第一回 「クロエ、王都入城するのこと」




 高い丘を越えると、周囲の旅人が一斉に歓声を上げた。


 旅慣れた様子の商人たちが、馬車の上から田舎者を見る眼を向けている。


 彼らが口にしている「王都」という単語が、クロエにもようやく実感を湧かせた。


 郷里から、歩き通しで三日。


 出発前の想定通りではあるが、憧れの王都にこれから足を踏み入れるのだと思えば、感慨もひとしおというものである。


 遠眼にも地に限りなく広がっているかのように思えた城壁だったが、近付くにつれ、益々眼を引いたのは尋常でない大きさの城門だった。


 その次に、城壁の上に点在する高楼、そしてその遥か向こうにそびえる王城の中核。


 全体的に白で統一された王都の景観は、これから入る者に畏怖と敬意を抱かせるものだ。


 自分は、今からくも神聖な空間に足を踏み入れるのだ、と。


 それでなくとも、田舎暮らしの身には、何もかも大きすぎて現実感がない。




「——止まれ。王都への入城を望む者は、ここで用向きをあらためる」




 皆がみんな、城壁を見上げて歩いていたところへ、門兵の声が掛かった。


 首を戻して、指示通りにそちらへ足を向ける。


 平時の通用と思しき小門の前に、門兵の詰め所が置かれていた。


 小さいとはいえ、それも先ほど見た正門と比べればの話で、こちらも十分大きい。


 十人以上は、横に並んで通れるだろうか。




「——次。そこの娘。お前の番だ」




 そわそわと、いくつかある列のひとつに並んでいたクロエへ向けて、壮年の兵士が手招きをした。


 浮かれすぎて、前の人が通されたのに気付かなかったのだ。




「名は? 何のために、王都へ来た?」


「クロエ・ルルーです。王都ここへは、今代の勇者様が旅に出られるともつのっていると聞いて」


「というと、例の選抜試験を受けに来たのか?」


「はい!」




 上機嫌に返事をしたクロエを、男が信じられない様子で見遣る。


 傍らに居た部下らしき兵士も、クロエの頭の天辺から足の爪先まで見回して、呆れた顔で声を上げた。




「おいおい。本気か、嬢ちゃん?」


「はい。勇者様の旗本は別として、数人の供は平民出身者にも機会を与える、とのお触れ。わたしにも、資格はありますよね?」


「そりゃ、資格は……まァ、あるだろうけどよ。でもなァ、嬢ちゃん」


「悪いことは言わん。興味半分ならやめておけ。此度の試験に挑もうとしておるのは、腕の立つ荒くれ者ばかり。一攫千金を狙って、勇者様の御前で功名を立てようといきり立っておるのだ」


「そうそう、大体が堅気じゃねェ連中ばっかだって話だ。嬢ちゃん、怪我じゃ済まねェぜ」




 心配げに声を揃える二人を見返して、クロエは胸を張った。




「心配ご無用! このクロエも、剣と魔術の腕にはいささかの自信があります!」




 男たちの呆れた眼が、馬鹿を見る眼に変わった気がする。


 それも、生温かいやつ。


 何故なのか。




「そう言ってもな……俺の娘ほどの年頃の小娘を、みすみす行かすわけにもいかん」


「俺だって、まー寝覚めの悪いこと請負うけおいだぜ。なァ嬢ちゃん、ここはひとつ、おじさんたちの顔に免じて考え直しちゃくれねェか?」


「むむむ……!」




 予想外の足止めを食って、クロエは思わずもどかしさに身をよじった。


 今ここに突然、郷里の山にわんさかんでいたような魔獣の一匹でも襲ってくれば、たちどころに斬ってみせるというものだが、そうそう都合よくはいかないだろう。


 かといって、真っ白な城壁に向かって威力の証明とばかりに魔術を撃ち込むわけにもいかない。


 つまり、現状クロエにこの親切な兵士たちをすぐに納得させるだけの手段はない、ということだ。




「……分かりました。試験は見送ります」




 肩を落としてうつむいたクロエが、ややあって言った。


 そうとなれば、ここは一度引き下がる――




「けれど、せっかくここまで三日も歩き通して来ました。それに、このような機会でなければ、わたしのような田舎者にとっては王都など一生のうちに来れるかどうかというものです。せめて、観光の許可だけでもいただけませんか?」




