第七回 「あいつはうわさの小英雄」




 一行は、アンカルニアの町に着いた。


 高台に建てられた町は街道の終着点で、今までの平原と比べて、ここからは丘陵の高低が目立つようになる。


 その間を縫うようにして新たな街道——敷設者の名を取って、ボッツガエ街道と呼ばれる——が北へ走り、やがてはエレクマウのある北部山岳地帯へと至るのだ。


 町は、台地の上にある小城と、それを取り巻くように作られた市街地から成っていた。




「まずは、宿だな。商売は明日からだ」


「宿賃をケチるなよ、旦那。またあたしの部屋に夜盗が入ってきたら、あんたのせいだからな」


「分かっておるわ。まったく、生娘でもあるまいし。お前さんの部屋に入った賊の方が哀れだわい」


「あんまりなことをやると、雇った護衛がそのまま賊に早変わり――って話もよく聞くぞ、旦那。気を付けなきゃな」




 マルルモは、市街地にある市場で露店を張るつもりらしかった。


 その間、ミドラたちはお役御免で、せいぜい店の用心棒くらいの仕事しかない。




「そうさな。今回は、確かにお嬢ちゃんを連れておるしな」


「へっ。クロエがその気になりゃ、夜盗なんぞそれこそ消し炭になっちまァ。原型が残るだけ、あたしの方がまだ優しいよ」


「しませんよ?」




 石畳を行く馬車の荷台で、クロエは寝転がっているミドラを半眼で見遣る。


 飄々とした女隊長は、その頭をクロエの太腿ふとももに乗せて、気にもしていない。


 いわゆる、膝枕の体勢であった。


 あの襲撃以降、ミドラたちとの距離は縮まっている。


 度々ある魔物魔獣の撃退にも、クロエはその援護を任されるようになったし、ミドラ以外の者とも交流を深め、仲間と呼んで差し支えない関係になっていた。


 クロエがどうして王国を追われるはめになったのか、ということも、隊の人間はみんな知っている。


 何度目かの宴の時に、クロエが酔っぱらって告白したのだ。


 酒は、きっかけに過ぎなかった。


 この人たちになら、言ってもいいか、といつの間にか思っていたのである。


 もっとも、はじめから隠そうという断固とした意志があったわけでもないのだが。




「あの宿にするとしよう。赤い屋根の。ほれ、馬を厩舎に入れる手伝いをしてくれ」


「あい、あい。クロエ、後ろのイリオラたちに伝えてきてくれ」


「分かりました」




 身を起こしたミドラにひとつ頷いて、クロエは荷台を降りた。


 後続の馬車は、少し離れて付いてきていた。


 整然とした歩道と車道の区別がないために、街路には人がごった返しており、大型の荷馬車が通るには苦労しているのだ。


 誘導係を務めて、最後の一台に付いていったクロエが宿に入った時には、マルルモが既に記帳を済ませていた。




「クロエー! 腹が減ったっす! 飯にするっすよ!」


「ここにも食堂はあるらしいですけど、どうします?」


「せっかくだ。外に行こうぜ」




 駆け寄ってきたルルディアと話していると、後ろからミドラに肩を抱かれる。




「いいよな、旦那?」


「勝手にせい。面倒は起こすなよ」


「そりゃ、あたしに言ってんのかい? それともクロエに?」


「分かり切ったことを聞くな。両方だ」


「何もしないって言ってるじゃないですか!」


「よく言う」




 真顔のマルルモへの抗議のもなく、へらへらと笑うミドラに押されて宿を出る。


 すぐ横ではルルディアが同じく肩を抱かれており、少し遅れて、イリオラと数人が付いてきていた。


 アンカルニアの市街地は、大きくもなく、かといって小さくもない、という感じである。


 クロエの出身であるリットメウよりは活気があるが、さすがに王都のそれには遠く及ばない。


 ただ、町の周囲に張り巡らされた城壁の外観や、水道を意識した街中の意匠などは、王国のものとも違って異国情緒を感じさせた。


 そこらを歩いている者も、見慣れない恰好をしていることが多い。


 中には、はっきりと人間でない者——頭部に角を生やした者や、肌の色の青い者、すなわち魔族と見て取れる通行人も居た。


 ここは、魔族の支配する国なのだ。


 そして、ミドラたちのような人間も住んでいる。




「おお……冒険してる感ある……‼」




 クロエの中に眠る中学二年生が盛んに反応していた。


