第六回 「襲撃」




 三日経った。


 陽が傾き、夕方に差し掛かる頃である。


 辺りに散っていた部下たちが集まってくる。


 それを見ながら、ミドラは荷馬車の群れに近付いていった。


 彎刀を握っていない方の手で、荷台の側面を二回ほど叩く。




「生きてるね、旦那」


「おかげさんでな」




 いつも通り、ぶっきらぼうなマルルモの声。


 後ろに回ると、背中を向けた老人が、腰を折った体勢で荷台に散乱した商品を拾っていた。




「言ったろ? 下手に動かすより、どんと構えてた方が面倒がなくて済むってさ」


「馬が獣におびえよった。儂ひとりでは止められん」


「そこは、老練な手綱さばきを発揮するべきだね。老いて益々さかん、とはいかないか?」


「気力だけなら、儂はまだ二十のつもりよ」


「それが、二十の後ろ姿か。哀愁が漂ってるぜ、旦那」


「年寄りにも優しい若造だな、お前さんは」




 言い返す気力だけは、まだ十分らしい。


 荷台を離れたミドラのもとに、副長を任せている女がやってきた。


 浅黒い肌が眼を引く女で、イリオラという。




「どうだ?」


「手負った者が二人。どっちも浅傷あさでです」


「相手の数に比べたら、上々と見るべきだな」


「今、クロエに治療して貰ってます」


「助かるね。薬の節約になる」 




 三日のうちに、こうした魔獣の襲撃が何度かあった。


 魔獣といっても、普通の獣に毛が生えた程度のものだが、如何いかんせん数が多い。


 その度に軽傷の者が出て、クロエの治癒魔術の世話になった。


 本人の言う通り、ミドラでも聞いたことのある初歩的な呪文しか知らないようだったが、それでも傷は治る。


 要は、重傷の者さえ出さなければいいのだ。




「あいつは、すっかり馴染なじんでるみたいだな」


「ええ。特に、ルルディアは妹分ができたって大喜びしてます」




 後ろの馬車に集まって、治療に当たっているクロエを見遣った。


 イリオラも、ここまで聞こえてくるルルディアの歓声に眼を細めている。


 ルルディアだけではない。


 他の部下や、このイリオラにしても、クロエのことを受け入れている。


 それは、斜に構えた荒くれ者ばかりの自分たちにしては珍しいことだった。


 世間から爪弾つまはじきにされた連中が、生きるためには冒険者になる他なく、何だかんだこうして集まっている。


 そうした集団だからこそ、新顔やよそ者はまず嫌がられる。


 だが、クロエのあの馴染み様はどうだ。


 クロエが純朴な子供だということもあるのだろうし、やはり居るのと居ないのとでは大違いな、治癒魔術師という立場も手伝った結果に違いない。


 しかし、それだけではない、という気もする。




「クロエ・ルルー。不思議な奴だ」


「あなたも、あの娘に夢中ですか?」


「ずっとそうさ。会う前からね。……イリオラ、お前は、クロエをどう思う?」


「私は、そもそも子供が嫌いではありません」


「あァ、ルルディアの時もそうだった」


「あの娘は、歳の割に謙虚で、それでいて嫌味なところもない。好感が持てます」


「まァ、ね」


「魔術師は貴重ですし、それで助けても貰ってます。まだ子供ですが、立派に役目をこなしている」




 逆に言えば、一行における魔術師としてのクロエの役割は、それくらいのものだった。


 ミドラは、クロエが戦闘に参加するのを、一度も許していない。




「駆け出しの冒険者なんです。足手まといになっても、経験を積ませてあげるべきでは?」


「積ませてる」


「医者の、です。戦いのじゃない」


