第28話 かくしごと[中編]
学校が終わるなり、樹のスマートフォンに仕事の電話が入った。
渚は微妙な顔をしつつも先に帰ってしまったが、鈴はいつものように樹にくっついて来た。ただ、今日はいつもと何かが違っていた。
閑静な住宅街で発生した事件の被害者の魂を回収し終えたところまでは良かったが、その直後、樹が手中のペンダントを見下ろしながら急に黙り込んでしまったのだ。輪にかけて沈んだ彼の表情に、鈴は強い不安感に襲われると同時に、直前まで元気だった彼の突然の変化に戸惑いを禁じ得なかった。
「樹君? 大丈夫……?」
これ以上の言葉が思い付かず、鈴は生まれて初めて自分の語彙のなさを恨んだ。
鈴の呼び掛けで我に返った樹が、慌てて顔を上げる。彼は明らかに取り繕った表情で、ばつが悪そうに口籠もった。
「ごめん。ぼーっとして」
「なんか顔色悪いよ? ちょっと休んだ方が良いんじゃ……」
樹はゆるりと頭を振る。
「そういう訳にはいかないよ。仕事だってまだ終わってないし」
言っている内容は理解出来ても、それを納得出来るかは別だ。ここまで憔悴している樹が、休むことすら許されないのは酷にもほどがある。
「鈴」
酷く静かに名前を呼ばれた。
「一つだけ、聞いても良い?」
「良いよ。何?」
樹がこちらに背を向ける。その背中はやけに小さく見えた。
「僕は今まで、たくさんの人間を見殺しにしてきた」
「……樹君?」
「たくさんの死神を殺してきた」
「……」
「これから先も、僕はそうやって生きていくんだと思う。死神の役目を全うする日まで、ずっと」
樹はいったん言葉を切る。鈴は黙って樹の次の言葉を待った。もう何を言われても受け入れるつもりでいた。
「それでも鈴は、僕を好きでいてくれる?」
ほんの少し驚いた。何故そんなことを聞くのだろう。答えなど決まっているのに。
「何言ってんの。当たり前じゃない。急にどうしたの?」
樹はようやく振り返って、とても小さく笑った。儚げで、寂しげで、頼りない笑顔だった。何かあったのだろう。
「前に言ったでしょ? 樹君は樹君だって。あたしは、最後まで樹君の傍にいるよ」
子供に言い聞かせるように語って、樹をそっと抱き締めた。一瞬跳ねた樹の手から滑り落ちた大鎌が、からんと音を響かせながら地面に横たわった。
「なんとかなるよ。だって、樹君は一人じゃないから」
そう続けた鈴もまた、樹に抱き締められていた。鈴の肩に顔をうずめて、樹は沈黙している。だが、鈴は気付いていた。目の前にある肩が、背に回された腕が、酷く震えていることを。
「……ねぇ、樹君。今度またスケブ見せてよ」
抱き締め、抱き締められたま、鈴は言った。樹はまだ僅かに影の残る顔を上げ、か細い口調で応じた。
「けど、あれから全然増えてないよ」
「良いの! あたし、樹君も樹君の描いた絵も大好きだから!」
樹が虚を衝かれたように目を見開く。そして、見る見る内に赤くなっていく。
「樹君? どうし――いひゃい!」
「今のは卑怯だ」
「いひゃいいひゃい!」
真顔で鈴の頬をつねる樹は、ほんの少しだけ元の調子に戻っていた。
* *
翌日の土曜日。長らく感じていた違和が表面化した。
渚がゴミ出しを終えて戻って来ると、リビングの方から樹の取り乱した声が聞こえて来た。
「ちょ、ちょっと待っ――」
他に誰もいないので、通話中なのは分かる。しかし、樹が取り乱している理由は分からない。
リビングに入る。そこで渚が目撃したのは、通話を終えた樹が呆然と画面を見詰めて停止している姿だった。早朝ということを考えれば、たぶん仕事関係の電話だったのだろうが、単に仕事の要請が来たくらいで樹がこうなるとは思えない。
「どうした?」
自分に関係があるかどうかはともかく、一応尋ねてみた。
