第九回 「真夜中の影」




 夜更けである。


 妙な気配を感じたクロエは、周囲を確かめながら寝台を出た。


 宿屋の二階、やや手狭な二人用の一室に、自分以外には寝息を立てるルルディアしか居ない。


 気配は、外からしていた。


 ふと、ミドラの夜盗が寝所に侵入してきたとか何とかの話を思い出す。


 手早く寝間着に外套を羽織ったクロエは、桃花剣を掴んで部屋を出た。


 あれで健康優良児のルルディアは、一度寝るとめったなことでは起きない。


 階段を下って、裏庭に通じる広間に向かう。


 途中で、もしかして自分に用のある客なのではないか、とクロエは思った。


 昼間の一件はあいまいに決着したが、今度こそ王国からの追手や、うわさを聞き付けた賞金稼ぎが寝首をきに来ていたとしても不思議はない。


 もしそうならば、誰にも気付かれない内に対処しておきたかった。


 ミドラはああ言ってくれたが、仲間だからこそ、自分のことで面倒を掛けるのは気が引ける。


 まずは、自分ひとりで当たってみることだ。




「——おお、やっぱり来たな」


「うえっ⁉ み、ミドラさん……!」


「今度こそ、頼ってもらえるかと期待してたんですが。残念です」


「イリオラさんも……」




 裏口の手前、柱の陰から声が掛かったと思えば、暗闇からミドラとイリオラが姿を見せた。


 ばつの悪い心持ちで、クロエは桃花剣を後ろに隠した。




「こ、こんな遅くに、お二人で何を? もしかして、逢引きの最中でし――」


「——反吐へどが出ます」




 食い気味でイリオラが否定した。




「刺し殺してやってもいいんだぞ?」


「聞きましたか、クロエ? 隠喩にもなっていない卑語です。品のない。それに、私は受けるよりも攻める方が燃えるたちです」


「何でも色事で例えなきゃ気が済まないか? お前の方が下品だ」


「刺し殺しますよ?」




 どっちの意味でだろうか。


 いきなり揉め出した二人に、これもしかしてごまかせたんじゃないか、とクロエが希望を抱きかけたところで、ミドラが向き直って肩を掴んできた。




「さて、お前も大概頑固な奴だな。あたしの話は聞こえなかったか? その耳は魔術の撃ち過ぎで難聴になってるのか?」


「そんなことは。ほら。ミドラさんが言っていた夜盗の話を思い出して、寝られなくなっただけです。ちゃんと聞こえてます」


「ほォ、たかが夜盗がね。ならどうして、こんなところをうろついてる?」


「水でも飲もうかと。こっちですよね?」


「食堂は、あっちだ」




 肩越しに後ろを指さすミドラが、掴む手に力を込めた。




「あっははは、記憶違いでした。それじゃあ……」


「剣と魔術は上等でも、芝居の方は、だな」


「クロエも、外の客を迎えようとしたのでしょう?」




 イリオラが、裏口の扉を見遣った。


 さすがに歴戦の冒険者二人、クロエ程度が気付いたものを感じ取れないわけもない。


 いかにも呆れた、という調子で、ミドラが息を吐いた。




「耳じゃなくて頭に問題があるのか? 昼間にひとりで見栄みえ張ってどんな目に遭った? あァ?」


「ぐっ……」


「あんぐらいの腕利きが、扉の向こうに雁首がんくびそろえて突っ立ってたらどうするね? お前の貧相な身体はあわれ真っ二つ、かわいそうに泣き別れだ」


「ぐうっ……!」


「そんで、あたしらの朝飯は最悪の味になる。そう、最悪。誰のせいだ、これは?」


「で、でも……‼」


「聞け、クロエ。聞くんだ。小娘が、生意気に気を遣うんじゃない。——これから先も、自分ひとりで戦うつもりか」




 暗い広間に、ミドラのいつになく真剣な声が響いた。




「もう他人じゃない。あたしにとっちゃ、もう他人事じゃないんだ。お前は、あたしの大事な仲間だし、イリオラだって、ルルディアだってそうだ。ラニカ、フィッタ、ネミア、ゾカ、あの間抜け面たちもだ」




 まっすぐにこちらを見つめるミドラの瞳から、クロエは視線を外せなかった。


 燭台の明かりが、遠くで揺れている。


 ぼんやりと照らし出されるミドラの横顔に、初めて見る顔だ、とクロエは思った。




「指名手配だろうが、追手が掛かろうが関係ない。あたしの身内に手を出す奴は許さん。たとえルルディアが同じ境遇になってもあたしは首を突っ込むし、イリオラの場合でも――心底面倒だが、多分同じことをやるだろうさ」