「そうは言うがね。あたしが、魔術師の戦いにもうちょっとでも詳しけりゃ、考えんでもないんだが」




 イリオラも、ミドラが個人的な感情でクロエを出ししぶっているわけではない、と分かっているはずだ。


 今まで機能していた集団のやり方に、まったく未知で別系統のものが加わる。


 それが上手くいくという保証は、どこにもない。


 初歩的な呪文しか知らないクロエが、どれほど戦闘にえるのかも不明である。


 部下の命を預かっている身では、不確実なものを試してみよう、という気にはならなかった。


 して、クロエは客分である。




「それだけですか?」


「どういう意味だ? あたしは、お前と違ってそういう趣味はない」


「刺し殺しますよ?」


「悪かった。誤解は、よくないな」




 肩をすくめたミドラに、イリオラが呆れたように息を吐いた。




「やけにあの娘が気に掛かっているみたいですね。いつも分かったような顔をしてる、あなたらしくもない」


「そんな顔してるか?」


「ええ。いつも」




 仕返しのつもりか、イリオラが自分の顔の前で指を回して見せる。




「別に気になってるわけじゃない。眼を掛けてやるのが、拾い主の責任ってもんだろうよ」


「拾い癖はいつものことですが。あの娘の何が、気になるんです?」


「聞く気がないのか」




 長い付き合いで、こうなるとイリオラはしつこかった。




「気に入った娘を、危ない目に遭わしたくない、というのはあなたらしいといえばらしいですが。それは戦いに参加させないことへの言い訳で、私に話を持ち出した理由にはなっていません。そもそも、同じ馬車に乗っているあなたが、一番あの娘と言葉を交わしているはずで――――――」




 高説を唱え始めたイリオラを放って、ミドラは馬車にもたれながら水筒をあおった。


 視線の先には、小山がひとつ。


 部下の数人が、斬り捨てた魔獣のむくろを一ヶ所に集めて焼いているところだった。


 そうしないと、腐肉の臭いをぎつけて、新たな魔獣や魔物が集まってきてしまうのだ。




「聞いてます?」


「あァ、聞いてるよ」




 横から手を伸ばしてきたイリオラに、水筒を渡してやる。


 それを一口含んでから、こちらに向き直った。




「言う気は?」


「お前の言う通り、あいつは好感が持てる」




 観念してミドラが口を開いたことで、イリオラも聞きに回ったようだ。




「あいつは、世間知らずだが、馬鹿じゃない。それは、話してて分かる。かといって、小利口なだけの子供ってわけでもない。あたしも、何がって言えるわけじゃないが――」




 もう一度、クロエの方を見遣った。


 ルルディアと、治療してやった部下と一緒に笑い合っている。




「——何故か、気になる」


「なるほど、恋ですか。おめでとう、どつぼにまった」


「そういう、趣味はない。二度目だ」


「わざとです」




 水筒を奪い取る。




「とにかく、そういうことだ。面白いか?」


「それはもう。あなたは?」


「あいつに関して言えば、だ。——いかにも純朴な少女って調子だが、どこかにそうじゃない部分を隠してる。そこんところが、面白い」


「悪趣味」


「それも、二度目だな」




 笑い合う二人に、マルルモから声が掛かる。


 ミドラは、後ろの部下たちに向かって手を叩いた。




「出発だ。全員、馬車に乗れ。何してる、ほら早く」


あねさん、まだ生焼けだ」


「放っとけばいい。最後まで燃えるさ。いつかは」




 荷台に飛び乗ったミドラは、空を見上げた。


 まさしく、燃えるような赤い空だ。


 彼方に、宵闇が迫っていた。







 

