第48話 死神戦隊ウノレンジャー

 二〇一号室。ここで間違いない。

 諸星鈴もろほしすずは、幼馴染みとショッピングやカラオケを楽しんだ帰りに、ある誘いを受けてここに来ていた。

 予備のエコバッグを持っていて良かった。空のまま畳んで持ち歩いていたそれは、今はパンパンに膨れている。

 エコバッグの中身を確かめながら、鈴は喜びと期待で胸を躍らせた。


 * *


 ある日の夕暮れ時。宇野家の玄関のドアが開いた。インターフォンは鳴っていない。

「すき焼きしよー!」

 嫌と言うほど聞き慣れた大声。大砲のように飛んで来たそれは、夢うつつの樹の頭を強打した。

 ローテーブルに伏せていた顔を上げ、眠気眼を玄関の方へ向ける。づかづかと無遠慮にこちらに近付いて来るのは、確認するまでもなく燿だ。

 しかし、燿が仕切りを開けて顔を出した瞬間、見事な縦回転を繰り返しながら飛んで行ったメンズ雑誌の角が、その無防備な額にクリーンヒットした。

「ひ、酷いよメルクリウス……」

「酷いのはお前の常識のなさだ」

 大木のように倒れた燿に、攻撃者は涼しげに言い放つ。

 雑誌が自らの手を離れたことにより、渚の興味は例の如くスマートフォンに移った。以降、燿には見向きもしない。

 燿の手中に、膨れ上がった大型のエコバッグが見て取れる。話の流れからして、中身は牛肉その他だろう。

 やがて、何事もなかったように復活を遂げた燿は、頑張って欠伸を噛み殺していた樹に向けて言った。

「すき焼きしよ」

「五月に?」

「季節とかどうでも良いよ。俺がしたい時にする」

「そう……」

「しないの?」

「しないというか、急すぎて」

「鈴ちゃんも呼んだのに?」

 しれっと聞き捨てならない告白をされ、樹の思考は一時的に停止した。

「今なんて?」

「鈴ちゃん呼んだ」

「え」

「バイトの帰りに会ったから誘ってみた」

「え」

「ユピテルが喜ぶと思って」

「え」

「嫌だっだ?」

「い、嫌とかじゃないけど……」

 動揺と普段の二割増しの緊張でしどろもどろになる樹に、燿は意味深な笑みを向けるも、特に言及もせず、あっさりと仕切り直した。

「肉は俺の奢り! 野菜は君達が用意してね! じゃ、五分以内にうちに来てね!」

 燿の中では、既に樹達の参加は決定事項らしい。

 嵐のように現れ、嵐のように去って行った燿に唖然としていると、渚がおもむろに立ち上がった。

「渚……行く?」

「断ったとして、奴が諦めると思うか?」

「思わない」

「それに、諸星あれも来るのだろう?」

 そうだ。燿の悪気により、樹の選択肢は潰されている。

 樹の複雑すぎる内情を知ってか知らずか、キッチンへ移動した渚は、感情の読めない顔で野菜室を開けた。


 * *


 二〇一号室のインターフォンを鳴らす。応答してくれたのは樹だった。

「樹君!」

「う、うん」

 何故だか歯切れの悪い樹。彼はぎこちなく鈴が通るスペースを確保しながら、もごもごと鈴を促した。

「えっと……上がって。僕の家じゃないけど」

「? お邪魔します」

 様子がおかしい樹に誘導して貰いながら屋内に入ると、リビングとおぼしき方向から口論が聞こえて来た。淡白だが棘のある声と、無遠慮で大きな声。どちらも知った声だ。

「渚君、燿さん。こんばんは」

「やあ、鈴ちゃん。早かったね」

 鈴が樹と共に向かうと、口論がぴたりとやんだ。

 とてつもなく切り替えが早い燿の表情には、既に不満の色一つ残っていない。一方的に話を打ち切られた渚の表情からは、現時点で不満の色しか窺えないが。

「じゃ、そこ座って。ユピテルの隣が良いでしょ?」

「うぇっ?……ま、まあ」

 その通りではあるものの、この手の直球な台詞は心拍数に影響が及ぶ。顔が火照ってきたところで、ちらりと樹の方を見遣る。――概ね鈴と同じ状況のようだ。樹は燿にささやかな抗議の視線を送っているが、明らかに相手にされていない。

