第八回 「虎狼の人」
派手な音を立てて、木製の長卓が木っ端みじんになる。
突然のことに、反応できたのは僅か二人だけだった。
振り下ろしを見るや、クロエは、とっさに背後のルルディアにもたれるように思い切り身体を倒し、襲撃者の胴を蹴り飛ばしていた。
振り下ろされた得物には、対面のミドラが彎刀をすくい上げるようにぶつけている。
相手の浮いた身体と、軌道を逸らされた武器。
それが、クロエではなく眼前の長卓が絶命するに至った分岐点である。
甲高い音を立てた一瞬の攻防は、ただちに一同の知るところとなった。
「賞金稼ぎか――!」
襲撃者の少女は、周囲の客にひと
立ち上がったクロエと、十歩ほどを挟んで対峙する。
「気を付けろ、クロエ。今の一撃は、とてつもなく重かった。金に眼がくらんだ雑魚じゃない」
「はい、ミドラさん。下がっていてください。わたしがやります」
「馬鹿言うな。同時に打ち掛かった方が確実だ」
「狙いは、わたしです。迷惑は掛けられません」
「今更、他人面か。仲間のことだ」
「ではまず、わたしが相手の力を推し量ってきます。下っ端の務めです。その方が、確実でしょう」
「聞かん奴だな、お前も。好きにしな。やられそうになったら、こっちも勝手に動く」
ミドラが、彎刀を肩に当てて、いきり立つ部下を抑える。
少女は、クロエが打ち掛かってくるのを待っているのか、動こうとしていない。
右手には、矛と月牙の組み合わさった長柄武器である
その手戟に、淡い光が灯った。
魔力の流された証である。
つまり、先ほどの一撃は素の膂力だけで振り下ろされたということだ。
相当な使い手である、ということは分かる者には一目瞭然だった。
やはり、ミドラはともかく、ルルディアたちを近付かせるべきではない。
「……王国の追手ですか?」
「ごちゃごちゃ抜かさずに、とっとと構えろ。あたしの双手戟の
是非もない。
クロエは、
「それでいい」
「わたしは、まったくよくないです」
こちらも剣身に魔力を走らせる。
状況は、戦う前から不利であった。
クロエは、剣も使えるが、本職は魔術師である。
相手の力量が分からぬ場合、まずは魔術で牽制と小手調べを仕掛けるのが常套手段だが、こうも人の多い屋内ではそれもできない。
加えて、魔術師と剣士の戦いでは、多くの場合、接近を許した魔術師が惨敗するはめになるのだ。
頭でっかちな魔術師は白兵に
まともに打ち合えば、おそらくは向こうに有利。
それが、たかが十歩の間合いに入られている。
「どうした、来ねえのか?」
剣を握る手に力が入る。
何とか、店の外に誘き出せれば。
クロエは、腹を
「——賊が、ここを何処だと思っている……‼」
一瞬早く、少女の横合いから、ネルガが声を上げて刀を薙ぎ払った。
「片腕は引っ込んでなァ――‼」
がん、と鈍い音が響く。
少女の膂力が凄まじいのか、風を切って振り払われた手戟が、ネルガの曲刀を弾き返した。
ここだ。
振りかぶったままの少女めがけて、クロエは床を蹴った。
手戟を戻した少女の眼前で、急制動を掛ける。
空振りに終わった一閃に冷や汗が噴き出るのを感じつつ、クロエは両掌に魔力を込めた。
そのまま、相手の胴に向けて突き出す。
「吹き飛べっ」
「う、おおおおお⁉」
一点に凝縮された突風が、至近距離から砲弾のように少女に撃ち掛けられる。
魔力の外力変化、風系魔術のひとつ、
柄で受け止めた少女が、衝撃を殺し切れずに突き上げられた。
クロエの狙い通り、店の扉を突き破って外まで出ていく。
桃花剣を片手に、クロエはその後を追って飛び出した。
「やるじゃねえか」
「——ッ!」
直後に、猛烈な薙ぎ払いが襲ってきた。
とっさに剣で受けるも、あまりの重さに弾き飛ばされる。
膂力では、明らかに向こうが上だった。
まともに打ち合うのはやはり得策ではない、とクロエは壁を蹴って間合いを取った。
「あー! あいつ、ルベリア人っすよ⁉」
「ちくしょうが、獣人は情義に篤いって話はどうなったんだ」
店の入り口に出てきたルルディアが、少女を指さして声を上げた。
顔を隠していた外套は、クロエの魔術の余波ですっかり
「おめえ、魔術師にしては動けるじゃねえか」