 急報の角笛が鳴り響いたのは、夜明けも間もない頃だった。


 見張り番がたずさえているものは、金属製の魔道具で、かなり遠くからでも音が聞こえる代物である。


 飛び起きたミドラは、ついに来たか、と呟いた。


 寝入っていた一同を叩き起こしていると、二人組の部下が駆け戻ってきた。


 予想通り、野盗の群れが近付いているらしい。


 厄介なことに、馬賊である。


 マルルモが、すぐさま馬車隊を走らせた。




「出番だぞ、ハリアス。酔っておらんだろうな」


「安心しな。二日酔いにならないのだけが、あたしの取り柄だ」


「姐さん、見えてきた!」




 後方からの声に、ミドラは馬車の屋根に上がった。


 右の方、地平線を焼く旭日を背に、土煙を上げる一団が駆けてくる。


 およそ、三十騎。


 こちらの倍以上の数だった。




「見なよ、旦那。連中、旗を掲げてやがる。馬賊ふぜいが、一端いっぱしに騎馬隊気取りか」


「旗だと⁉」


「派手な真似をするだけあって、良い馬に乗ってるな。逃げ切れん」


「このまま、戦いますか?」




 荷台から御者台に出てきたクロエが、こちらを見上げていた。


 風に揺れる黒髪を押さえながら、ミドラは少し考え込んだ。


 魔術師のクロエや、護衛対象であるマルルモの近くでは、極力戦いたくなかった。


 敵の頭目は、明らかに戦慣れしている。


 夜襲でなく、明るくなるまで待って出てきたのも、その証だった。


 そのおかげで、こちらは夜陰に乗じて逃げるということもできなくなったのだ。


 数も多い。


 囲まれれば、不意を突かれる心配もあった。




「いや、こっちも討って出る。あたしらが敵の足を止めてる間に、馬車はそのまま突っ走れ」


「馬鹿な。置き去りにして、逃げられるか」


徒歩かちの方が戦いやすいって話さ。じじいを気遣いながらじゃ面倒だ」


「ハリアス」


「賃金分の仕事はするよ。それに、どうせ向こうも隊を分けてくるだろうし、あたしらは走って追っかけるさ」


「ミドラさん、わたしは?」




 険しい表情を浮かべるマルルモの隣で、クロエが言った。


 怯えなど欠片かけらも含んでいない瞳が、まっすぐに向けられている。


 この状況で、よくも落ち着いた声を発するものだ、とミドラは思った。




「あんたは、ここに残れ」


「ミドラさん。わたしも、戦えます」


「そうかも知れんが、このじじいの世話役は必要だ。万一、敵が抜けてきたら、あんたが旦那を守れ」


「……わたしが足手まといだと、お思いだからではないんですね?」


「違う」


「……分かりました。必ず、守り通してみせます」




 しばしの見つめ合いを終わらせるように、クロエが胸前でてのひらと拳を合わせた。


 これまた独特のしぐさだが、妙に様になっている。


 声は低かったが、不服というよりは、自分たちの身を案じてくれている様子だった。




「出るぞ! 敵の頭を押さえる!」




 彎刀を抜き払って、ミドラは屋根から飛び降りた。


 その後に続いて、十余人の部下が駆ける。


 足手まとい、とクロエは言った。


 今まで治療ばかり任されてきたのを、ずっとそんな風に思っていたのだろうか。


 いや、イリオラですら口にするのだから、本人がそう思っても不思議はない。


 だがそれは、どんな冒険者にとっても、屈辱の一言に違いないではないか。


 ミドラには、そんなつもりは毛頭なかった。


 最後まで、客人という意識が抜けなかっただけだ。




「みなさん、ご武運を!」




 後ろから、クロエの声が聞こえてきた。


 剣を執る者として、味方の背中をただ見守る辛さは、痛いほどに分かる。