樹は今の今まで渚の帰宅に気付いていなかったようで、若干驚いた様子だった。スマートフォンをローテーブルに置きながら、彼は酷く複雑な表情で、歯切れ悪く答えた。
「ウラヌスが、今日は休んで良いって……」
不可解が過ぎたため、渚は一瞬言葉を失った。
「渚にも伝えてくれって」
「……急になんだ?」
定位置に着く傍ら、続けて尋ねる。
「今日は人手が足りてるからって言ってたんだけど……」
「そんな訳があるか」
「僕もそう思って話を聞こうとしたら、切られた」
ますます不可解で、意味不明だ。
死神に雀の涙程度の休日が定められているのは、俗に言う過労死やら、精神的消耗による裏切りやらを防止するために過ぎず、それ以外の理由で休みになることは原則としてない。そもそも、一日辺りの死者数からして、人手が足りるなど有り得ない話だ。
当日になって休みを言い渡され、その理由も意味不明。更にはなんの説明もなく通話を切られたともなると、不信感を抱くのは当たり前だ。まるで何かを隠すために無理やり休まされたような――。
「渚」
「……ああ」
樹も同じ考えを持ったらしい。
昨日の燿といい、先月のアポロといい、彼らが渚達に隠し事をしているのは疑いようがない。不信感と疎外感が積りに積もって、今や不快感すら覚えている。極めつけに、更なる不信感を呼ぶ今し方のウラヌスの言動。偶然とは思えない。もしこの三人の隠し事が、三人の間で共有されたものだとしたら。
「掛け直してみる」
樹が再びスマートフォンを手に取り、ウラヌスに電話を掛ける。けれど、暫くの無言の後、彼は肩を落とした。
「駄目だ……。出てくれない」
とことん気味が悪く、腹立たしい。渚は手早く自分のスマートフォンを操作する傍らで、樹にぶっきらぼうに告げた。
「マルスに掛ける」
「うん」
半分やけになり、不本意ながら燿に電話を掛ける。しかし、幾ら待っても燿が電話に出ることはなく、程なくして留守番電話に切り替わった。普段はマシンガンの如く喋り倒す癖に、こんな時に限って静かなのが気に入らない。舌打ちしながら通話終了のアイコンを押し、更に二箇所に掛けるも、結果は変わらなかった。
「やっぱり繋がらない?」
「ああ」
「一応、アポロとディアナにも――」
「いま掛けた。無駄だったが」
「そっか……」
燿やアポロに加えて、同じく同課のディアナもこの有様だ。恐らく、彼女もグルなのだろう。
「絶対に何かあるのに……なんで僕達だけ」
俯き気味に呟く樹は、落ち込んでいるようにも苛立っているようにも見える。多分その両方だろう。元より短気な渚はともかく、樹すらも苛立たせるあの四人はなかなかの曲者と言える。駄目元でメールも送ってみたが、昼を過ぎても既読すら付けない徹底ぶりに、最高に悪い意味で感心した。
「もういい」
地を這うような声。これでも無意識だ。堪忍袋の緒が切れ、憤然と立ち上がった渚は、カラーボックスから大型のエコバッグを二つ引っ張り出すと、内一つを樹に投げて寄越した。
「あいつらに話す気がない以上、ここでじっとしていても意味がない。――手伝え」
目を瞬く樹に最低限の説明を施し、渚は大股にリビングを出て行った。
* *
今朝のチラシを見て、いつもより少しだけ遠いスーパーに来た。
日用品の買い物を終え、入口付近にある花屋に何気なく立ち寄った鈴の目に、顔見知りの少年の姿が映った。膨らんだエコバッグと買い物かごを手にしている。随分と意外な場所で会った気がする。
「渚君?」
いつもの無表情で振り返った渚が、鈴を見るなりぎょっとした顔になったのもまた意外だった。一瞬ではあったが、彼にしてはなかなか珍しい反応だ。
「樹ならそこにいる」
「え?」
鈴の背後を指差し、一方的にそう告げるや否や、渚は複数の花の種と殺虫殺菌剤が入った買い物かごを体で隠すようにしながら、そそくさとレジの方へと去って行った。理由は定かではないが、なんとなく決まりが悪そうに見えた。
