第51話 また君に会うために

 ――修学旅行、結構楽しみにしてたのにな。父の日のプレゼント、もうすぐ決まりそうだったのにな。皆とまだまだ一緒にいたかったのにな。大好きな樹君と、もっと、もっと。

「気分はどうかしら? 諸星鈴さん?」

 嘲りを含んだ声が、頭上から下りて来る。冷たい壁を背もたれに、暗鬱な心境で座り込んでいた鈴は顔を上げた。

「気分? 最悪に決まってるでしょ」

 怒りと軽蔑の眼差しをもって、鈴は美埼を睨み付ける。

「あたしを人質にでもしたつもりだろうけど、お生憎様。あんたの思い通りにはならないから」

「どうして?」

 心底分からないといった風に、美埼は首を傾ける。

「貴方がここにいるって分かれば、間違いなく樹は飛んで来るでしょうし、そうやって感情的になった無鉄砲な樹を、渚が一人で行かせるとも思えない。貴方という餌一つで二人も釣れるんだから、私には充分過ぎるくらい都合が良いんだけど」

 そんな訳がない。こんな失態を犯した鈴を、樹達が許してくれる筈がない。誰もが呆れ返っているだろう。更に言えば、ここは完全に彼らの管轄外。鈴のために来る理由がない。美埼の思惑は、完全に的を外している。もし樹や渚がここに来ることがあったとしても、それは飽くまで彼らの自死の元凶である美埼を倒すためで、やはり鈴の存在は関係ない。

「う……」

 自分で考えて、確信して、孤独と自己嫌悪でどうにかなってしまそうだった。じわりと涙が滲み、溢れた。

 仕事の邪魔だけはしないと決めていたのに、自分は何をしているのだろう。捕まって、監禁されて、人質にされて。不甲斐なくて、罪悪感と申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「余計な人まで釣れちゃうんでしょうけど、そこは我慢するとして――」

「ねぇ」

「ん? 何?」

 声を上げて泣き出したい衝動を抑えながら、鈴は美埼に目一杯の敵意を向けた。

「なんで、実の弟にこんなこと出来るの? どこまで樹君達を苦しめたら気が済むの? 二人が何したっていうの?」

 美埼は答えない。嘲りを含んだ笑顔のまま。その態度が、鈴の怒りに油を注いだ。

「あんたに人生を滅茶苦茶にされて! 死神になった後もずっと傷付いてきたのに!……なのに、まだ苦しめるの? 二人をいっぱい苦しめて、消滅させなきゃ満足出来ないの?」

 ほんの一瞬だけ、美埼の顔から笑みが消えた。

 少々の無言の後、美埼はようやく口を開いた。

「最後だけ修正させて。私は樹達を殺したい訳じゃないの」

「……え?」

「戦う気もないわ。あっちがどうしてもって言うんなら、応戦してあげなくはないけど」

 平気な顔をして、そんなことを言ってのける美埼。それは、鈴の理解を超える内容だった。

「何それ……矛盾してるじゃない! あんた、あの病院で二人を殺そうとしたでしょ! 仲間の死神を使って!」

「ああ、その話。あれ、私が指示した訳じゃないのよ」

「そんな訳ないでしょ!」

「本当のことよ。もう指示出来る立場でもなかったし」

 肩を竦め、美埼は続ける。

「ヘルメスにもクロノスにも、私は一度だって樹達を殺してなんて頼んでないわ。。でも、残念なことに、あのお馬鹿さん達、私との契約が切れるなり、待ってましたとばかりに樹達を殺しに行っちゃったの。よっぽど見下してたんでしょうね。私にとっても、とんだ迷惑だったのよ?」

 美埼の台詞の意味を全て呑み込めた訳ではないが、それでも鈴は、ある可能性に思い至った。

「まさか……あんたが渚君を助けたのって」

「もちろん、まだ死なれたら困るからよ。樹の方はなんとかなってたみたいだからほっといたけど、渚の方は違ったから。仕方なくね」

 しかし、そこまで話した所で、美埼に明確な変化が表れた。

 美埼はたちまち苦悩の表情を浮かべ、その場に膝を突くと、自らの口元を覆い、大きく咳き込んだ。間もなく、受け止め切れなかったが、美埼の指の隙間からぼたぼたと落下して、床上に幾つもの赤い水滴を作っていった。