 樹は肩を竦めるも、すぐに鈴に向き直ると、「座ろう」と穏やかに促してくれた。

 鈴の左隣に樹が座る。学校の定位置と同じで、落ち着く配置だ。

 テーブルの上には、既にガスコンロとすき焼き鍋、牛肉と野菜、四人分の食器が用意されている。いつでも始められる万全の状態だ。

「そういえば、その荷物は?」

 樹に尋ねられる。よくぞ聞いてくれた。鈴は意気揚々と、三人に見えるようにエコバッグの中身を提示した。

「お豆腐と舞茸としらたき! あと麦茶!」

「あー、その辺すっかり忘れてた。鈴ちゃん、気が利くね。誰かさんと違って!」

 鈴を褒めつつも、しっかりと余計な一言を加える燿に、再び仏頂面になった渚が鼻を鳴らした。

「鈴」

「何? 樹君」

「有難う」

「うん」

 樹の言葉は曇りがない。鈴が彼に惹かれた一番の理由だ。

 程なくして始まった肉の争奪戦は、鈴に平凡で平穏な日常を想起させ、心を温めた。

 だから、鈴はぽつりとその言葉を口にしていた。

「こんな日が、ずっと続けば良いのに」

 それなりに騒がしかった室内に、すっと沈黙が落ちた。

 叶う筈もない願い。ここにいる誰もが知っている。しかし、鈴のこの願いを、敢えて否定する者もいなかった。

「……そうだね」

 樹が静かに肯定の意を示す。それが何よりも嬉しかった。不可能と分かっていても、望むだけなら自由だ。

 とはいえ、気まずいとまでは行かずとも、微妙な空気にしてしまった点は反省しなければならない。鈴が三人に謝ろうとしたその時、インターフォンが矢継ぎ早に五回ほど鳴り、場の空気を揺さぶった。かと思えば、こちらが反応する暇もなく、玄関のドアが恐ろしく乱暴に開かれた。

「てんめぇ、マルス!」

「あ」

 響き渡った脳を揺さぶるほどの怒号が、燿の顔色を変えた。間もなく、床を踏みしだくような足音が近付く。

「なに呑気に飯食ってんだ! 今日という今日はただじゃ置かねぇ!」

 現れた赤髪の男性は、阿修羅の如く激昂しており、双眸を血走らせている。無関係の鈴ですら縮み上がる光景だった。

「さっさと来やがれ! 今日こそはその腐り切った根性を叩き直してやる!」

「いやいや、待って! 超待って!」

「ふざけんな! なんで活動時間外のおれ達が、お前のサボりのツケ払わなきゃなんねぇんだよ!」

「わー! 俺の肉がーっ!」

 燿は情けない悲鳴を上げながら、赤髪の男性に捕まり、連行されてしまった。二人が消えて行った玄関の方からは、控え目ではあるが、燿に遺憾の意を述べる女性の声も聞こえた。

 呆気に取られる鈴の隣で、樹が苦笑いを浮かべた。

「いつものことだから」

「そ、そうなの?」

「うん。気にしないで」

 向かいでは、渚が呆れ返った様子でお茶を飲んでいる。

「懲りん奴だ」

 そう短い感想を口にした後、渚は「帰る」とだけ言い残し、鈴達を置いて出て行ってしまった。

 鈴と樹のみが取り残された室内は、豪風雨が過ぎ去ったように静かになっていた。まだ半ばほど残った食材を見下ろしていると、急におかしくなってきて、自分でも良く分からない笑いが込み上げて来た。

 鈴が声を立てて笑い、樹も釣られた風に仄かに笑う。

 ――こんな日が、ずっと続けば良いのに。

 叶わない願い。意味のない希望。それでも、今は。



【間章5 End】

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