 だが、隊商の実質的な長であるミドラの命令は、絶対である。


 冒険者としては駆け出しのクロエも、それはよくわきまえていた。


 その健気さが、胸に響く。


 この戦いを終えたら、クロエと一緒に戦う訓練をしよう。


 単なる旅の道連れではなく、仲間の一人として。


 眼前に迫る土煙を見ながら、ミドラはそう決心した。








 互いの顔も分かる距離になって、ミドラは身体だけでなく、刀身にも魔力を走らせた。


 間近で見ると、騎馬の迫力はやはり凄まじい。


 足音からして、圧するような重さがある。


 自分がただの歩兵なら、為す術もなくき殺されているだろう。


 だが、魔力による身体強化が、その常識を覆すのだ。


 魔力さえ練れれば、ただ蹂躙じゅうりんされるようなことにはならない、と部下たちには教え込んでいた。


 機敏に地をう徒歩の兵を相手にするには、馬上は身動きが取れなさすぎる。




「いいな! それぞれ正面の一騎を斬り抜けて、決して脚を止めるな‼」




 敵は、左右に広がりつつ駆けてくる。


 こちらも、横一線になって迎え討つしかなかった。


 小さく固まれば、それだけ後逸を許すことになる。


 怒声。


 全身に影が掛かるほどの、大きな馬だった。


 彎刀を構えた右腕を引きしぼる。


 蹴り出される馬の前脚をかわして、せ違いざまに斬り上げた。


 一瞬の後、背後で爆発するように血がき出す。


 彎刀の切っ先が、馬体だけでなく、乗っていた男の腹まで断ち割っていた。


 続けざま、ミドラは後続の騎馬に狙いを付けて、その首を斬り飛ばした。


 落馬した男が、悲鳴を上げる。


 もう一騎、それで抜けると思ったところで、眼前に白刃が飛び込んできた。




「——ッ⁉」




 とっさに彎刀を繰り出して、弾き返す。


 勢いを殺さぬまま、駆け抜けた。


 次々に、部下も飛び出してくる。


 振り返れば、敵の騎馬隊が反転してくるところだった。


 こちらでやられた者は居ない。


 敵は、十騎以上は倒れていた。




「うぬっ、者ども、下馬せい――!」




 馬上の不利を悟ったのか、賊の頭目と思しき男が大声で下知した。


 男は、馬から下りてもなお、見上げるほどの巨漢だった。


 二メルタはある。


 片手に、変わったほこを持っていた。


 長柄の先にけん(外側に刃が付いた輪状の武器)が付いており、さらに圈の先端、柄の直線上に太い剣身が伸びている。


 遠目で見ると、穂先の根元がふくらんでいるようにも見えた。


 先ほど自分めがけて振り下ろされた白刃は、これに違いない。




「我こそは、義侠の領袖・ラヴァンダルなるぞ――‼」




 大音声で、賊の頭目が名乗った。


 通りすがりの隊商を襲っておいて、義賊とは笑わせる。




「女、我がひと振りを受け止めたるは見事! 名乗れい!」


「ミドラ・ハリアス。この辺りじゃ、無名もいいとこだ」


「ハリアスとやら。それほどの腕で、どうして商人のいぬなどに収まっている」


「少なくとも、あんたよりは義を弁えた結果さ」


「この乱れた国で、私利を貪る商人の味方をするのが、義だと」


「詭弁だね、そいつは。死にかけのじいさん一人を打ち殺すのが、あんたの義か」


「ただのじじいであれば殺さん。問題は、窮民をかえりみぬことだ」




 矛をひとぎして、ラヴァンダルが一歩踏み出した。




「問答は無用。俺たちのような者が、どっちの侠気が正しいかを決めるには、初めからこれしかない」


「まァ、その方が手っ取り早いね」




 ミドラは、彎刀を右奥に構えた。


 同時に、ラヴァンダルが矛の穂先を天に掲げるように構える。




「我が風火輪矛ハスティス・サクリさびになる覚悟はいいか、ハリアス! 一騎打ち所望じゃあーー‼」




