第五回 「拾われた少女」




 旅の道連れが一人増えても、隊商は問題なく進んでいた。


 ひろわれた少女は、やはり名をクロエ・ルルーと言い、王国から流れてきたらしい。




「助かりました。お二方」


「凄まじい勢いだったな、お嬢ちゃん。いつから食っておらなんだ?」


「最後に物を口に入れたのは、昨日の朝でした。いくら掘っても水すら出なくて……わたしがもたれていた木、夜が明けるまで、あの枝葉を食べるか食べないか、真剣に迷いました」




 眼を覚まして一番、クロエは盛大に腹を鳴らした。


 マルルモが水と穀物を焼いたものを与えると、獣のようになった。


 理性が戻るまでしばし待ってから、二人はクロエにあんなところで転がっていた訳を問うたのだ。


 人心地ついたからか、クロエは特に隠す様子もなく話し出した。


 国境から無謀にもフランメニア山脈を軽装で踏破し、街道にまで出たのはいいが、そこで食糧の類が尽き果てたらしい。


 それで、途方に暮れてをしていたのだと言った。


 あっという間に食べ切っても、クロエはまだ物足りなそうで、それを見て取ったマルルモが奥から食糧の詰まった荷袋を持ち出してくる。




「いいんですか?」


「遠慮することない。荷台をうんと軽くしてやりな」


「黙ってろ、ハリアス。儂の言うことじゃ」




 再び食べ始めたクロエとマルルモが言葉を交わす。


 クロエは、他州にあるエレクマウの町を目指しているらしかった。


 隊商も、途中まではそちらに北上する。


 それで良ければ乗って行ってもいい、とマルルモが言うと、クロエは最初申し訳なさそうにしていたが、ミドラに「まだ歩き足りないのか」と問われるや、大人しく好意に甘えると頭を下げた。


