第46話 タイブレークの悩み
七回の裏が呆気なく終わる。この瞬間、延長が決まる。そして、九回までの延長が終われば、さらに特別ルールが待っている。これから二回のタイブレークが始まり、それが終わりれば、
相手エースピッチャーは外野へ。
高柳の代わり現れたのは、左投げサイドスローの背番号18番。佇まいは後輩のようだが、高柳と遜色ない。スピードこそ高柳に劣るものの、同じ左投げの癖のある軌道と、内角を突くスライダーを武器に、物怖じする様子も見せずにキャッチャー目掛けて全力投球。
「まだ、あんなピッチャーが残ってんのかよ!」
「北犬飼中、抑えの切り札ですよ」
ヨシユキの声に皆ゴクリと唾を飲み、ケンゴはスチャっと眼鏡を持ち上げた。
もし、タイブレークが同点のまま終われば、ピッチャー経験の少ないユイナがマウンドに上がる。打たれたら終わりというプレッシャーの中、満塁という状況でスタートする。
考えるだけで身の毛もよだつ光景なのに、対抗馬のレベルが高すぎる。それでも、投げなければならない。
投球制限。それが俺らに課せられたルールであり、アオイがどうこう言おうと、決して曲げることの出来ない、大人達の決めた規則だ。
ベンチ裏、ブルペンに入る。パシリとキャッチャーミットを叩くと音が響いた。拳をボールに例え、ミットでボールを掴む感覚を養う。父から教わった練習方法の一つ。今となっては昔からの癖みたいなものだが、気合いを入れる意味も含む。
しかし、この状況では(焦りからくる行動なのかもな)と自己分析をしていた。
目の前の少女は左利き。流麗とはお世辞にも言えない、ぎこちないフォームで放たれた白球は、俺の頭上を通り過ぎた。
「すいません」と少女は深々と頭を下げる。「気にするな」とボールを拾いに行く。少しでも肩を温めて、タイブレーク後に備えようと思っていたが……違和感だけが付き纏う。
――これが、あの時に投げたユイナの球か?
朝練に付き合い。「実は投げるのが好きなんです」と言って放った伸びやかなストレートとは程遠い。
次こそはとミットを構えるが、ボールは手前でワンバウンド。そして、三球目……ポトリとユイナの手から白球が溢れ落ちる。不安だけが募っていく。ユイナは謝る事も忘れて呆然と立っていた。
「私じゃ……」
か細い少女の声。それを掻き消すような外の熱気。白球を拾い上げたのは、心配して見に来たヨシユキだった。
「わかるなぁ〜。俺も投げたくねぇ〜もん」
目の前の光景が不思議だった。夢でも見ているのかと思った。(これでは勝てない)という焦り。この世に投げたく無くても投げているピッチャーがいるという怒り。
そんな現状が信じられなくて、(俺は投げたくても投げれない)という哀れな思いが強くなっていく。
「でも、誰かが投げなくちゃいけねぇ……そうだよな。俺に出来っかな?だったら投げるんだけど……ユイナはどう思う?」
「私は……」
「好きにしろ!俺は投げたくても投げれないんだ!」
大声を出していた。出してはいけないと思いながらも、吐き出してしまった言葉に、少女は萎縮する。ヨシユキはそんな罵声に怯む事なく、拾った白球を優しくユイナの手に持たせた。
「どっちが投げても変わんねぇーよな。アオイの代わりなんて出来るわけねぇ。そうだろ、シンジ!アオイだって打たれてんだ。俺だって抑えられる補償は何処にもねぇ……そう思ってんだろ」
暫しの沈黙。二人の視線が、痛いほど自分に向けられている。
「そんな事はない。ユイナなら多少打たれても立て直せる。南摩中の守備力なら守り切れる。ヨシユキだって出来る。ユイナが投げようと、ヨシユキが投げようと抑えられる。ただ、ヨシユキは守備で助けてほしい。そう思っている」
自分からは漏れる冷徹な言葉。そこにロジックは無い。破れかぶれな一言に聞こえたかもしれない。でも正直な気持ちだ。このチームなら……
「シンジ先輩!そろそろ打順が回ってきます」
一年生が声をかけた。「分かった」と返事をする。ブルペンを出ようとする。
「やっぱり、オマエも肩壊しか。投げてぇ、投げてぇって目が訴えてんぞ。オマエもつくづくバカヤローだな」
「……そうだな」
「でもよ、アオイは投げてんだ。せめて打ってやれよ。悔しいけれど、俺じゃオマエの代わりは出来ねぇ」
――代わりか……
ヨシユキに俺の代わりが出来ないように、俺もユイナの代わりは出来ない。もちろん、ここの誰もアオイの代わりは出来ないし、ヨシユキの代わりもいない。
後ろ髪を引かれる思いでベンチに戻る。ベンチから眺む広大な球場。煌びやかな青空から差し込む光と共にバッと映像として駆け巡る。
バッターには三番、キャプテンのコウスケ。急いで足に付けていたレガースを外しながら送る熱視線。次の瞬間、俺は試合が動く瞬間を目の当たりにした。
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