転生JC、手違いで勇者を再起不能にして指名手配さる――国外逃亡、からの最強の魔術師を目指す冒険、再出発です!――
龍宝
第一部 第一章 「脱出篇」
プロローグ
こぼれる、と思った時には、もう涙のしずくが流れ落ちていた。
一度
少女は、膝を折って目線を合わせ、しゃくり上げる幼女の目元を
「他の子たちをお願いね。——そうだ、わたしの服とか、本とか、全部あげるよ。大したものはないけど」
「……わかった。お姉ちゃんが帰ってくるまで、あずかる」
預かる、という一言にささやかな抵抗を感じて、少女は胸を突かれた。
何かを言おうとして、ちょうど鳴り始めた礼拝堂の鐘の音に遮られる。
だから、眼前のか細い身体を、ひしと抱きしめた。
熱いものが伝わってくる。
これが、自分に向けられた想いなのだ、と少女は思った。
「ありがとう。いつの間にか、大人になってたんだね」
「お姉ちゃん。ちがうよ、わたし……」
別れに涙はこぼせども、引き止めはしない。
妹分の健気さに、自分の想いも伝われと、かき抱く両腕にいっそう力を込める。
しばらくして、少女は抱擁を解いて立ち上がった。
それを見て、傍らに立っていた金髪の女が声を上げる。
「寂しくなる」
そちらに顔を向ければ、腕を組んだままの女を見上げる形になった。
いつもの気怠そうな眼に、らしくなく力が入っている。
「まだ、分からないよ。栄えある勇者様ご一行のお供になれるかどうか、厳しいっていう試験に合格できなきゃ、その足で逆戻りだし。そうなったら、王都まで三日、試験に二日見ても、十日と待たずに再会できる」
「落ちる気なんざ毛頭ねェって奴が吐く文句じゃねェな、そりゃ」
少女の二の腕を取って、女が続けた。
「何年見てきたと思ってる。あんだけ必死こいて鍛えてきたんだ。お前の腕前で、受からねェわけがねェ。絶対受かる。受かれ。ってゆーか、すごすご帰ってきたらぶん殴ってやる」
「……うん。決まったら、すぐに手紙書くね」
生まれ直してこの方、少女には幾人も姉と呼ぶに値する人間がいたが、最後まで残ったのはこの女だけだった。
そして、ただの一度も少女の夢を止めなかったのも、自分より年長では彼女だけだった。
眼を合わせていると、やはり胸に込み上げるものを感じる。
旅立ちの日までには、背丈も追いつくと良いな、と思っていたが、結局は見上げたままになってしまった。
だが、それも悪い気分ではない。
見つめたままの少女に、女がいかにも面倒そうな様子で手を振った。
「あー? 要らねェよ、そんなもん。それよか、
どうせ、院長や妹たちに宛てた手紙を隠れて読むくせに、とは言えない。
姉貴分の不器用な思いやりが嬉しくて、少女は微笑みながら頷いた。
後ろで括った紫髪が、拍子で揺れる。
それから、場に居た四人のうち、最後の一人に向き直る。
――よりも早く、丸太のような太い腕が勢いよく伸びてきた。
「しみったれてんじゃないわよォ! いいわね、王都のなまっちろい男どもなんかに負けたら承知しないわよ!」
背中を打たれて、少女の小柄な身体が一瞬だけ宙に浮いた。
少女とは比べ物にならない、堂々たる巨漢が豪快に笑い声を響かせる。
それだけで、辺りの草木が揺れに揺れ、礼拝堂の外壁にひびが入る。
「院長に比べれば、どんな男でも軟弱ですよ」
「あたしは男じゃないわよォ! まったく……
「——ッ⁉」
突然の気合一声、少女の視界が真っ暗になった。
大山のごとくどっしりと、岩だらけの山肌のように隆起した筋肉に、全身を締め付けられている。
尋常でない圧力に、指先に至るまでぴくりとも動かせない。
抱きしめられたのだと、少女は遅れて気付いた。
いや、この
今も、少女の背骨は嫌な音を立てている。
「あんたは、うちの子たちの中でも一番いい女になる。分かってたわ」
「院長……」
「可愛い子には、艱難辛苦を与えよ。冒険の旅、大いに結構よ。精々、女を磨いてきなさい」
「——はい!」
もはや、痛みは気にならなかった。
間近で掛けられる言葉が、ただ少女の身体を熱いもので満たしていく。
「あんたはまだ十四の小娘だけど、この旅を存分にものにするのよ。そして、たとえ相手が勇者でも
「——は、い……え」
とっさに言葉を濁した少女を、あとの二人が何とも言えない顔で見遣っていた。
