間章 続・こぼればなし
第46話 新人教育[Mercurius,Apollo]
とある山奥に聳える貫禄ある旅館には、人間には知られざる裏の顔が存在する。
かつては人だった人ならざる者達――死神達の会合の場。上層部のウラヌスと繋がりを持つ女将が、臨時休業という体で人間を遠ざけ、提供してくれる場所だ。
二〇〇九年八月。午前の会合が終わり、昼食を待つ間。
双子の兄の
我ながら不釣り合いな大鎌を脇に、渚は自らの菫色のオーバーコートの袖を握り締めた。
菫色の意味を知ってから、今日までずっと惨めな想いを抱えてきた。死神の基本とも言える魂の回収に留まらず、
黒とまでは言わない。でも、それならせめて、自分も藍色が良かった。これ以上、樹の後ろにいるのは嫌だった。
「あー、いたいた。メルクリウスー!」
「!」
ビクッと肩が跳ね上がる。大砲のような大声を放ってきた相手の方へ、おじおじと目を向ける。
大広間に戻って来た背の高い先輩の死神――
「隣、座って良い?」
「……」
座ってから聞かれても困る。
「昼まですることないね」
事実ではあるので、首を縦に振った。
「お腹空いたね」
それほどでもないので、首を横に振った。
「ユピテルとディアナ、戻って来ないね」
縦に振った。
「今日は良い天気だね」
横に振った。
「早く一人前になれると良いね」
縦に振った。
「洋食派?」
横に振った。
「犬派?」
縦に振った。
「あいうえお」
フリーズした。
「いろはにほへと」
動けない。
「竹やぶ焼け――ごっ!」
渚が内心怯えていると、燿の言葉が第三者の手によって遮られた。
「こら。新人で遊ぶんじゃねぇ」
いつの間にやら大広間に戻って来ていた赤髪の死神が、拳を強く握り締めた状態で、燿の脇に傲然と佇んでいた。
「ったく……お前はよ。こいつ怖がらせてばっかじゃねぇか」
頭頂部を押えて呻っていた燿は、すかさず反論する。
「失礼な! 俺なりに親睦を深めようとしてただけだよ!」
「いちいち逆効果なんだよ! 良いから、ちょっとどっか行ってろ」
見るからに不満いっぱいな燿を追い払うと、アポロは渚と向かい合って、目線を合せるためしゃがみ込んだ。
「悪いな。あれは悪気の塊だ。気にしたら負けだぞ」
「……」
「涙拭け」
アポロに同情の眼差しを向けられながら、渚はオーバーコートの袖口で涙を拭い、眼鏡を掛け直した。
「落ち着いたか?」
声もなく頷いた。けれど、これで終わりにする訳にはいかなかった。今の渚には、やるべきことがある。
「……」
「なんだ?」
渚が何か言いたげにしているのに気付いたアポロが、渚の顔を覗き込んできた。過度の緊張でガチガチになりつつも、渚はオーバーコートのポケットからゴシック調の風変わりなペンダントを取り出し、アポロにおずおずと差し出した。
「あの……これ……」
「ん?」
アポロが怪訝な顔をする。渚も怪訝な顔をした。
「そのだせぇペンダントがどうした?」
「え?」
「あ?」
全く伝わっていない。言葉足らずは自覚しているものの、この一連の動作で伝わらないのは想定していなかった。
「……」
「涙拭け」
自分は何かとてつもなく変なことを言ってしまったのではないかと、不安や怖気で逃げ出したくなったが、渚はなけなしの勇気を奮い起こした。
「こ、これ……僕には使えないから……」
「……ああ。返却したいってことか」
伝わった。安堵によって、また涙が出た。
「持ってて良いぞ」
涙を拭いていた渚に、アポロはそんな言葉を掛けてきた。素っ気なく、なんでもないことのように。
「え……? どうして……」
「それは身分証明書みてぇなもんだ」
「身分証明書……?」
小首を傾げる渚に、アポロは頷いた。
「死神の証。仲間の証だ」
渚は息を呑み、大きく目を開いた。
「まあ、どうしても返したいってんなら、おれの方からウラヌスに返しとくぞ」
渚は黙り込んで、暫くペンダントとアポロを交互に見ていたが、やがてゆっくりとペンダントをポケットに戻した。
「それで良い」
アポロはその精悍な顔に微笑を浮かべ、渚の肩をぽんと叩いた。
「さて、そろそろ昼飯だな」
言いながら腰を浮かせたアポロに倣い、渚は自らの不釣り合いな大鎌を抱えて立ち上がった。
【To be continued】
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