第23話「魔王の切り札」

「何をする、卑怯者め!」




 ニアは喉元に短剣を突き付けられながらも、必死に叫んだ。だが黒衣の者達は微動だにしない。ガーネも動きが取れず、青銅の巨人タロスも命令が無くてはただのでくの坊であった。戦場は膠着したまま止まっている。




「さて、勇者ニア様。あなたには残念ですが、ここで冒険を終えていただきます。魔王将軍ガーネ率いるこの巨人に襲われて、としてね」




 そう言ったのは暗殺集団のリーダーらしき人物。あのドゥラコ国王から命令を受けた黒服の男だった。




「ちょっと待て。あたしはあくまでも勇者と真剣勝負をやろうってんだ。邪魔すんな!」




 ガーネが必死に食い下がる。だが黒服の男はそれを制して言うのだった。




「真剣勝負の末に惜敗する、でしょう?」




「……なんでそれを知ってるんだ」




 魔王将軍たる自分の背後を取る技術もさることながら、八百長システムについても熟知している黒服の男は一体何者なのであろうか。ガーネは歯噛みしたい思いだった。




「それはともかくとして、我々の目的は勇者ニアの命のみ。それさえ済めば他の方を傷付ける意図はございません。無論、このことは是非御内密に願いますがね……では、やれ」




 ニアを羽交い締めにしつつ凶刃を突き付けている黒衣の者が小さく頷く。横一文字で一気に首の頸動脈をやるのだろう。短刀の刃を一度大きく左へ振りかぶった。




(なんてことだ、こんなところで……。お爺様……そして魔王よ。せめて今一度会いたかった)




 オークを普通の剣で倒した。それだけのことではある。だが今自分の一番自慢できることなのだ。そのきっかけを与えてくれた魔王にせめて報告したかった。だがそれももはや叶わぬことである。






「ちょっと待ってもらおうか!」




 魔王ジーヴァの声だった。突然の物言いに一瞬、短刀の動きが止まる。そして短刀の刃が突然塩に変り、次の瞬間粉々に砕けた。




「ほう、魔王様御本人の登場ですか」




 黒服の男は空を見上げた。正確には巨人タロスの肩である。そこにはハンヌを御姫様抱っこしたまま、必死の形相で踏ん張るジーヴァの姿があった。




「ハンヌ、そろそろ良いか。腰をやっちまいそうで」




「えー、もうちょっと駄目ですか。駄目?はい、わかりました。仕方ありません」




 名残惜しそうにハンヌはタロスの肩に降り立つ。




「そこのお前、私の名前を勝手に騙って勇者を倒そうとはどういうつもりだ!」




「フフフ、これはこれは。魔王様の手助けを、と思いましてね。……あなたは手を汚さず貴重な一勝


を得ることが出来る。悪くないと思わないのですか?」




「お前は知らないのか!? 騎士道精神を愛する魔王は真の強き者、勇者との一騎打ちを所望する、ってことになってるんだよ。どこの馬の骨ともわからん奴に邪魔されてたまるか!」




 啖呵を切る、という今までのジーヴァなら信じられない展開ではある。だが彼はせっかく心を開いたニアをみすみすこんなことで失いたくは無かった。例え後日、自分の命を奪いに来るかもしれないとわかっていてもだ。