 何が起きたのかまるで理解出来ず、背筋に冷たいものを感じながら、鈴は呆然と美埼を見詰めた。

「……意外と長くもってたけど、そろそろみたいね」

 蒼白な顔を上げ、薄い笑みを湛えた美埼の言葉は、やはり鈴には分からなかった。

「何……? どうなってるの……?」

 そう口にするのが精一杯だった。答えは返って来なかった。

「喜んで。諸星さん。樹に会わせてあげる」

 口元の血をシャツで拭い、ふらりと立ち上がった美埼は、こう言ってにっこりと微笑んだ。

「そんなこと、出来る訳が――」

「ついでに、貴方にもチャンスをあげるわ」

 美埼は鈴の台詞を遮り、ハーフパンツのポケットから出した大ぶりの折り畳みナイフを鈴に差し出した。 

「チャンス? こんな物でどうやってあんたに……!」

「まあまあ」

 軽い調子で鈴を宥めながらナイフを置くと、美埼は死神の姿に転じ、大鎌の切っ先を鈴へと定めた。

「まだ使ったことのない禁術だけど……貴方には、私の運命共同体になって貰うわ」

 大鎌が黒く輝く。


 * *


 鈴の失踪から二日。未だ進展はなく、樹の心の澱は溜まっていくばかりだった。

 仕事中だけはなんとか気持ちを切り替えていたが、それ以外は駄目だった。何をしていても、いなくなった鈴のことが頭から離れない。

「僕のせいだ……」

 夕刻。今日何度目になるかも知れない独白をする。

 自分が鈴と出会ってしまったから。鈴を受け入れてしまったから。――鈴を愛してしまったから。

 美埼が鈴を攫ったのは、既に樹の中では疑いようのない事実で、あらゆる前提と化していた。渚や燿がしてくれた助言をもってしても、この前提は覆るに至らなかった。

 常に意気消沈している樹を見て、渚はたびたび鬱陶しげな顔をするが、今回ばかりは何も言ってこなかった。燿が樹を茶化す頻度も、微妙に低くなったように思う。彼らなりに気を遣ってくれているのが良く分かる。申し訳ない。

 なんの気力も湧かず、力尽きたようにローテーブルに伏せていると、インターフォンが鳴った――気がする。渚が応答に向かった――気がする。玄関のドアが開いた――気がする。頭が回っていないため、どれも確信は持てない。

「入るよー」

「入ってから言うな」

 辛うじて認識出来た遣り取り。一応は確信が持てた。

「まーた食い荒らされたトウモロコシみたいになってるよ」

 燿が室内にやって来たらしい。トウモロコシとは樹を指しているのだろうが、今は言い返す気力もない。

「分かったよ。鈴ちゃんの居場所」

「!」

 燿が淡々と発したこの台詞により、トウモロコシは復活した。

「あー、萎えるわその反応」

「マルス! 鈴はどこに……っ」

「学校」

 絶句する程度には想定外の回答だった。言葉を詰まらせた樹の斜向かいで、渚が僅かに眉を寄せる。

「どこのだ?」

 樹を放置し、渚は尋ねる。

「警察や上層部が動いている以上、近辺は考えづらいが」

「その通り」

 取り出したスマートフォンを、燿が樹達に見えるようにローテーブルの上に置いた。

「ここ。九州の小学校だね」

 燿は飄々としているものの、樹と渚の顔色の変化には気付いているだろう。彼に気付かれない筈がない。

「この学校、だったりする?」

 顔を強張らせたまま、樹は静かに首肯した。

「……やっぱり、鈴はサトゥルヌスに?」

「うん」

 燿はあっさり認めた。

 美埼への怒りと憎しみがぶり返し、暴走し掛けた感情になけなしの理性を注ぎ込んで、樹はひたすらに耐えた。

「そういう訳で、明日出発ね」

 軽快な口調で告げられた不可解な内容は、樹の反応を遅らせるものだったが、燿はすぐに樹の気持ちを汲んでくれた。

「大丈夫大丈夫。幾らアタオカのクソアマでも、君をおびき寄せるために鈴ちゃんを攫ったんなら、今すぐ殺すような真似はしないよ。それに、こっちにも準備ってものがあるし」

「準備……?」

「? 現地の部署とも交渉しなきゃいけないし、ここ周辺の部署にも、また俺達がいない間の穴埋めを頼まなきゃいけないでしょ。どう考えたって、今日中に行くなんて無理――」

「ちょ、ちょっと待って」

 樹は慌てて制止の声を上げる。燿が先ほどから浮かべていた怪訝の色が、より一層濃くなった。

「何?」

「『俺達』って?」

「は?」

 真顔になる燿。しかし、その真顔がいわゆるドン引き顔に変わるまでに、ほとんど時間は掛からなかった。

「ユピテル……。まさかとは思うけど、一人で突撃する気だった訳じゃないよね?」

「え? だって……」

「だってじゃないよ! 馬鹿なのは知ってたけど、ここまで馬鹿だとは思わなかったよ! このお馬鹿っ!」

 珍しく本気で怒っている燿に、樹は意味が分からないまま怯むも、どうにか弁明を試みた。

「だ、だけど、鈴が攫われたのは僕のせい――」

「だとしたら何! 自ら進んで殺されに行くの!? 自死が趣味なの!? このお馬鹿っ!」

 元より並外れて大きい燿の声が、より強くなって空気を揺さぶった。収拾が付かなくなりつつある場の空気に、渚が冷めた声を割り込ませた。

「そいつは昔からそうだ。要らん責任感と自己犠牲しか頭にない。今更どうにもならん。諦めろ」

 渚に遠回しに自制を促されると、燿はほんの少しだけ黙った後、恐ろしく深い溜息を吐き出し、改めて樹を見た。

「あのさ、ユピテル」

「う、うん」

「前から思ってたんだけど、俺達のこと舐め過ぎじゃない?」

「……え?」

「そんなに薄情に見える?」

 瞠目する樹に、渚と燿の視線が集まった。

「それに、鈴ちゃんにはでっかい借りがあるんだから、今が返す絶好の機会じゃない?」

 どことなく悪そうな顔をして、燿はそう言った。



【To be continued】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る