日が昇ったばかりの刻限の早いことで、出立に際して起き出してきたのはこの三人だけだった。
他の者は、みな昨夜の壮行会で疲れ切ってまだ寝息を立てていることだろう。
一通りのやりとりが終わって、いよいよ旅立ちの段になる。
「——じゃあ、行くよ。みんな、元気でね」
旅用の大きな革袋を担ぎ上げて、少女は一同を見遣ってから背を向けて歩き出した。
いよいよだ。
払暁の光に向かって、少女は次第に高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。
自然と、足取りも速くなる。
生まれ直して、十四年。
いや、その前を含めれば、さらに倍。
待った。待ちに待った。
いよいよ、冒険の旅に出るのだ。
この先に、いかなる艱難辛苦が自分を待ち受けていようと、決して逃げることはない。
「——クロエ・ルルー‼」
駆け出そうとした瞬間、背後から大音声が聞こえてきた。
「いま一度、問うておこう‼ あんたの夢は、これで叶うものか――⁉」
少女——クロエは、振り返って、院長の巨躯を遠くに見た。
芝居がかった物言いに、言わずば行かすまい、と気焔をまとう偉丈夫と、眼が合った。
夢。夢だと。
何を、分かりきったことを。
クロエは、体内の魔力を練り上げ、ありったけ腹の底に送り込んだ。
「——いいや!」
魔力を乗せて何倍にも増幅された大声が、辺りに轟き響く。
そうだ。
これは、ただ一歩を踏み出したに過ぎないではないか。
「わたしは、魔術師、クロエ・ルルー‼ 今はまだ、無名の若輩なれど!」
そうだ、これでは足りない。
「わたしの夢は、たかが勇者の供になることじゃない! 強くなること! 誰よりも、強く!」
もっとだ!
「すなわち、至強の道! すなわち、万人の認める魔術師の道!」
もっと!
まだ、足りぬ――!
渾身の魔力を乗せて、轟かせる。
「すなわち――『
真っ赤に輝く旭日を背に負って、クロエは
込められた魔力が暴風となって、大地を吹き荒れる。
「まずは、王都のなまっちろい連中を出し抜いてきます――‼」
ざっと
燃えるような陽光を一身に受けて、高揚がまるで止まらない。
何と清々しい気持ちか。
遠くで、院長の大笑が聞こえてくる。
今世で得た家族に背を押され、行く手には旭日のまばゆい光に受け入れられているのだ。
今更に、生まれ変わったような心地ではないか。
叫ぶ。
叫ぶ!
どうして、叫ばずにいられようか!
今日より、世界は我が咆哮を聞け!
声を、叫びを、我が名を、この世界に轟かせるのだ!
最強の魔術師の称号、『
王都の目抜き通りに、疾風のように駆け走る影がひとつ。
いや、その後ろから、数十の怒声が響いている。
つと、商店の明かりに交じって、きらびやかな閃光が瞬いた。
王都は、既に日が沈んで久しい。
店内から漏れ出す照明があるとはいえ、夜の通りに瞬く光は芸術的にすら見えた。
やがて光は数を増し、先頭を行く影を照らし出す。
小柄で、年若い、紫髪の少女。
「——止まれ! クロエ・ルルー!」
背後から掛かった声に応えることなく、クロエは露店の屋根を蹴って宙に身を躍らせた。
僅かに遅れて、露店の近くで光が爆ぜた。
着地した路地の手前で、通行人が「花火か?」などと呑気な声を上げているのを見て、クロエは声を大にして否と言いたくなる。
あれは、魔術の光だ。
火か、雷か、はたまた光か、属性は様々だが、いずれもまともに当たればかすり傷では済まない程度のものだ。
先ほどから逃げ続けているクロエには、それがよく分かる。
分かる、のだが――
「クロエ・ルルー! 勇者様の暗殺未遂容疑で逮捕令が出ている! 大人しく縛に付けぃ――‼」
どうしてそんなものを放たれまくっているかについては、実に
「聞いているのか、この大逆人め――‼」
「恐れ多くも王国の英雄たる勇者様に手を出すなど! 死刑は免れんぞ!」
「回り込め! この王都から、何としても、あの叛徒を生かして出すな‼」
雨あられと撃ち掛けられる魔術の砲火に
然る後に、弾かれたように上を向いた。
「うあー! どうしてこうなったァァァァ――‼」
王都の夜空に、クロエの絶叫が鳴り響いた。
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