第四回 「手配書の少女」




 頭上を、鳥かなにかが鳴きながら飛んでいく。


 荷馬車の御者台に腰掛けた女——ミドラ・ハリアスは、それを見上げつつ、懐から水筒を取り出してあおった。


 車体を覆い隠すように、影が掛かる。


 五台の馬車で縦列を成す隊商は、右手に広がるフランメニア山脈に沿って、街道を北上していた。


 最後に寄った町で立てた計画通りだ。


 だというのに――いや、だからこそ――ミドラは暇を持て余していた。


 この辺りは、天然の要害である山脈の手前側に当たる。


 おかげで、外敵を押し止めるための町や城も少なく、広大な平野がどこまでも続いているだけだ。


 部下を後ろの馬車に乗せたのは、失敗だった。


 あくびを噛み殺しながら、ミドラはそう思った。


 せめて、適当な話し相手でも居れば――




「——お前さん、自分がいま何をしてるか分かっておるのか?」




 隣で御者を務めているマルルモ――せぎすの、白頭な老漢である――が、前を向いたまま声を上げた。




「……くたばり損ないが、おっぬのを待ってる」


「おお、死んでやるわい。お前さんのここひと月をまったくの無駄骨にできるなら本望よ」




 お呼びでない。


 ミドラは「そりゃ困る」と笑って、また水筒に口を付けた。




「仕事中にそいつをやるな、と何度言えば分かる? 酔っ払って戦えません、なんてことになってみよ。賊より先にわしが斬り殺してやるぞ」


「雇った護衛をてめえで殺す馬鹿が居るかい。水だよ、旦那だんな


「ほォ。にごり水を、わざわざんできたのか?」


「あい、あい、分かった。だ。これでいいか?」




 呆れてものも言えぬ、と肩をすくめたマルルモに、ミドラはそっくりそのまま同じ動きを返した。



 偶々たまたま、まとまった金が入用いりようになった。


 それで、冒険者に仕事を世話してくれる場所をいくつか当たって、相応に報酬が良いものを選んだ。


 内容は、道中の賊や、魔獣魔物から隊商を護衛するだけ。


 簡単な仕事だと思った。


 実際、命知らずで場数を踏んだ部下を抱えたミドラには、このひと月は退屈ですらある道程だった。


 安全がある程度確認できている街道ばかりを進んでいるのだから、当然といえば当然である。


 それに越したことはない、と頭で分かっていても、ぼやかずにはいられない。


 もっとも、それ自体は冒険者に共通する性質でもあった。




「最近、ここら辺りでも魔物の動きが活発になっておるらしい」




 黙り込むかと思われたマルルモが、ややあって口を開いた。


 意外に思って、ミドラは返事のひとつでもくれてやるか、という気分になった。




「例の、王国勇者が攻めてくるってんで、どこも大騒ぎなんだろ」


「魔物が、だぞ? 関係あるか」


「どうだか。連中だって、本能で生きてんだ。つえーしこえー奴が来る気配がすりゃ、びびって逃げ出す馬鹿が出てもおかしかない」




 ミドラは、茶化すように言いはしたが、ある程度の確信も持っていた。


 さすがに、勇者という御大層な肩書は伊達ではない。


 迫り来るだけで、周囲に威圧を与える。


 単純な兵の力と一線を画するのは、そういうところだった。


 それで、近隣の町や商人に被害が出るというのは、戦わずして勇者の思うつぼな気もするが、ミドラのような冒険者や傭兵にとっては食い扶持ぶちの種になる。


 いの一番に割を食うのは、いつだって弱い連中なのだ。




「——勇者とは、それほど強く怖いものなのか?」




 一瞬、意図が読めなかった。


 数十年も生きて、何を今更、とミドラは隣に視線をる。




「はァ? ぼけたか、旦那? あたしなんかより、あんたの方が詳しいだろうよ」


「ぼけてもおらんし、儂も半信半疑ではあったが――今朝、確信を得た」




 脇に置いていた革袋の中から、マルルモが紙切れを取り出した。


 無言で差し出されたそれを、仕方なく受け取る。


 一番上に大きく書かれた王国の紋章が、まず眼に付いた。


 上等な紙質。しかも珍しいことに、魔術による念写で刷られた顔写真付きだ。




「……指名手配? こんなお嬢ちゃんが? ――何をやらかした?」


「読んでみよ。……あ、字が読めんか。すまん」