「あなたも、並みの腕じゃない。……一体何者ですか?」
「テグルム部の、ガトラシャ・クルグ。おめえと手合わせがしたいだけの、ただの武芸者だ」
笑みを浮かべているガトラシャに、うそを言っている気配はなかった。
王国の手の者ならば、もっと
武芸者の世界とやらには無縁のクロエだが、確かに名が売れれば道場破りのような感覚で手合わせがしたい、という者が現れるのも、想像に難くはない。
ネルガたちの様子を見るに、自分の名もそれなりに売れていることだろう。
だが――
「わたしは、剣を少々使えるだけの、魔術師です」
「それよ。ただの剣士にゃ用はねえ」
ガトラシャが、ミドラたちを牽制するように手戟を払って視線を遣る。
「そんで、ただの魔術師にも用はねえ」
腰元から、ガトラシャはもう一振り手戟を取り出した。
双手戟。
確かに、そう言っていた。
「——勇者を倒せるほどの魔術師。あたしが確かめたいのは、そいつだ」
「確かめる?」
「だから、簡単に死んでくれるな――‼」
両手に手戟を携えて、ガトラシャが駆け出した。
街路の通行人は、巻き添えを恐れて遠巻きになっている。
これならば――
「
下がりつつ突き出した左手から、十条の雷が放たれる。
ガトラシャは、まるで脚を緩めずに突っ込んでくる。
「しゃらくさいわ――!」
殺到する十本の雷矢を、ガトラシャが手戟で強引に弾き飛ばした。
初級呪文とはいえ、相応の魔力を込めてあったのだ。
それを、まるで羽虫でも払うかのようにものともしないとは――‼
「——ッ! チェハアアアアァ!」
「そうだ。そこで前に出る奴じゃねえとな」
桃花剣を振りかぶったクロエに、ガトラシャも手戟を引き絞る。
魔力衝突の紫電が
とっさに、左手に魔力を集中させる。
すぐさま、透き通った板ができあがった。
魔力の外力展開、魔力防盾。
円形になったそれを、ガトラシャの手戟が音を立てて
切っ先を翻して、クロエは剣線を斜めに振り下ろした。
「速いだけかァ!」
手戟を合わせてきたガトラシャに簡単に受け止められて、クロエは歯
打ち合いになってしまう。
一撃一撃が、尋常でない重さだ。
剣を持つ手がしびれて取りこぼしそうになるのを、クロエは必死に
あと十合と持たずに、斬られる。
それは、はっきりと分かった。
「クロエ!」
「邪魔立てする奴ァ、ぶった斬るぞ――‼」
危機を案じたミドラの声に、ガトラシャが
首元を掠めていった手戟が戻ってくるより早く、クロエは地を蹴った。
「おめえ、勝負を捨てやがったなァーー‼」
不用意にも宙に身を躍らせたクロエに、ガトラシャが猛烈な斬り上げを放つ。
クロエの小さな身体を確実に両断するはずの一閃は、しかし音を立てて途中で止まった。
壁。
瞬時に二人の間に現れた分厚い壁が、下半分を裂かれながらも、手戟を食い込ませている。
魔力の外力展開、魔力障壁。
うんと魔力を込めた、逸品である。
「何だァ――⁉」
「
壁を蹴ってとんぼ返りを決めたクロエが、動きを止めたガトラシャに空中から照準を合わせる。
「——
虚空から突き出た光の柱が、ガトラシャの周囲に次々と突き立った。
手戟を戻そうにも、ガトラシャは五本の柱に
好機とばかりに、着地したクロエが矢継ぎ早の詠唱を繰り出す。
「
勢いよく柱に巻き付いた雷鎖が、光柱の間隔を狭めて拘束を完全なものにしてしまう。
「はんっ、こんなもんが――!」
圧し潰されない程度に挟まれたガトラシャは、膂力で強引に突破しようと試みたが、クロエが追加で膨大な魔力を送っているのもあって、どうしても脱出できない。
こうなると、互いに顔を真っ赤にしての意地の張り合いである。
ややあって、ガトラシャが手戟を思い切り放り投げて降参の意を示した。
「かァっ! このあたしが、差しで戦って、してやられるたァ!」
「ぎりぎりでした。あと二合、いや一合打ち合っていれば、わたしが斬られてた」
「当ったりめえよ。ガトラシャ・クルグ様に剣戟で
拘束を打ち消したクロエに悔しさをぶつけていたガトラシャが、ふと視線を逸らした。
何かと思ってその先を追うと、街路を横断するように掛かっている陸橋——近くの三階建ての商店と商店をつないでいる渡り廊下である——の