渚が言った通り、後方には樹がいて、使い終えた買い物かごとカートを元の場所に戻しているところだった。渚同様、彼も膨らんだエコバッグを肩に提げている。
「樹君!」
足早に近付いて声を掛けた。樹が顔を上げる。
「ああ、鈴。来てたんだ。……あれ? 今日稽古は?」
「土曜日は夕方からだから、まだ大丈夫。二人で買い出し?」
「うん。暫く忙しかったから」
人のいい笑顔に今日も癒される。会話を交わしながら、他の客の邪魔にならないよう一緒に移動する。
「じゃあ、今日はちょっと余裕があるんだ?」
鈴が知る死神達は、客観的に見ても働き過ぎだ。たとえ少しでも樹達に余裕が出来たのなら、鈴としても嬉しい。しかし、そう思ったのも束の間で、どういう訳か樹は表情を複雑なものに変えた。何か変なことでも言っただろうか。
「一応、そうなるのかな……」
肩から落ちそうになったエコバッグを提げ直しつつ、樹は答えを濁した。
「一応?」
「実は僕達も良く分かってなくて」
困ったように笑う樹。いまいち要領を得ない。とはいえ、こうして言葉を濁すのだから、彼にとって面白い話題ではないのだろう。詮索するのはやめておくことにして、鈴は質問を変えた。
「買い物は終わった?」
「うん。ちょうど終わったところ」
「じゃあ、途中まで一緒に帰っても良い?」
「良いよ。渚も戻って来たし」
会計を終えて戻って来た渚は、眉間に深く皺を寄せていた。普段の虚無的な表情はなりを潜め、色濃い不快感が見て取れた。
「相変わらずだ。なんの反応もない」
持っていたスマートフォンを仕舞いながら樹に話し掛ける渚の声色は、不機嫌を絵に描いたようだ。
「そう……。予想はしてたけど」
応じる樹も困り果てた様子だ。
樹との短い遣り取りの末、渚は不機嫌なまま先に歩き出してしまった。空気を読んで黙っていた鈴だが、内心では彼の怒りが爆発しないかとハラハラしていた。
「鈴」
樹が鈴に向き直る。既に人のいい笑顔に戻っている。
樹の優しい笑顔も、差し出された温かい手も、鈴が愛してやまないものだ。釈然としない思いは全て胸に仕舞って、差し出された手を迷わず取った。
照り付ける陽光の下に出ると、その眩さに一瞬目がくらんだ。梅雨時だが、今日は本当に天気が良い。たとえ短時間でも、こうして樹達と一緒に歩けるのが嬉しかった。ここに燿も加われば、きっともっと楽しくなるだろう。最後に会ったのは先月の中旬くらいか。
鈴がそんな平和な考え事をしていた時、前を歩いていた渚が立ち止まった。明らかに自然な止まり方ではなかった。あれは何かを目撃して反射的に足を止めたような、そういう止まり方だった。樹と顔を見合わせ、二人で渚の隣まで進み出た。そして、いつもの無感動とも先ほどの不機嫌とも異なる渚の視線を追った。
歩道の右側にそびえる大手ショッピングモール。その一階駐車場の片隅に、黒い人影があった。それが黒いオーバーコートを纏った死神だと、鈴はすぐに理解に至った。
「ああもう! いったいな!」
知っている声。見知った横顔。彼はまだこちらに気付いていない。血の滴る右腕をだらりと下げ、左手で大鎌を握り締めた彼が睨み付ける先は、大型車に遮られてこちらからは窺えない。だが、現状がとても厳しいものだということだけは、鈴達にも分かった。
「燿さん?」
「マルス?」
鈴と樹の声が重なる。
左手の大鎌を振りかざそうとしていた燿が、ふとこちらを見る。目が合った。
「……え……」
燿の表情が凍り付く。燿はたちまち見たこともないくらい狼狽して、脇目も振らず、こちらに向けて鋭い叫びを上げた。
「来ちゃ駄目だっ!」
瞬間、辺り一面に轟音が鳴り響いた。
【To be continued】
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