を使って閉めて帰ってね! 鍵はそうね……玄関に植木鉢があるから、花で隠れるように土に突き刺しておいて! 気を付けて帰るのよ。じゃあね!」

「あ……はい」



 そして私は呆然としている男を放って部屋を飛び出て、仕事先である定食屋に走った。

 朝御飯は食べ損ねて、ベッドで寝られなかったから体はダルい。これでも私はお店の看板娘なのに、すっぴんを晒す日がくるとは思わなかったわ。

 すっぴんを見たマスターや女将さんには「朝チュンか?」と笑われたが、きちんと否定した。

 そして開店すればお客様たちにはショックを受けたような視線を向けられる。残念なすっぴんでごめんなさいね!


 昼の部の営業が終わって、夜の部の担当にバトンタッチする頃にはヘトヘトだった。今夜こそマイベッドでゆっくり寝ようと決意して夕方帰宅したのだが……


「あれ?」


 玄関の植木鉢を探るが、鍵が刺さっていない。しかも小窓からは光が漏れている。まさかまだあの男は部屋にいるの?


 私は深呼吸を数回して、ドアを思い切り開けて廊下を通り部屋に乗り込んだ。そこには腰に黒いエプロンを巻いた男が小皿を口元に運び、味見をしているところだった。

 そして私の帰宅に気が付いた男は満面の笑みを浮かべて、こう口を開いた。



「あ、おかえりなさい! 夕食にしますか? お風呂にしますか? それとも……おr」

「言わせないわよ!」



 洗濯に持ち帰ったエプロンを顔に叩きつけて、まるで夫の帰宅を待つ新妻のような男の言動を全力で阻止した。


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