「どうも。愛されていて嬉しいかぎりです」




 イリオラが魔道具の提灯を用意しながら、背中越しに声を上げた。


 掴まれた肩から、熱が伝わってくる。


 仲間。未だに、夢のような言葉だった。


 失いたくないから、敵から遠ざける。


 その分、自分が率先して前に出ればいい。


 クロエには、それが正解としか思えないのだ。




「理由がないとは思わんがね。……危う過ぎる。それが、十四の小娘のふるまいか」


「わたしは」


「いつか、命取りになる。早けりゃ今日にも。さすがに、見てられん」




 ミドラが、ひときわ厳しい眼を向けた。




「何でも知り合ってる仲じゃない。お前にも、言いたくないことの百や二百あるだろうさ。だがな、一度仲間にすると決めたからには、あたしらの気持ちってもんがあるだろうよ」


「……気持ち、ですか?」


「あァ、一等大事なもんだ。最優先するべきな。今は、お前のよそよそしい態度が気に食わん」


「甘えてほしい、の間違いでは?」


「黙ってろ、イリオラ。……クロエ。もっと、あたしらを頼れ。これでも、先輩だ。冒険者としても、生きてる歳数でもな」


「……右も左も分からないわたしに、十分親切にしてもらっています」


「そんなのは、大したことじゃない。もっと、深く、だ」


「深く。……頼り切れば、巻き添えにしてしまいます。それも、生死に関わるほどに」


「巻き添え上等。おどしは通じんぜ、クロエ。こちとら、斬った張ったでおまんま食ってんだ。そういうもんをひっくるめて、一緒にどろ被れるのが、身内ってもんだろうが」




 自分は、今どういう顔をしているだろうか。


 ふと、クロエはそう思った。


 明かりに照らされ揺れている自分は、ミドラにこうも言わせるほどの人間なのか。






「どうしても納得いかなきゃ、あたしらがおっ死んじまう前にお前が敵を倒すんだな。忘れるな。あたしらの傍で、だ。——自分だけでどうこうしようって離れて動いてると、いざって時に手が届かなくて、あたしら勝手にくたばっちまうかもしれんぜ」






 強く握ってから、ミドラはぽんっ、と、ひと叩きして手を離した。


 顔には、笑みが戻っている。


 いつものミドラだった。




「さァ、夜中にのこのこやって来た、無粋な客の面を拝んでやろうや」




 ミドラが扉へときびすを返した。


 立ち尽くしていたクロエは、続くイリオラに促されてその背を追う。


 最後にミドラに言われたことが、頭から離れなかった。


 影が、こちらを見ている。


 十四年前に別れたはずの影が、すぐ後ろに立っているのだ。 








 夜陰に包まれた裏庭に、人影が二つ。


 イリオラが掲げる提灯に照らされて、ぼんやりと浮かび上がった。




「驚いた。武芸者と言ってたが、本職は曲芸師か?」




 先頭に立ったミドラが、人影の顔を見て言った。 




「出ようと思えば、いつでも出られる。武芸者にとって、牢とはそういうものでしかありません」




 地面に膝をついたまま、手前の影が声を上げた。


 黒髪を横で縛った獣人の少女、ハルヴァである。


 ひとつ後ろには、ガトラシャが心持ちぎこちなく胡坐あぐらをかいて座り込んでいた。




「極論だが、概ね同意だな」




 相手が追手の類ではないと分かって、クロエは少しばかり気を緩めた。


 相変わらず得体は知れないが、少なくとも今のところ敵意は感じられない。




「それで、用向きは? あたしらは、こんな時間に集まるような友達だったか?」


「夜分に、申し訳ありません。火急のことでしたので。クロエ・ルルー殿に、もう一度まみえたく参りました」




 ミドラの軽口に気を悪くした様子もなく、ハルヴァが少し頭を下げた。


 かばうように前に出ていた二人の間を割って、クロエはハルヴァの対面に立った。




「まずは、昼の一件をおびに」


「……確かに、いきなりのことで驚きました。ですが、あなたたちから殺気を感じるようなことは、一瞬たりともありませんでした。わたしには、あなたが悪人とは思えません」


「どうだか。脱獄囚だ」


「ミドラさん」


「言ってみただけだ」




 肩を竦めるミドラの利き手は、さりげなく彎刀に添えられていた。


 ガトラシャが、ハルヴァの後ろで眼だけを光らせている。


 昼間とは打って変わって静かだが、内には烈しい気をこらえているのだろう、とクロエは思った。


 イリオラの提灯に照らされながら、ハルヴァが下げていた頭をゆっくりと戻した。




「訳あって、と申し上げました」


「覚えています」


「クロエ・ルルー殿の魔術の腕をこの眼で見、確信致しました。あなたをおいて他には望むべくもない、と」


「わたしの、魔術? そういえば、あの時も聞きましたが……それが、手合わせの理由ですか?」


「いかにも。——ハルヴァ・ギヤン! 恥を忍んでお頼み申し上げます! どうか、そのお力を、我が同胞はらからを救うためにお貸しくださいませ!」




 叫ぶや、ハルヴァが勢いよく叩頭こうとうした。


 突然のことで、クロエは戸惑いながらも、二人の尋常でない様子を察して思わず声を上げた。




「救う、とは?」


「ここより西、我らが集落に賊の大軍が攻めて来たのが三日前。我ら一同、干戈を執って戦いましたが、敵に魔術師の一団が居り、支え切れず――砦が落ちるよりも前に救援を求めるべく、このガトラシャと二人、賊の重囲を斬り抜けて参りました」