 ――ふりをして、とにかく入城の許可を貰うことにしよう。




「お、おお。そうか。分かってくれたか。そういうことなら、入れてやれるぞ」


「悪いな、嬢ちゃん。俺たちも、できることなら受けさせてやりてェんだが……」


「いえ、考えれば、お二方のおっしゃることはもっともです。わたしも浮かれてました。お気遣いに感謝します」




 いかにも健気な笑みを浮かべて、クロエはうなずいた。


 まさか、院長の言っていた「女はうそと偽りを重ねて美しくなるのよ」作戦を実行する羽目になるとは。


 まだ試験も始まっていないというのに、これでは前途多難だ、とクロエはひそかに息を吐いた。




「それじゃあ、嬢ちゃん。往来にも気の立った連中があふれてるから、気を付けてな」


「はい。ご親切にありがとうございました」




 台の上で検められた持ち物の類を受け取って、クロエは通用門に足を向けた。




「……おい、嬢ちゃん」




 あと少しというところで、後ろから声が掛かる。




「まさかとは思うが、入るだけ入ってこっそり試験を受けよう、だなんて腹積もりじゃねェよな?」


「めめめ、めっそんなとんでもない!」


「めっそん?」


「色々と混ざってるぞ」




 かなり動揺してしまった。


 いい女にはまだまだ程遠い。




「なんか怪しいが……ヴィシュム神に誓えるか?」


「はい! ヴィシュム神には誓えます!」




 今度は胸を張って答える。


 クロエの唯一捧げる信仰は、ただ一人の神のものである。


 それは、昔も今も変わらない。


 故に、王国で盛んに信仰されているヴィシュムなどという神に何を誓ったところで、どうということはない。




「……まァ、いいだろ。行きな」


「はい。それでは!」




 今度こそ止められることなく、クロエは門をくぐって王都の中へ入った。











 行き交う人々の熱気が、クロエの頬を打った。


 四頭立ての馬車が優に五台は並走できる大通り――しかも、片側だけで、である――には、眼も眩みそうなほどの人間がひしめいている。


 両端に軒を連ねる、しっかりとした構えの商店。そのおこぼれを頂戴しようと目論む、いかにも雑多だが妙な魅力を発している大小の露店。


 活気のある掛け声。扱っている品物も、クロエが見たことのあるものは僅かで、ほとんどが知らないものばかりだ。




「そこの嬢ちゃん、王都は初めてかい? ツィトの果実酒を飲んでみな。ここの名物だ」




 興味深げに露店を覗いていたクロエに、店主の親父が声を掛けてきた。


 手元の樽には、微かに白く濁った液体が波を打っている。




「お酒ですか?」


「なァに、果汁搾りと変わらんよ。特にうちのは、上手い具合に手を加えてあっから、女子供でも飲みやすいって評判さァ」




 差し出された木杯を受け取って、一口、舌で味わう。


 酸味が強く苦味も少々あるが、慣れればそれも癖になる感じだ。




「美味しいです。さっぱりしてて」


「だろう? これから暑くなっから、もっと旨くなる。どうだ嬢ちゃん、土産に瓶詰もあるぜ」


「しばらく留まるので、また寄ります」




 銭と木杯を手渡して、手を振る親父に応えつつ歩き出す。


 数軒、同じような調子で飲み食いした。


 祭りに来たような浮かれ具合だと、自分でも気恥ずかしかったが、楽しいものは仕方がない。


 開き直って、あちこち冷やかしに掛かる。


 どうせ、試験は明日からなのだ。今日くらいは羽目を外しても罰は当たるまい。




「占いだよ! お嬢さん、いかがかな!」


「いやいや、若い娘には装飾品と決まっておる! わしの店は西方の珍しい品ばかりだよ!」


「なんの! 着飾るならまずは服だ! うちで揃えれば、いま流行りの格好で王都を歩けるぞ!」


「まるで分かっとらんな! か弱い少女にこそ、無骨な武具が似合うのだ! あァ、お嬢さん!絶対に壊れない手盾と、何もかもを貫く槍は欲しくないかね⁉ お嬢さん――」




 それにしても、この大通りはどこまで続いているのか。


 人の波の中、小柄なクロエには遥か先に聳える王城の高楼だけが見えるが、その間までにどれほど石畳が続いているのか、目視ではまるで掴めない。




「——可愛いお嬢さん、道案内が入用じゃないかい? 安くしとくよ」




 そろそろ明日の会場を下見に行くか、と思っていたところへ、横合いから声が掛かった。


 露店の切れ目、陽の当たらぬ薄暗い路地に、若い女が立っていた。


 暗がりでも、すぐに美人と分かる。


 加えて、昼日中に似つかわしくない、大胆にあちこちを露出した衣装を纏っているのに、クロエはいささか面食らった。


 さすが、都会の人間は進んでいるな、とクロエは思った。




「助かります。明日、勇者様の供を募る試験があるはずなのですが、その会場が分からずに困っていたところです」


「見物かい? あんたぐらいの年頃にしちゃ、渋い趣味じゃないか」


「まァ、そんなところです」


「ふーん、ま、いいさ。どこへだって案内してやるよ。頂けるものを頂けりゃね」




 銭を一掴み、クロエは差し出した。


 これで相手が納得しなければ、さらに乗せていくことになる――らしい。


 昔、郷里の商人が王都ではそうするものなのだ、と教えてくれたのを、そのまま真似しただけだった。