 叫ぶや、ラヴァンダルが突っ込んできた。


 風を引き裂いて振り下ろされる矛に、彎刀をぶつける。


 甲高い音を立てて、火花が散る。


 練り込まれた魔力同士が、反発しているのだ。


 相手は長物で、こちらは手刀である。


 一撃目を止めて懐に入れば、断然有利になる。


 地を蹴ったミドラの一刀は、しかし矛を返したラヴァンダルに防がれた。


 身の丈ほどもある矛を、ラヴァンダルはまるで棒切れでも扱うかのように振り回す。


 それだけで、ミドラの身体は舞い上げられそうになった。


 十合ほど打ち合って、相手が距離を取った。


 ここで間合いを取られるのはまずい、とミドラも追いすがる。


 足を止めたラヴァンダルが、笑みを浮かべた。


 風の音。


 待ち構えたひと突きが、眼前に迫っていた。




「——ッ!」


「ほほう、今のを躱すか‼」




 僅かに頬を裂いていった切っ先がひるがえって、今度は頭上から降ってくる。


 ミドラは、彎刀を背中に担ぐようにそれを受けて、這うように低く馳せ違った。


 振り返りざま、横薙ぎを見舞う。


 一歩と離れずというすぐ後ろで、立てられた矛の柄に受け止められる。


 気勢を上げて打ちかかってくるラヴァンダルの矛をなして、ミドラも前に出た。


 その場で、更に十余合。




「何者だ、あいつ⁉ あの姐さんが掛かり切りなんて――⁉」




 乱戦になっている周囲で、部下の声が聞こえた。


 たかが賊と侮ったわけではないが、それにしてもこの男の武芸は並みではない。


 これほどの強さの敵と、ミドラは戦ったことがなかった。


 魔力で強化された膂力にものをいわせた、激しい打ち合いになる。


 周りの部下を気遣う余裕は、まるでなかった。


 自分の鋭さと、相手の重さ、どちらが勝るかの勝負である。


 どれだけそうしていたか、身体中に無数の浅傷を受けて、百合は打ち合っただろう。


 ふと、辺りの空気が妙なことに気付いた。


 ざわめいている部下に、ラヴァンダルも気付いたのか、剣戟を中断して距離を取る。




「姐さん! あれを――‼」




 頭から血を流したルルディアが、大きく腕を振って街道の方を示していた。


 油断なく彎刀を構えたまま、ミドラもそちらを見遣る。


 なだらかな坂道の先。


 馬車が、駆けてきていた。






(馬鹿な! 何で戻ってきた――⁉)






 驚愕に身を固くしたミドラの眼前に、続けざま信じられない光景が飛び込んできた。




「ま、ままま、魔獣っす! 姐さん、魔獣の群れが!」


「この、忙しい時に――‼」




 血の臭いを、嗅ぎ付けて来たのか。


 逃げる馬車を追って、魔獣が駆け寄せてくる。




「おい、何だあれ……⁉」


「ま、魔物が――魔獣に乗ってる?」




 束の間、眼を疑った。


 まさしく騎兵のごとく、小柄な亜人型の魔物を背に乗せた魔獣が、坂の向こうから次々と現れる。


 乗っているのは、人に対する凶暴性で知られる、緑色の肌をしたカブリと呼ばれる魔物だ。


 亜人種とはいえ、魔獣に騎乗する魔物など見たことがない。


 唖然とする一同の前で、ついにその一団が馬車隊の殿しんがりに追いついた。




「まずい! お前ら、馬車を追——」


「どこを見てる! お前の相手は、俺じゃあー――‼」




 部下を救援に行かせようとしたミドラに、ラヴァンダルが矛を振りかぶった。




「付き合って、られん!」


「がははは! そう言うな! 俺としては、馬車を追う手間が省けたわ! どうせ、魔物は積み荷にはほとんど手を出さん! お前らを片付けてから、ゆっくりと回収させてもらう!」