 横から口を出したミドラに、マルルモが何か言いたそうに視線を寄越す。


 鬱陶うっとうしいが、らしくない真似をした、という自覚もあったので、黙ってやり過ごすほかない。




「……ミドラさんは、冒険者なんですか?」




 しばらくそっぽを向いていると、後ろから声が掛かった。


 振り返ってみると、クロエの眼は腰の彎刀を見つめている。




「まァね。そういうあんたも、剣をいてる」


「はい! わたしも、冒険者なんです!……といっても、まだ駆け出しですけど」




 照れた様子で頭をくクロエは、とても暗殺がどうこうなんて人間には見えない。


 どこにでもいる、歳相応に夢を抱く少女といった感じだ。




「どうして、冒険者なんかに? 若すぎる」




 マルルモがたずねた。


 実際、クロエぐらいの年頃の冒険者が居ないわけではなかった。


 だが、そういった年少組は、ほとんどが町に拠点を構えて、せいぜい二日やそこらで帰って来れるような仕事をあてがわれるものだ。


 ひとりで他国まで流れてくるような、本当の意味で冒険をする少女となると、いかにも訳ありと顔に書いてあるも同然である。




「昔からの夢でした。いつか、わたしも本に書いてあるような冒険をするんだって」


「本に書いてあることは、うそばっかりだ」


「そうですね……へへ、最近思い知りました」


「王国は広い。その中でも、やれただろうに」


「ちょっとした誤解で、居られなくなってしまって」


「誤解? 何をした?」


「何も。——やりたいことをやったら、追い出されてしまいました」




 隣で、マルルモが身を固くしたのが分かった。


 クロエの眼に、いつわりの色はない。


 最初から、隠すような気配はなかったのだ。




「——ははっ、そりゃいい」




 思わず、ミドラは笑っていた。




「どうだい、旦那。今のは。あたしは気に入ったな。まともな奴には言えんことだ」


「お仲間が見つかってよかったな」


「いや、いや、期待外れでなくてよかったよ」


「何の話です?」


「ただのうわさ話だよ。とんでもない与太話さ」




 首を傾げたクロエに、ミドラは手を振って答えた。




「剣を使うのか?」




 今度は、ミドラがクロエの腰元に眼を遣った。




「少し。本職は魔術師です」


「魔術師か。ちょうど探してたところだ。うちは内力系しかできない連中ばっかでね。治癒魔術は得意かい?」


「修行不足で、初歩的なことしか」


「まァ、駆け出しならそれでも上等だ。あたしらが怪我けがした時は、よろしく頼むよ」


「はい! お世話になってる分、それくらいは!」


「良い心掛けだ。長生きするよ、この業界じゃ」




 軽くクロエの肩を叩いて、ミドラは向き直った。


 王国から指名手配されているのだろう、とは聞かなかった。


 眼前の純朴な少女が、やはり勇者をどうこうできるとも思えないし、それならそれでいい。


 思いがけず現れた良い話し相手で、退屈はしなさそうである。




「無駄金だったな、旦那」


「ほざけ。それが商売よ」




 自分は、賭けに勝って、マルルモは大損こいて負けた。


 要は、そういうことだ。


 部下たちにクロエを紹介するのは、昼飯時になるか、と考えて、ミドラは水筒を傾けた。






 陽が落ちてから、一行は街道を外れて拠点を設けた。


 平原ではあるが、ところどころに丘が隆起している。


 隊商は、昼の間にそういった場所を見定めておき、夜になってからそこで荷馬車の車体や積んでいる資材を使って垣根を構築するのだ。


 古代の軍団兵が、野営する際に即席の陣地を作っていたことの模倣だと言われているが、誰がいつ頃やり出したことなのかは分からない。


 ただ、何もせず荷馬車の中で一夜を過ごすよりは、外敵の襲撃にある程度有効ではあった。


 人はもちろん、魔物魔獣の類も、多少の警戒を見せる。




「飯だ飯だっ。見張りの奴以外は、さっさと準備しろい」




 部下の弾んだ声が聞こえてくる。


 今回は、丘の中腹にあった古代の遺跡もどきを間借りしての野営だった。


 街道沿いの休憩所か、駅伝の施設だったのか、崩れかかった石壁に囲われた広場は、ミドラたち全員を収めてもまだ余裕がある。


 歩哨ほしょうに立つ部下の様子を見に行って帰ってくると、愛用の鍋——金属製で、底に三本の突起が足のように付いている——を担いで騒いでいる少女が、クロエを従えて陣頭指揮を執っているのが眼についた。


 料理番を任されている、ルルディアだ。


 ミドラが率いる冒険者集団の中では最年少で、クロエより二、三ほど年長というぐらいである。


 元々、こういった時の飯はミドラが作っていた。


 理由は単純で、自分が一番うまいものを作れたからだ。


 食事など、下っ端の新入りが用意して当然と言い張る冒険者も居たが、不慣れな新人に要らぬ負担を掛けるのはそれだけ生死に直結する問題でもあるし、それで味が落ちるのもつまらない、というのがミドラの考えだった。


 ルルディアは、武器や魔術の腕はそれなりだったが、飯だけは旨いものを作った。


 それで、一同の推挙もあり、ルルディアが若き料理番として認められるようになったのだ。




「いいっすか、クロエ。旅の間の楽しみは、基本的に飯しかないといっても過言ではないっす。面白驚きの出来事なんて、滅多にないんす。ミドラのあねさんも、いっつも退屈だ退屈だーってぼやいてるっす」




 備蓄の野菜や干し肉を切り分けながら、ルルディアが調子よく傍らのクロエに言い聞かせている。


 そんなに退屈だとか言ってないのだが。




「特に、あたしらみたいなもんはみんなに世話になってる身っす! だから、飯だけは一生懸命作らなきゃダメなんす! ちょっとでも手ェ抜いたら、みんなのことを裏切ってるのと同じことっす!」


「な、なるほど……! 職人っぽくてかっこいいです、ルルディア先輩‼」


「せ、先輩……⁉ えっへへへ、そうっすか⁉ まークロエも、あたしの横で見てたらすぐにできるようになるっす! 先輩のあたしの横でね!」


「はい! 勉強させてもらいます、先輩!」


「うへへ、頼りになるルルディア様にお任せっすよー‼」




 微笑ましいものを見た、という気分に、ミドラはなっていた。


 それとなく眼を掛けていたつもりだったが、ルルディアがそんなことを思って料理番を務めていたとは、思いもしなかった。


 歳の近い新入りができて、思わず言ってしまったのだろうか。




「できたっすよー! ルルディア様特製、『あるもの全部煮てやった』飯っす‼」




 ルルディアの号令で、一同が鍋を囲んだ。


 待ち切れない様子だったクロエが、「いただきます」と言ってからさじを手に取る。


 王国風の文化だろうか、見慣れないしぐさにミドラは面白いな、と思った。




「旨いっすか、クロエ?」


「めっちゃおいしいです!」


「そうっすか! ふふん、当たり前っす! なんたってあたしの特製っすから!」


「塩の加減が絶妙ですっ」


「——ッ⁉ そ、そこに気が付くとは、末恐ろしい子っす、クロエ! それは干し肉を一緒に煮ることによって干した時の香辛料が汁に溶け出して薬味なしでもなんかちょうどいい感じに――――――」