 出店の品物とは違って、案内料の相場など、クロエには分からない。




「ついてきな。こっちだ」




 意外にも、一回で女が銭を受け取ってきびすを返した。


 渋るどころか、嫌な顔ひとつしない。


 艶やかな美貌に加えて、何と親切で良心的な人物なのだ、とクロエは女に好感を持った。




「——待ちなよ、パメラ」




 路地に入って行こうとする二人を、今度は表通りの方から止める声がした。




「……リディアか。酒屋の看板娘が、何の用だい? こちとら、客を取ったばかりで忙しいんだ」


「その客に用がある」




 黒髪を肩口で切り揃えた若い女だった。


 道案内役の、パメラと呼ばれた方とは違って、真面目そうな雰囲気がある。


 いきなりのことで何が何だか分からず、クロエはただ二人のやり取りを静観する構えを取った。




「いつからあんたんとこの酒屋は客引きを始めたんだ? それにしちゃ、お堅い恰好だァね」


「とぼけんな」


「とぼける? 何をとぼけるってのさ。何の用か知らないが、後にしな。あたしの方が先に声を掛けたんだ。街を案内してやろうってさ。——ねェ?」




 不意に、パメラが肩を抱いて顔を近付けてきた。


 花のような、いやに甘ったるい匂いに気を取られつつ、クロエは首肯する。


 二人の険悪な雰囲気の訳はよく分からないが、今のところパメラの言に誤りはなかった。


 ために、クロエにあえて否定する理由もなく――




「? お客サン、何で赤くなってんの?」




 ――断じて、肩に当たる柔らかいものに言わされているのではないったらない。




「残念、うちの客だよ。その子は」


「はァ? 苦し紛れにも程があらァね。こんなちんちくりんな娘が、試験を受けるだって? 大方、あたしらの話を半端に聞いてたんだろうが――」


「——そうだよね?」




 肩をすくめたパメラを遮って、リディアがクロエに視線を向けた。


 どうして初対面の彼女が知っているかは分からないが、ここは正直に答えておくところだろう。


 知られたとなれば、いつまでも隠しておくようなことでもない。




「は、はい。実は、そのために王都まで来ました。お姉さんに案内を頼んだのも、それで」


「なっ、冗談言いなよ! 意味分かってんの⁉」


「ほらね。その子が試験を受けるんなら、うちの客だ。なら、追いはぎなんかにくれてやる道理がないってわけ」


「追いはぎ?」




 首を傾げたクロエから腕を離して、パメラが舌を打って不機嫌そうに歩き出す。




「パメラ! あんた、いつか痛い目見るよ」


「そん時にもう一回言ってくれる~?」




 振り返らずに手を振って去っていくパメラに、リディアが息を吐く。


 ややあって、路地の入口に立ち尽くしているクロエに気付いたのか、腕を取って通りまで引き戻した。




「大丈夫?」


「何が何やら、という感じです」




 だろうね、と言って、リディアが地面に置いてあった荷物を担ぎ上げた。


 促されるまま、クロエも歩き出す。




「さっきの、パメラは私の幼馴染でね。困ったことにれた奴でさ。あんたみたいな右も左も分かってないおのぼりを捕まえては、路地裏に連れ込んで好き勝手やるんだ」


「確か、追いはぎって」


「そう。小金持ってそうな田舎者の男は、大抵あの恰好に釣られてほいほい付いてく。そんで、仲間が待ってる先で身包み全部がされちゃうわけだ」


「でも、わたしはお金なんて――」


「——ちなみに、女なら金の代わりに身体を頂かれる」




 パメラが僅かな銭で納得した理由が分かった気がする。




「まァ、あんたぐらいの子なら、一通り終わった後に案内ぐらいはしてくれたかも知んないけど」


「いや、明らかに報酬と釣り合ってないんですけど⁉」


「ああいうあくどい奴も居るから、しっかり気を張ってなって話だよ。ぼんやりしてたら、あっという間に食い物にされるよ、ここじゃ」


「むむむ……!」




 存分に浮かれていた自覚があるので、言い返しようもない。


 しかし、入城して程なく貞操を失うところだったとは、リディアには本当に助けられたことになる。




「危ういところを、助かりました」


「いいよ。元が、幼馴染の不始末だしね」


「そういえば、どうしてわたしが試験を受けるって知ってたんですか?」


「あァ。入城の時、私後ろに並んでたから。面白い子が居るなって」




 聞けば、リディアは宿泊もできる大きな酒場の一人娘らしい。


 実家である店が、国から「勇者のお供選抜試験」を受ける者の指定宿泊所に選ばれたとのことで、買い出しに王都の内外あちこちに出向いている最中だったそうだ。


 門兵とのやり取りを聞いて、声を掛ける時機をうかがっていたところで、パメラに先を越されたものだから、慌てて出てきたのだと。




「ってわけだから、付いてきなよ。……あ、安心して。私は、ちゃんとした案内人だから」


「これでまた騙されてたら、一目散に逃げます」


「大丈夫。私はパメラみたいな趣味はないから――はは、真昼間に外とか、あり得ないでしょ」




 否定するところはそこで合ってるんだろうか。


 いつでも逃げられるように荷物を背負って、クロエはリディアの後ろを付いていった。



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