「その前に、お前らも魔物に吞まれるぞ!」


「雑魚が何匹居ようが、塵芥ちりあくたじゃ!」




 再び一騎打ちが始まる。


 ミドラの部下たちも、賊の残党に邪魔されて馬車にはたどり着けないようだった。


 焦りで、刀身に流した魔力の輝きがにぶる。


 力負けして、ラヴァンダルの一撃を受け損なったミドラは、派手に吹き飛ばされて地面を転がった。


 骨の一本くらいは、折れたかもしれない。


 立ち上がった際に感じた痛みに、顔をしかめる。


 その時、魔力で強化されたミドラの眼が、遥かに街道を走る馬車を捉えた。


 殺到する魔物魔獣。


 先頭はもう、眼と鼻の先に迫っている。


 つと、荷台の天幕が勢いよく開け放たれた。


 剣を抜いた、ひとりの少女。


 今まさに、荷台から身をおどらせようとしている。






「——やめろ、無茶をするな、クロエ……⁉」






 ミドラの叫びと同時、紫髪を風に揺らして、クロエが宙を舞った。








 飛び掛かった魔獣二頭が、剣の横薙ぎで真っ二つになった。


 着地するや、振り落とされたカブリ二匹をめがけて、身を返したクロエが剣線を走らせる。


 ぼぼんっ、と小さな首が二つ飛んだ。


 新手の騎乗魔物が、クロエに殺到する。




「チェハアアアァァ――‼」




 喚声と同時、クロエが左の一騎を斬り上げ、振り上げた剣で右の一騎を袈裟けさ斬りに両断した。


 駆け出す。


 右に左に、馳せ違うカブリ騎兵を白剣が血に染めていく。


 突き出されるカブリの石槍や棍棒はまるでその影を捉えられず、ただ天高く鮮血が舞うだけである。


 飛ばした首と、断った胴がそれぞれ十を数えた時、あえてクロエに挑み掛かろうという魔物魔獣は居なくなっていた。




「なっ……⁉」


「ほほう! あの小娘もやりおるわ!」




 驚愕するミドラと打ち合いながら、ラヴァンダルが哄笑を響かせた。


 他の部下たちも、信じられないものを見るように固まっている。


 瞬く間に、クロエは十騎を討ってみせた。


 駆け出しの魔術師なはずのクロエが、である。


 これには、彼女を知る一同の驚くまいことか。




「——ははァ! それで、少しか!」




 いち早く立ち直ったミドラは、思わず笑みを浮かべていた。


 彎刀に、輝きが戻ってくる。


 初めて会った時、クロエは本職が魔術師で、剣は少し使えるだけだ、と言った。


 駆け出しの冒険者が、恰好かっこう付けで剣をくのはよくあることだったし、それ以降、一度も抜いていないので、みんな大した腕ではないのだろうと思い込んでいたのだ。


 まんまとだまされた、と思いつつ、ミドラは悪い気はしていなかった。


 クロエが妙に気になっていた自分の直観は、捨てたものではない。


 ミドラは、何から何まで予想外で底の知れないこの少女を、とことん楽しんでやろう、という気になっていたのである。


 これは、隊の中で誰よりも長く、クロエの傍に居た自分にしかできないことだ。




「……ああ⁉ クロエ、駄目っす! 囲まれてるっすよ――⁉」




 まともに立ち向かうのは不利だと悟ったのか、カブリ騎兵たちが遠巻きに広がりつつ、クロエを取り囲んだ。


 耳障りな奇声を発しながら、弧を描くように魔獣を走らせている。


 狙いを付けにくくして、四方八方から襲い掛かろうという腹だろう。


 魔物ふぜいが、小賢しいことを。


 剣をまっすぐ頭上に掲げる構えを取っていたクロエが、左手を胸前に引き寄せた。


 ひと際強く、クロエのまとった魔力の光が輝く。




ドミナ・メアエ、デア・メアエ我が主、我が神よ! 出でよ、大山の主! 吉祥をもたらす者! 我が白風より成りて、つるぎの如き鎌首をもたげよ!」




 クロエの周囲に、白い旋風つむじかぜが立つ。






風の大蛇アルナグィス・ウェンテッリ——‼」






 やがて、それは一匹の大蛇になった。


 魔力の外力変化、風系中級魔術のひとつである。


 クロエを中心に幾重にもを巻いている風の白蛇が、周囲を威圧するように鎌首をもたげる。


 馬車を十台以上はつなげたほどの全長に、両腕を広げたほどの身の太さは、それだけでカブリ騎兵たちを動揺させるのに十分だった。




「平らげよ――‼」




 クロエが、号令と同時に剣を振り下ろす。


 勢いよく伸びた大蛇の頭が、カブリ騎兵による包囲の一角に猛然と突っ込んだ。