「よく分かんないですけど、とにかくすごいです先輩!」


「将来有望っす! なに作っても旨いしか言わない馬鹿舌たちよりよっぽど見込みがあるっす!」


「聞こえてんぞ、ルルディア」


「誰が馬鹿舌だ」




 酒の入った連中から野次が飛ぶ。


 言い返すルルディアの横で、クロエは楽しそうに笑っていた。


 その日は、久しぶりに盛り上がった。


 最後は踊り出す者まで出て、珍しく酔いが回ったミドラも、いつの間にか焚火たきびの傍で眠りについていた。






 うっすらと、空が明るんできていた。


 消えた焚火と、散乱する宴の跡を見遣って、ミドラは外套がいとうを手繰り寄せた。


 この辺りは温暖な地方だが、朝方となればさすがに風が冷たい。


 ふと、ルルディアの隣が一人分空いているのに気付いた。


 もしや、という思いが脳裏を過ぎる。


 二度寝を決め込む気分でもなくなったミドラは、のそのそと起き出して丘を登って行った。


 登っている間に、陽も昇ってきた。


 まぶしさに眼を細めたミドラが、視線をらすように丘の頂きを見上げる。


 朱い陽光に照らされたそこに、人影がひとつ。


 影は、動いていた。


 ミドラが丘に登ったのは、単純に高いところから辺りを見渡したかったからだったが、どうやら心配は杞憂きゆうだったようだ。


 安堵の息を吐いてから、ミドラは自分ががらでもないことを思ったのでは、と気付いた。


 たった一日、共に過ごしただけの娘だ。


 目的地が同じというだけの仲で、仕事の仲間にするつもりも、今のところはない。


 そう、追われる身だなどというから、自分にも覚えがあると共感を抱いているだけのこと。


 それに、黙って出て行かれてはルルディアも落ち込むだろう。


 いや、そもそも、年端もいかない少女を気遣って、何が悪いのか。


 ひとりで決まりが悪くなって、ミドラは腕を組んで人影を見遣った。



 透き通るような紫髪が、光を受けて輝き、身体が左右に揺れるたび風に乗って舞う。


 舞う。そうだ、あれは舞いなのだ。


 大河に流れる水のように悠々と、かと思えば怒濤どとうのようにはげしく、飛び跳ねつつも地を駆けて、クロエは身体を絶え間なく動かし続けている。


 しばし、ミドラは見惚みとれていた。


 見たことがない舞いだった。


 王国から来たという踊り子とも会ったことがあるが、それとはまるで違う。


 力強く、それでいて柔らかい。


 ひときわ高く跳躍したクロエが、片脚で降り立ち地面を打った音で、ミドラは気を取り戻した。




「——見事なもんだ」


「ミドラさん! おはようございます!」




 振り返ったクロエが屈託ない笑顔で近寄ってくるのを見て、若いな、とミドラは思った。




「へへ、見られちゃいましたね」


「今のは?」


「えっと、神に捧げる献舞です。昔、教えてもらって、それから毎日やるようにしてるんです」


「初めて見る動きだったが、何の神様だ?」




 言ってから、王国で信じられている神の名前などほとんど知らないな、と気付いた。




「わたしの仕えてる神様って、なんというか――人気なくて。アルシャ様っていうんですけど」


 案の定、聞いたことのない名が出てきた。


 他国の人間が知っているはずもないと思っていたのか、首を振るミドラに、クロエも特に落胆した様子は見せなかった。




「ミドラさんは、どんな神様を信じているんですか?」


「そういった手合いとは不仲なもんでね。ずいぶんとご無沙汰だよ」


「ははァ。わたしも、以前住んでいたところではそういった時期もありました」


「……よく信じ直す気になったな」


「はい! 生まれ変われましたから! 世界にはすっごい幸せもあるんだって、気付かされたんです!」


「……危ない宗教とかじゃないよな? 金を持ってこいとか、人を連れてこいとか……」


「そんなことありませんよ! そうだ、ミドラさんもどうですか⁉ まずはお試しでも――」


「怪しすぎる⁉ ここで勧誘するか⁉」


「ちゃんとした神様ですよ! 信じてるのがわたししかいないってだけで!」


「その時点でちゃんとした神様じゃないだろ」




 肩をすくめてきびすを返したミドラの後から、クロエが不満げに追いかけてくる。


 その面はいかにも可愛らしいが、中身はやべーやつなのかもしれない、とミドラは内心不安でいっぱいである。


 「一度会ってみたら分かるのに」と言い出した辺りで、ミドラは考えるのをやめた。




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