第4章 死神の正体
第9話 裏切り者の話
時刻は正午を少し過ぎた頃、
「
英訳の途中だったため、斜め向かいで詰まらなさそうにテレビを眺めていた弟の渚に対応を頼む。渚は無言でそれを引き受け、モニターまで歩いて行ったが、モニターを確認して早々に舌打ちした。これにより、樹は客の正体を心得た。
二度目のインターフォンが鳴る。渚が苛立たしげに通話ボタンを押した。
「何度も押すな。聞こえている」
『えー、だったらもう少し早く出てくれても良』
モニター越しに響いていた男の声が、不自然な所でぷつりと切れる。渚が一方的に通話を切ったのだ。
若干心配していたものの、渚がちゃんと玄関に向かったのを見てひとまず胸を撫で下ろす。樹が次の英訳に取り掛かった辺りで、玄関から不毛な会話が聞こえて来る。
「もう、なんで途中で切るかな! 人の話は最後まで聞きましょうって教わらなかったの!?」
「昼間からうるさい」
立腹する客と、冷ややかにあしらう渚の足音がこちらに近付く。樹は客のために窓際へ移動する。間もなく、勝手知ったるなんとやらで、さっさと渚を追い越した客が顔を出した。
「ねぇ! ユピテルからもなんか言ってやってよ!」
客こと
「僕が言ったところで渚は聞かないよ」
「それはそうかも知れないけどさー」
燿は樹の隣に座った後もまだ不満を垂れていたが、追い付いた渚が席に戻ったのを見ると、勝手にテレビを消して話を変えた。
「また裏切り者が出たらしいよ」
「え?……ああ、うん」
話を変えるにしても、脈絡と前置きを欠いている。燿の用件の把握には余計な時間が掛かる場合が多く、そこそこ付き合いが長い樹でも、彼のこういう所だけは未だに慣れていなかった。
ともあれ、燿が仕事の話で訪ねて来たのが分かった以上、文句を言っている暇はない。死神の仕事は大半が急ぎなので、今は続きを聞くのが優先事項だ。
「残念なことに、今回はうちの部署から出たらしいんだよね。しかも二人」
燿の語調は変わっていないものの、言っている内容は深刻を極めていた。
死神でありながら掟に背き、死神と対立する立場に立った存在。裏切り者の彼らは、時として人間に危害を加える非常に厄介な存在だ。新たに裏切った二人のコードネームも含め、樹は告げられた内容を酷く複雑な想いで受け止めた。
「ついさっき上が潜伏先を突き止めたんだけど、二人はそれに気付いたみたいで、今はバラバラに逃げてるんだって。そんな訳で、今日は俺と君達で一箇所ずつ行くことになるかな。捕まえて終わるか、粛清するかは、その時の状況次第だね」
「分かった」
「じゃ、行こっか」
相槌を打ったのは例の如く樹だけだったが、元より期待していないとばかりに、燿もそこには触れなかった。
燿が立ち上がり、樹と渚も彼に続いた。三人で目的地に向かう最中、樹は渚や燿に悟られないよう密かに溜息を吐き出した。気が重い。今日は忙しくなりそうだ。
* *
日曜の稽古を終えて駅の方へ向かう傍らで、低価格で昼食が摂れる店を探す。今日はなんとなく甘い物が食べたい。
大きなショルダーバッグと収納ケースの重みが気にならなくなって、もう随分と経つ。こうして稽古帰りに歩き回り、気分に合った店を吟味するくらいどうということはなかった。かさばるデメリットだけは残るものの、こちらも慣れてしまえば些細な問題だ。
見覚えのある二人の少年の姿を直前まで認識出来なかったのは、カフェやファミレスの類を見付けるため、あちこちに意識を分散させていたせいだろう。無意識に足が止まっていた。本来の目的も忘れてそちらを見ていたら、少年の一人がこちらに気付いた。
「
「あ、やっぱり樹君達だ。二人で何してんの?」
「……えっと」
「樹君? どうかした?」
「ど、どうもしな――」
「分かった! 仕事でしょ?」