 螺旋らせん状にうず巻いている大蛇の身体に触れたものから、巻き上げられ、あるいは、ずたずたに切り裂かれていく。


 すぐに、奇声とも悲鳴ともつかない声を上げて、敵が算を乱した。


 やたらとえて走る魔獣や、振り落とされ必死に徒歩で逃げ惑うカブリを、大蛇が散々に追い立てる。


 逃げながらも、カブリたちは一ヶ所に固まろうと試みていた。


 態勢を立て直す暇を与えず、クロエがその固まりを突き崩しに掛かる。 


 剣を振り回す動きで、大蛇は意のままに操れるらしい。


 散っては集まりを繰り返し、三度目で、敵が完全に崩れた。


 数を半ば以上に減らし、うのていでカブリたちが逃げ去っていく。


 街道には、数十の屍体が倒れていた。




「——退くぞ! お前ら、引き揚げだ!」




 これを脅威と感じたらしいラヴァンダルが、突然身を翻して馬に駆け寄った。


 あちこちで戦っていた賊の残りも、脱兎のごとく愛馬にまたがる。




「がははは! ここは退いてやるわい! ハリアスよ、決着はいずれ――」




 矛を手に駆け去ろうとしたラヴァンダルが、口上のために振り返った。


 その時には、ミドラは馬上の相手に向かって跳躍を終えていた。


 手を伸ばせば届くような、極めて至近の間合いである。


 驚愕するラヴァンダルに、反応する間は与えない。






「——骨一本分、一太刀は取らしてもらうぞ」






 思い切り、横薙ぎを見舞う。


 とっさに振り払われた矛の切っ先を躱して、彎刀がラヴァンダルの脇腹を捉えた。


 そのまま馳せ違って、互いに十歩ほどを挟んで向き直る。


 反撃に遮られて、深手とまではいかなかったようだ。


 ミドラの一撃は、相手の鎧を裂いて、少々の血を流させるに止まっている。




「俺に、冷や汗をかせた奴は久しぶりだ。ハリアス、次にまみえる時を楽しみにしているぞ」




 脇腹に手を遣って、ラヴァンダルが豪放に笑い飛ばす。


 馬首を返しながら輪矛をひと薙ぎして、ラヴァンダルは手下と共に駆け去っていった。




「みなさんー! ご無事ですかー⁉」




 馬賊の姿がみるみる遠くなって、代わりに街道の方からクロエが駆け寄ってくる。




「うおおおお‼ クロエー‼ なんっすかあのへび‼ あんな強いなんて聞いてないっすよー⁉」




 ルルディアを先頭に、部下たちが歓声を上げてそれを出迎えた。


 傷を負った者も居るだろうに、元気なことだ。


 だが、好ましくもある。


 イリオラが、ひとり手矛を片手に近付いてきた。




「あなたと引き分ける者は、久しぶりに見ました」


「馬鹿なこと聞くが、もしかしてあたしをなぐさめようってんじゃないだろうな?」


「心配しなくても、そこまでみじめじゃない。もし負けてたら、目も当てられないところでしたが」


「心配? 誰が心配なんかしてる?」


「言った方が?」


「……いや、やめとこう」




 笑みを浮かべたイリオラが、肩を叩いてきた。


 馬車が引き返してきたようだ。


 けが人を連れていくクロエたちの後を二人で追う。




「明日からの課題ができた。めちゃむずいやつ」


「何です?」


「——足手まといにならないこと」


「私も、同じこと考えてました」




 一拍置いて、二人で苦笑を漏らす。


 遠くで、クロエが自分を呼ぶ声がした。

 










 出発した馬車の御者台で、ミドラは欠伸あくびを噛み殺していた。


 あれだけの活躍を見せたクロエは、荷台で寝息を立てている。


 戦いの疲れというか、朝が弱いらしい。




「ハリアス」




 懐に手を遣って水筒を取り出そうとした瞬間に、横からマルルモの声がした。




「何だい、旦那」




 またとがめられるのか。


 とりあえず、とぼけたふりをしたミドラだったが、マルルモはすぐには言葉を続けなかった。




「何だよ?」




 ややあって、マルルモがこちらを見遣る。




「儂は、賭けに勝っておったぞ。何か言うことは?」




 この男のしたり顔を、初めて見た。


 何を言うかと思えば。


 無性に面白くなって、ミドラは肩を竦めた。




「参った。脱帽だ、旦那」


「よろしい」




 満足げに頷いたマルルモを眺めながら、ミドラは自分の見る眼のなさを認めざるを得なかった。

 



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