「……賊の中に、まとまった数の魔術師が?」


「はい。それ故に、奴らに対抗できる強力な魔術師を探していたのです。クロエ・ルルー殿。勇者すらも退けたあなたならば――。どうか、どうかお力添えを」




 頭を下げ切ったまま、ハルヴァが繰り返す。


 ガトラシャも、黙ってそれに倣っていた。




「……ギヤンさんよ。そりゃ、ってもんだろうぜ」




 ややあって、真っ先に口を開いたのはミドラだった。




「うちのクロエに白昼堂々斬り掛かっておいて、今度は助けろだ? てめえの目的のためなら、仁義もへったくれもないってのか? ――身勝手が、過ぎるぞ」




 怒気をはらんだ声色に、クロエはとっさにそちらを見遣った。




「無理を通したのは、あたしだけだ……‼ 責めなら、あたしが――」


「——黙っていろ、トラ!」




 立ち上がりかけたガトラシャを、ハルヴァが大声で制した。




「おっしゃる通り。非礼は、元より十分承知のこと。その上で、お力を量る必要がありました。……風評を呑みにして仕損じるようなことになれば、皆に申し訳が立ちません」


もっともらしい物言いだが、それが通るとでも? められたもんだな」


「許して頂きたい、とは申しません。非礼のけじめに首を差し出せと言われれば、私ごときの首などいつでも出しましょう。ですが、その後は、何卒なにとぞ私どもの望みをお聞き入れ願いたく」


「ハルヴァ……⁉」


「この者は、集落までの案内に残して頂きたい」




 地面に額をこすり付けるハルヴァに、ミドラもそれ以上は言わなかった。


 確かに、身勝手と言われても仕方ないところはある。


 実際に斬り結んだクロエよりも、はらはらしながら傍で見ていたミドラたちの方が、その思いは強いだろう。


 だが、クロエにとっては、理不尽というほどのものではなかった。


 少なくとも、同胞を救いたいということに関してだけは、ハルヴァたちのふるまいは筋が通っている。


 懸命、と言い換えてもいい。


 それだけは、痛いほど伝わってきた。


 何かを頼むということは、結局は身勝手にしか成り得ないのだ。


 誠意を示せるとしたら、理を尽くした説得よりも、願いのためにどれだけのことができるか、どれだけ懸命になれるかである。


 自らの一死を以て、仲間を救おうというハルヴァの執念は、見事としか言いようがなかった。


 胸を突かれたのは、クロエだけではない。


 何だかんだ言いつつ、そうした意気に感じることができるのも、ミドラの美点であった。


 これほどの覚悟を見せられて、どうしていつまでも被害者気取りで居られようか。




「あたしだ――‼ 首なら、あたしのをねればいい――‼ 刎ねてくれい‼」




 わめきながら、ガトラシャがえりを思い切り広げる。


 クロエは、じっと頭を下げたままのハルヴァに一歩近付いて、顔を上げるように言った。




「ギヤンさん。……!」




 ハルヴァは、涙をこぼしていた。


 血のにじむほどに拳を握り締め、まっすぐにクロエを見上げている。


 見覚えのある眼だ。


 クロエは、身体の中で騒ぎ出した何かを感じながら、そう思った。






「——今更、死が恐ろしくて涙が止まらぬのではありません。ただ、心中の怒りと悔しさを、おさえ切れないでいるのです」






 震えた声で、ハルヴァが言った。


 必死に激情を堪えようとするその姿に、クロエの腹の底にも熱が渦巻く。


 沸々と込み上げるのは、久しく味わっていなかったものだ。


 ハルヴァから、眼が離せない。


 ミドラに、あんなことを言われたからか。


 ふざけるな。


 これでは、まるで――。




「いかに国が乱れているとっても、ただ享楽のために無辜むこの民を、それも老人や子供まで見境なく殺めようとする賊徒へのいきどおり……!」




 もう、いい。




「それを討つどころか、大切な仲間が外道どもの為すがままに蹂躙じゅうりんされるのを、どうすることもできないでいる口惜しさ……!」




 もう、十分だ。




「そして何より‼ 肝心な時には大切なものひとつ守れない、我が身の非力さ! ――そんな自分に、心底腹が立つ……‼」






 それ以上、言ってくれるな――‼






 総身に、熱いものがみなぎるる。



 奔流のような熱が、身体の奥でたぎり、暴れ回っている。



 自分を見上げるハルヴァの表情が、驚愕に塗り変わった。



 身体の中のものが、抑え切れなくなっている。




「クロエ……⁉」




 後ろから掛かったミドラの声で、クロエはほんの僅かに冷静さを取り戻した。






「……少し、時間をください。仲間と、考えなければ」






 それだけをどうにか言って、クロエは、ばっと踵を返した。


 影。


 き動かされるように、早足になっていた。


 後ろからは、ミドラとイリオラの追ってくる気配がしている。


 裏口の扉まで来て振り返った時、ハルヴァはこちらに向かってまた地面に額を付けていた。



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