「殺すぞ。肝心なこと何も書いてないから聞いてんだよ」




 紙面から分かるのは、クロエ・ルルーという名と、その首に割高な懸賞金が掛けられていること。


 それだけだ。


 貰える額の割に、どんな悪事を働いたかはまるで掴めない。




「——勇者の暗殺」




 低い声で、マルルモが言った。




「……やっぱ、耄碌もうろくしたか? そんな見えいたガセ、掴まされてよ」


「確かだ。取ったのか、それとも取り損ねたのかは、まだ分からんが。それが証拠」




 もう一度、手元の手配書に眼を落とす。


 マルルモとはひと月の付き合いだが、何より情報を大事にしている男だ、というのは分かっていた。


 商人という生き物は、皆そうだが、中でもマルルモは格別だった。


 あちこちで水も漏らさぬように情報を集め、時には、そのために商品で得る利益以上に金を使う。


 以前にも、何度か他の隊商の護衛役を任されたこともあったが、そんな男は見たことがなかった。


 この国で、頭髪が白くなるまで商人でいられるには、そういう才能が必要なのだろう。


 旅を共にする内、ミドラはそう思うようになっていた。


 そんな男が、確信を持っている。




「へェ。本当なら、景気の良い話だ。なんとも」


「これで、王国が出征を断念してくれればよいが」


「そりゃ、商人の言葉とも思えんな。あんたらは、戦があった方がもうかるんじゃ?」


「馬鹿者が。たとえそうなったとして、それで人の死を喜ぶ者があるか」


「ごもっとも」




 怒りをあらわにするマルルモをなだめるように、ミドラは軽く手を持ち上げた。




「……真偽はどうあれ、吉報に使える。中央に僅かでも賢臣が残っていれば、動きがあるだろうな」


「あたしにゃ、そこらへんはどうでもいい話だ。……ただ――」




 手配書の中でこちらを見つめる少女と眼を合わせて、ミドラは口の端をつり上げた。




「——勇者とやらが、てんで評判と違った雑魚だったのか……それともこの嬢ちゃんが、可愛い面して王国の大事なを噛みちぎっちまうような狂犬だったのか。気になるのは、そんぐらいさァ」


「本当なら? 腕比べでもするのか?」


「まさか。あたしは女子供には優しいんだ。……ただ、面白いだろうなってだけよ」


「面白い?」


「大事なことだぜ、旦那。あたしが、愉快か、そうじゃないのか。世の中で考えるべきは、それが一等だ」


「お前さんは、もう少しまともな趣味を持った方がいいな。それか、医者にてもらえ」


「手遅れ」




 くつくつと笑ったミドラに、マルルモも苦笑をこぼした。



 しばらく、一行は何事もなく進んだ。


 最初に気付いたのは、ミドラだった。


 遅れて、マルルモが馬車を止める。


 街道から少し離れた木陰に、人影を認めたのだ。




「行き倒れか?」


「あるいは、それこそ魔物に襲われでもした生き残りか」




 御者台から飛び降りたミドラが、腰に佩いた彎刀わんとうつかに手を遣りつつ、そちらへ足を向ける。


 人影は大木を盾にしているので、こちらからは荷物と足先しか見えないが、おそらく子供の足だ。


 裏に回った。やはり、小柄な少女である。


 みきにもたれ掛かるようにして顔を伏せている。


 恰好からして、旅装という感じでもないが、逃亡奴隷にしては身なりが整っていた。


 とりあえず、生きているのか死んでいるのか、それだけでも確かめよう。


 そう思って、ミドラは少女の顔に手を遣った。


 息はある。


 少女は、眠っているだけだ。


 ただの通り掛かりとはいえ、子供が死んでいるのを見るのは忍びない。


 少女の顔を持ち上げつつ、ミドラは安堵の息を――。




「——ッ⁉」




 驚きに身を固くしたミドラの腰元で、彎刀が音を立てた。


 とっさに、胸元に手を伸ばす。


 こんな偶然が、あろうものか。


 他人の空似に決まっている。


 それとも、自分までぼけてしまったのか。




「おい、おいおい……マジかよ」




 何度見比べても、同じである。




 上を向いた少女の顔は、ミドラの手元にある手配書のそれとそっくりだった。




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