 きょろきょろとあちこちを見回しては「あれは何か」と尋ねるクロエにも、ミドラたちは嫌な顔せずに教えてくれた。


 しばし大通りを練り歩いてから、クロエたちはにぎわっている食堂を一軒見つけ、連れ立って入っていった。




「七人だ。席あるかい?」


「はい! こちらへどうぞ――ッ⁉」




 入口付近を歩いていた給仕の女にミドラが声を掛けた。


 愛想よく返事をしてくれた女が、ミドラの影に居たクロエを見るや、驚愕の表情を浮かべる。




「お姉さん?」


「えっ、あ、はい! すみません! いいい、今ご案内します!」




 明らかに挙動不審な給仕に従って、奥の席を勧められる。


 首を傾げるクロエをよそに、隣に座ったルルディアがさっさと注文を考え出した。




「この辺りの名物みたいなんないっすかねー」


「聞いてみりゃいいだろ」


「それが、さっきのお姉さん奥に引っ込んじまったっす」


「あー? まァ、賑わってる感じだしな。忙しいんだろ」


「私、甘いものが食べたい気分です」


「クロエは?」




 紙に書かれた料理の品目に眼を通していると、クロエはふと視線を感じた。


 それとなく周囲を見渡せば、店中の客がこちらを見ている。




「ひいっ……⁉」




 もはや怪談である。


 クロエが小さな悲鳴を上げたのを拍子に、客の何人かが立ち上がった。


 店内の空気が一層ざわめく。


 やがてクロエたちの座っている席にまで歩み寄ってきた。




「ちょっといいかい」




 三人の内のひとり、片腕のない女だった。


 褐色赤眼、頭には半ばに折れた曲がり角が生えており、それだけで魔族と知れた。




「あんたは?」




 奥に腰掛けていたミドラが、代表して声を上げた。


 クロエは、その向かいの手前側に座っている。




「ネルガだ。きたいことがある」


「あたしらは、給仕の方に用があるんだがね……まァ、いいさ。そっちの二人も、同じ用向きか?」




 ネルガの傍らに立っていた二人——どちらも壮年の男で、見た目は人間である――が黙って頷いた。




「名は?」




 ネルガが、クロエを見て言った。




「? クロエ・ルルーです」


「——ッ!」




 ネルガが、息を呑んだ。


 周囲にも、同様の気配が伝播でんぱする。


 間があって、意を決したようにネルガが口を開く。






「——王国の勇者を倒したというのは、本当か?」






 心臓が跳ねた。


 ミドラたちが、警戒をあらわにする。


 王国からの指名手配の話が、この国でもある程度広まっていることは、既にマルルモから聞いていた。


 そもそもが、アルシャにも似たようなことを言われて流れてきたのだ。


 しかし、実際面と向かって問われると、緊張が走る。


 本当に、アルシャの言う通りの反応であればいい。


 だが、指名手配には、多額の懸賞金も掛けられている。


 ともすれば、次の瞬間にネルガや他の客が、クロエに斬り掛かってきてもおかしくはないのだ。




「……本当です。わたしが、正勇者、アーノルド・クラルヴァインを打ちのめしました」




 ごまかすような場面ではない。


 クロエは、ネルガの眼をまっすぐに見上げたまま、静かに言った。


 たとえ、誤解から生じた風評であっても、自分に恥ずべきことは何ひとつない。


 勇者の横暴に腹が立ち、それを見過ごせなかった。


 彼我ひがの立場がどうあれ、それはクロエの意志で行ったことで、アルシャの言う通り呑み込んで大きくなっていくしかないのだ。


 それが、今の魔術師、クロエ・ルルーの道なのである。




「そう、か」




 しぼり出すように、ネルガはそれだけを呟いた。


 身構えるクロエを、どうこうしようという気配もない。


 次第に、ミドラたちも妙だな、と思い始めたらしい。






「——よくやってくれた! お前は、まさしく英雄だ‼」






 次の瞬間、両側に控えていた男が大声を上げた。


 それに合わせて、他の客からも歓声が飛ぶ。


 先ほどまでの緊迫感が一転、にわかに店内は大騒ぎになった。




おごらせてくれ。クロエ・ルルー」


「ネルガさん」


「勇敢な小英雄に、敬意を表して」