揃いの外套。
同じく顔は窺えないが、どう考えてもガトラシャの仲間なのだろう。
「見事だ、クロエ・ルルー。その魔術の
朗々とした声だった。
ガトラシャよりも低いが、やはり少女の声だ。
「私とも、一手仕合ってもらいたい」
「いきなりじゃないのはありがたいですが」
「そりゃ、あたしのことを言ってやがんのか?」
「他に誰が?」
「おめえ……‼」
「下がれ、トラ。私も、自分で確かめてみたくなった」
「……! はっ! せいぜい吠え面かかされやがれ!」
店の壁に突き刺さった手戟を引き抜いて、ガトラシャが距離を取る。
いつの間にかまた勝負を受ける雰囲気になっているが、自分は一度も了承していないのだが。
「私は、ハルヴァ・ギヤン。コルウト部の出自だ」
外套を脱ぎ去ったハルヴァは、やはり頭部に獣耳のある獣人種——ルベリア人、というらしい——だった。
どことなく虎っぽかったガトラシャと違って、こちらは耳の形が狼っぽい。
得物は、長柄の大刀に似たものである。
クロエの半身ほどもある刀身を持ったそれを、軽々と扱っていた。
こちらも、凄腕の武芸者と見える。
「訳あって、手並みを拝見したい」
荒っぽいガトラシャの仲間とは思えないほど、ハルヴァは落ち着いている。
だが、まとう雰囲気には有無を言わさぬ
興味本位という以上の、何かがあるのか。
ガトラシャも、確かめる、と言っていた。
訳とは。
気になったが、手合わせに応じない限りは答えてくれないだろう、という気もする。
「分かりました」
「ありがたい。手加減は、無用に願う」
再び桃花剣を構えたクロエに、ハルヴァが頷いた。
水平に構えられた大刀が、陽光を反射して輝いている。
どちらからともなく、飛び出した。
ハルヴァの強烈な振り下ろしに、剣を横から叩き付ける。
尋常でない手応え。
一合しただけで、相手の実力が自分の数段上だと分かった。
馳せ違って、着地するまでに魔力を練り上げる。
やはり、自分に勝機があるとしたら、魔術での奇襲にしかない。
「——全員、動くな‼」
振り返って術を発動させようとしたクロエの周囲から、いきなり怒声が響いた。
辺りを見渡せば、いつの間にか町の警備兵と思しき一団にすっかり囲まれている。
店の客か、通行人が通報したのだろう。
街中でこれだけ派手にやり合っていれば、むしろ当然のことだった。
「逆らうな、トラ」
「何だと――⁉ 寄り道食ってる暇があるってえのかよ⁉」
「ここで手向かえば、それこそ賊になる」
「……‼ がああああ‼ おめえのそういうところが気に食わねえぜ、まったくよォ‼」
武器を置いたハルヴァと、
目撃者が口利きしたのか、クロエは二、三質問されただけで、連行されるようなことはなかった。
手錠をはめられて連れていかれる二人の背を見ながら、クロエは拍子抜けのような気分になっていた。
「大丈夫か、クロエ?」
「……はい。かすり傷ばかりです」
「決着がつかなくて、不完全燃焼か?」
「そんなことは――ないこともないですが」
近寄ってきたミドラの方に向き直って、クロエは何とも言えない顔をした。
「冒険者としては悪くない傾向だが、今回ばかりは助けられたな」
「はい。剣では、絶対に勝てませんでした。負けても、殺されることはなかったでしょうけど……ただ、気になって」
「追手や、賞金稼ぎじゃなかったようだが」
嵐のようにやってきて、また突然と去っていった。
名以外に、何も知らないというのに、クロエは妙に二人のことが気になっていた。
「ともあれ、上手く収まった、という気がするがね。あんまり深く考えない方がいい。この稼業をやってりゃ、よくあることだ」
「そういうものですか」
「そういうもんさ。傷を治したら、ぼちぼち宿に帰ろうや。マルルモへの言い訳を考えなきゃな」
「不可抗力です」
「あの頑固爺の前で、同じことを言ってみな」
それとなく肩を
まずは、心配のあまり青い顔をしているルルディアたちに、何でもないと言うことだった。
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