「なるほど。ですが残念ですが、私の好意は受け取ってもらいましょう。魔王様の望む望まぬは関係ないのですよ!」




 黒服の男は合図をした。ニアに取り付いている黒衣の者は予備のナイフを取り出した。状況は不利のままである。




「ハンヌ、後で俺に代わってルダに謝っといてくれないか?」




「どうしてですか?」




 突然の依頼にきょとんとなるハンヌ。




「せっかくの一点物のタロスが活躍できなかったからな」




 そう言うと魔王は魔力を集中させタロスに送り込んだ。するとタロスの目が怪しく光り、同時に激しく震えだした。




「飛ぶぞ、ハンヌ」




 ジーヴァは空中へ跳び上がったが、状況を理解しかねたハンヌは一瞬判断が遅れた。その瞬間青銅の巨人タロスは微塵に砕けた。




 タロスの体は中空、つまりは『がらんどう』であった。魔王によって魔物化の魔法が解除されれば、薄い青銅の皮膚は泥に戻る。そしてその中は血液代わりとして高圧のスライムで満たされていたのだ。器を無くしたスライムは辺り一面に一斉に弾けながら流れ出すのだった。それは黒服の男も、黒衣の者達も、あるいは勇者パーティーの三人、さらにはガーネや逃げ遅れたハンヌすら飲み込んで行った。




(危なかった。あれに巻き込まれていたら俺でさえも……)




 魔王は手にじんわりとした汗を感じつつ、空中に漂っていた。辺り一面の地面はスライムで覆い尽くされていた。それもピンク色のスライムである。






「ぷはーっ。魔王、無茶すんな!」




 最初にスライムの中から這い出て来たのはガーネだった。さすがは魔王将軍の名は伊達ではない。ブスブスと音を立てながら彼女のビスチェ風衣装とマントが溶けて行く。




「作戦の相談はもうちょっと早めにしてください」




 続いてハンヌもピンク色の海を掻き分けて生還した。彼女自身も気に入っていた暗緑色の制帽制服は影も形も無くなっている。




「悪い悪い。でも教えてたら奇襲にならないだろ?」




 ジーヴァはタロスの体を崩壊させるのと同時に、中のスライムに魔力を加えてピンクスライムに変質させておいたのだ。水分やら魔力を吸収する危ない奴よりは被害が少ないだろう、という判断だったのだが。




「でもさー、敵味方合わせて足止めするんだったら金属溶かすレッドスライムで良かったんじゃね?」




「む……。それでも良かったが、ともかく成功したんだから良かったじゃないか」




 レッドスライム案は確かにジーヴァの中にもあり有力候補ではあった。だがせっかくのチャンスである。未だ見ぬピンクスライムの性能を知るのも魔王にとって必要な義務である、という高度に政治的な判断に基づいた決定であった。




 そう言ってるそばから、勇者の従者二人もなんとか表へ出てきた。カトスは御自慢の肢体が衆目に晒されると『まいっちんぐ』ポーズをとるのだが、魔王は自分が生まれる遥か昔のネタがわかるはずもなく自然とスルーした。ただし目線はカトスに釘付けとなっていたのだが、ガーネとハンヌの猛抗議により自粛した。フィニクは省略。誰も気にする者もいないだろう。




 問題はニアだった。いつまで経っても出て来ない。まさか彼女がこの程度でやられるはずはないのだが、姿が見えない。




「おーいニア。魔王が助けに来たぞー」




「ねーニアちゃーん。お姉さん、心配だから返事して~」




 魔王将軍に賢者、敵味方入り乱れて行方不明の勇者を探すのだった。




「……ここだ」




 ようやく声が聞こえた。消え入りそうなか細い声である。それを頼りに探すのだが、声はすれども姿は見えず。一向に見つからない。




「ったく、めんどい勇者だな」




 しびれを切らしたガーネが無理矢理見つけ出すと、強引にピンクの泥の中から引っ張り出した。


「……こ、これは。どういうことなのだ。私は決してこんなことをしたい訳じゃなくて。というか見るな! 見ないでくれ~」




 ティグロ王からもらったマントと服は完全にスライムの力により消失していた。まあ平たく言えば全裸なのだ。




 恥じらいの無いガーネと、自慢したいのか露出狂なのか判然としないカトスがいるため感覚がマヒするがニアの反応が正常なのだろう。




(こういう場合も積極的に行った方が良いのかな?)




 何やら勘違いしているハンヌもいるが、それはともかく他の女性陣に比べるとどうしても見劣りする彼女。嗜虐趣味のあるカトスとツルペタ好きのガーネは嬉しそうだった。だが、赤面でしゃがみ込み震えるニアの姿を見て喜ぶほど下衆な魔王ではなかった。

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