 笑みを浮かべたネルガが、懐から紙切れを取り出した。


 突き付けられたのはいつぞやの指名手配書だ。


 しかめっ面の自分、その周りに蛍光色の液体を使って、魔族の文字で「最高」「いかす」「俺の妹だ」等々書き殴ってある。


 眼を輝かせているネルガに、クロエは最後のは誰が書いたのか聞いてみたくなったが、深く考えない方がいい気がして止めた。


 それから、大宴会が始まった。


 次々にクロエたちに奢りたいという者が現れて、最終的に店の親父がすべて持つ、という話になった。


 給仕のお姉さんには、前世でいうサインを求められた。




「私は、先代勇者が攻めてきた時、北部に居た。若かったから、まだ未熟でね。郷里の仲間と戦に出て、この腕と角を失った」


「話は聞いてる。ひどいもんだったらしいな」


「ハリアス、と言ったか。その通りだ。それ以来、勇者の名を聞くたび、無くなった片腕がうずく日々さ」


「ミドラでいい、先輩さん」


「うん。私の見えざる腕、そのかたきをクロエが取ってくれた。こんなに胸のすくことはない」




 ネルガは、「私のような者は他にも大勢いるだろう」とクロエを見遣った。


 年々北部の諸州を王国に圧迫されているこの国では、北からの流民がこの辺りにも相当数、移ってきているらしい。


 今代の勇者の出征の目的は分からないが、もしかすると自分も侵略の片棒を担がされるところだったのだろうか。


 そう思うと、やたらに胸が騒ぐような気になった。


 勇者の冒険が、ここではただの侵略か。 


 やはり、ミドラの言う通り、本に書いてあることは当てにならない。




「この町なら安全だ。いつまでもかくまってやれるぞ。何なら、私の家へ来るといい」


「ありがたいですが、わたしはエレクマウに向かうつもりです」


「エレクマウ? 王国への玄関口だ。何をしにそんなところへ?」


「勇者は、ひとりではありません。副勇者と、その仲間が必ず西進してきます。わたしは、それを待ち受けるつもりです」


「なっ――⁉」




 酒杯を片手に、ネルガが驚嘆の声を上げた。


 傍らで聞いていたミドラたちも、やはり驚いている。


 そういえば、この話をするのは初めてだったか。




「な、何て大胆な……!」


「やっぱり、只者じゃないっす、クロエは……‼」


「まさか、暗殺だけじゃ飽き足らずに、攻めてくる勇者たちを迎え討とうだなんて……⁉」


「あれ? 討ちませんよ? わたしは話し合いを――」


「みんな聞いたか⁉ クロエ・ルルーは、やはり小英雄だ! 王国勇者たちの首級を掲げるまで、たったひとりでも挑み続けると、私はしかと聞いたぞ――‼」


「言ってないです⁉」




 店中はもう手の付けられない騒ぎになってしまった。


 指笛と歓声がこだまし、あちこちで酒杯が打ち付けられるたびに中身をこぼす。


 いつの間にかクロエ・ルルーを讃える歌なんぞまで出来上がり、それに合わせて即興の踊りと演奏が繰り広げられる。


 本人の弁解などまるで寄せ付けず、宴はたけなわになっていくのであった。








 しばらくして、ようやく店内が落ち着いた。


 ネルガたちは、まだ店の一角で飲んでいる。


 ただの昼飯のはずが、随分と疲れた。


 あれから何度か、ミドラたちの誤解だけでも解いておこう、と試みはしたのだが、今のところ成果は満足のいくものではない。


 というのも、クロエが何を言っても、謙遜だとか照れ隠しだとか思われてしまうのだ。


 ミドラ辺りは、分かっていてからかってそうだが――。




「——おい」




 気が付けば、またクロエの傍に人が立っていた。


 頭まで包める外套がいとうを被っているのでよく分からないが、声は少女のそれだった。




「おめえが、クロエ・ルルーか?」


「はい。まさしく」




 ネルガのように、クロエの行動をく思ってくれた人だろう。


 向き直ったクロエの返答に「そうかい」と頷くと、少女はゆっくりと右手を腰に回した。






「——わりいな」






 瞬間、少女の口の端がゆがめられたのが見えた。



 光。



 風を切って、何かがクロエに振り下ろされた。




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