樹が吐こうとした嘘を退け、その反応と過去の経験から、可能性の高いものを挙げてみる。樹は呆れるほど分かりやすく言葉を詰まらせた後に、不貞腐れた様子を見せた。
「そうだけど……今日は駄目だからな」
「なんで?」
「危ないから」
樹は渋々肯定しつつも、普段よりも明確な理由を持って牽制してきた。
鈴は思い返す。死神の仕事で特筆して危険が伴うものはなんだったか。そして、樹と渚が同じ場所で仕事をしていたのはどんな時だったか。記憶の限り、答えは一つしかない。導き出した結論が、鈴の心にたちまち暗い影を落とした。
「戦うの……?」
「場合によっては」
樹の淡々とした口調が、却って心配だった。
「だから、今日は本当に――うっ」
樹の後頭部に突如打ち付けられたスマートフォンが、続く筈の言葉をあっさり潰した。驚いた鈴が樹の背後を覗き込むと、自らのスマートフォンを凶器に樹を真後ろから攻撃した張本人が、静かながらも棘を感じさせる双眸で樹を睨んでいた。
「サボっている場合か」
「渚……痛い……」
「知らん」
樹の悲痛な声を一蹴する渚。ほとんど表情がないのに、有無を言わせない凄みがあるのは、初めて会った日と変わっていない。流石に樹が可哀想に思えてきて、鈴は渚の辛辣な態度を宥めようとしたが、当の渚は鈴には見向きもしない。
「正確な場所が分かった。付いて来い」
渚は樹に一方的にそう告げ、背を向けた。
「それから、粛清の指示が出た」
渚が背中越しに付け加えた言葉が、樹の顔色を一変させた。樹はきゅっと唇を噛み、先に歩き出した渚を足早に追い掛けて行った。
「ちょっ、樹君!」
事態は余程思わしくない方向に進んでいるらしい。余裕のない樹の様子が胸をざわつかせた。彼はきっと戦いに行ってしまう。自らの命を危険に晒して、その身と心を削って、役目を果たそうとしている。あの日と同じように。
鈴を空気の如く無視していた渚が、一瞬こちらを振り返った。しかし、その無感動な目から感情を汲むことは叶わなかった。
樹達の背が徐々に遠ざかる。芽生えた焦燥が、鈴に一歩を踏み出させた。
樹達が入って行った路地裏は、表の喧騒が嘘のように静まり返っていた。鈴が行き着いた時、既に彼らは死神の姿に転じており、揃ってある一点を見詰めていた。袋小路になっているそこには、一人の男の死神の後ろ姿があり、その傍らには生存が見込めないほど出血した人間が倒れていた。
「プルトン」
樹が目の前の死神に声を掛けた。プルトンというのは、恐らくこの死神の名前なのだろう。
「……君達か」
プルトンと呼ばれた死神が振り返った。瞳は暗い光を宿し、まだ若い顔は酷くやつれていた。
「どうして……」
今は顔を見ることは出来ないものの、樹の声音は単なる怒気のみならず、悲嘆のようなものを帯びていた。
「どうして、か」
プルトンは微かに笑うが、それは自嘲にも見えた。力なく呟く彼は、全てを諦めたような表情をしていた。
そして、プルトンは樹の質問に質問で応じた。
「せっかく自らの手で人生を終わらせたのに、あっちの勝手な都合で死神にされてさ。君達は悔しくないのかい?」
プルトンが何を言っているのか、最初は理解出来なかった。しかし、彼の言葉は少しずつ、確実に鈴の心に浸透して行った。鈴は嫌な汗が滲むのを感じながら、時間を掛けてその言葉の意味を呑み込んでいった。背筋にぞっと冷たいものが這い上がった。
「死んだ後も死神としてこの世に留まらなきゃいけないなんて、生き地獄じゃないか。……もう沢山なんだよ」
黙している樹達に構わず、プルトンはそう続けた。
「人間にも死神にも嫌気が差した。それだけだよ」
プルトンの持つ大鎌が、禍々しい黒い光を纏う。
樹は口を閉ざしたまま、大鎌に藍色の光を纏わせた。
【To be continued】
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