第2話 呼び出し

 憂鬱な授業を乗り越え、待ち侘びた放課後がやって来ると、鈴は早速行動に移った。せかせかと帰り支度をしている少年の席へと大袈裟に身を乗り出し、まずはにっこりと笑いかける。

「ねぇねぇ。ちょっと良い?」

「良くない」

「聞きたいことあるんだけど」

「良くない」

 少年は取り付く島もなく、目を合わせようともしない。荷物を詰め終えるなり席を立った彼は、鈴の後方を通過し、そのまま教室を去ろうとした。が、逃す訳にはいかない。

「待ちなさい」

 急ぎ足で追い付き、握力を行使して少年の肩を鷲掴む。諸事情により、力にはそこそこ自信がある。抜け出そうと足掻く少年を、鈴は断固として離さなかった。

「っ、離せよ」

「大丈夫だって。ちゃんと場所変えるから、ね?」

「そういうことじゃない」

「そっか。じゃあここで聞くね」

「話聞いてた?」

 露骨に嫌そうな顔をする少年。対し、鈴は満面の笑みで無言の重圧を掛け続ける。

 幾つもの視線を感じる。教室に残っているクラスメイト達が、ちらちらと鈴達の方を見ているのだ。少年もそれに気付いたのか、暫し押し黙った後、頭を垂れながら非常に長い溜息を吐いた。

「……分かった。分かったから、ここではやめて」

「よし!」

 少年の白旗にいたく満足した鈴は、あっさりと彼を解放した。

 掴まれていた肩を摩り、少年が恨めしげに鈴を見る。

「ガッツポーズするな。腹立つ」

 少年は再び背を向け、教室の外へと歩き出す。しかし、急ぐような素振りはなく、もう逃げる気はないのが知れた。

 机に放置していたバッグを肩に掛けると、鈴ははやる気持ちを抑え、いそいそと少年の後を追った。


 * *


「ところで、名前なんだっけ?」

 駅内のカフェで向かい合うこと数分。アイスココアをまったりと楽しむ傍らで、鈴がまず尋ねたのは、少年の名前についてだった。授業中に先生が彼の名前を口にしていた気もするが、授業中のことなどろくに覚えておらず、おのずと本人に尋ねるしかなかった。

宇野樹うのいつき

 少年改め樹は、ストローで烏龍茶を無意味に掻き混ぜながら、半ば投げやり気味に鈴の問いに応じた。

「宇野樹君ね。たぶん覚えた。あたしは諸星鈴。けど、嫌じゃなければ下の名前で呼んで欲しいかな」

「なんで?」

「ちょっとね。今の苗字、好きになれないから」

「……そう」

 なんとなく察してくれたのか、詮索はされなかった。鈴はすぐに思考を切り替え、仄かに漂った微妙な空気を打ち消すため、ここへ来た本来の目的に回帰した。

「で、今朝のことなんだけどさ」

「……」

 樹の操るストローの動きが、彼の心情を反映するかの如く、より速さを増した。激しく波打つ烏龍茶は、今にでも零れそうだ。

「宇野君って人殺しなの?」

 我ながら、明け透けな質問である。そんな質問を受け、樹の表情がやや剣呑なものになる。

「違うって言っただろ」

 鈴をまっすぐに見据え、樹は反論した。彼は剣呑な表情のまま、自らの不穏な感情を消化するように、これまで一切口を付けていなかった烏龍茶を静々と飲み始めた。

 一方で、鈴は悪びれもせず、遠慮なく次の質問をぶつけた。

「じゃあ、死神なの?」

「!」

 烏龍茶が気管に入ったらしい。分かりやすくむせる樹の姿は、どこか可愛らしいとさえ思えてくる。

「ふーん。図星なんだ」

「なっ……そんな非現実的なもの、いる訳ないだろ!」

 口元を拭いながら、樹は若干声を荒くする。彼の確かな慌てぶりが、元々高くない説得力を更に削ぎ落としている。

「だったら、どうして死神みたいな格好してたの? あの鎌に至っては、完全に銃刀法違反だし」

「……そんなの見間違いだ。鎌なんて知らない」

「あとさ、どうして死体の前に立ってたの?」

「あれは、その……たまたまと言うか」

「どうやって木の上までジャンプしたの?」

「そ、それも見間違い――」

「いや、見苦し過ぎでしょ!」

 流石に痺れを切らし、突っ込んだ。樹の嘘や誤魔化しの程度から判断するに、彼は嘘が吐けないタイプの典型らしい。

「幾らなんでも無理あり過ぎ。あんな間近で見られてて、どうしてその言い訳でいけると思ったの? 高校二年生っていうか、もう小学二年生のレベルだよ。やば過ぎてちょっと引いたんだけど」

「……そこまで言わなくても」

 樹は肩を落とし、聞き取るのが困難なほど弱い声音で、ぶつぶつと不服を唱えた。思っていた以上に真面目に落ち込まれてしまい、鈴はほんの少しだけ心を痛めた。

 ほんの少しだけ反省し、ココアを飲みながら静かに見守り始めた鈴の前で、樹は結構な時間を消費した末に元の体勢に戻った。

「人を殺してないのは本当だよ。殺人が御法度なのはも同じだから」

 再び口を開いた樹の目に宿る光は、真剣そのものだった。

「僕達って、じゃあ――」

「そうだよ。確かに僕は死神だ。今朝あそこにいたのは、飽くまであの男性の魂を回収するため。彼は今朝、持病の発作で亡くなることがんだ」

 周りを気にしてトーンを抑えてはいるが、淡々と話す樹の声ははっきりしていた。

「運命ってやつ……?」

「まあ、そうだね」

 樹は頷く。

 時を同じくして、樹の手元のスマートフォンが着信を告げた。樹は視線を落とし、発信者の名前を確認すると、速やかにテーブルからスマートフォンを取り上げた。

「どうした?」

 通話に応じた樹が、電話の向こうの相手に問う。

 電話の向こうの音声は、僅かにこちらへ漏れて来ているものの、ほとんどが店内の喧騒に埋もれてしまっている。内容など聞き取れはしないが、相手が男の声であることだけは辛うじて判別出来た。

「分かった。場所は?……すぐ行く」

 短い通話を済ませ、樹はまだ大半が残っていた烏龍茶を飲み干して席を立った。

「仕事が入ったから」

「仕事? って、もしかして死神の?」

「そう」

 鈴の言葉を肯定し、樹は伝票を手に取った。そのまま回れ右をして会計に進もうとした彼を、鈴が慌てて呼び止める。

「待って! 自分の分ぐらい払うって」

「別に良いよ。時間ないし」

 樹は素っ気なく言い捨て、鈴を置いて歩き去ってしまう。

「待ってってば!」

 もう返事はなく、樹がこちらを顧みることもなかった。既にココアの存在すら意識の外だった鈴は、露ほどの迷いもなく立ち上がると、自らも樹の向かう出口へ直進した。



【To be continued】

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