第45話 されど捕手
やっとのことで同点に追いついた四回裏の攻撃が終わる。「ヨシっ!」と気合を入れ直し、マウンドに向かう少女。同点に追いついても、壮絶な投手戦は続いていた。
アオイが丁寧に低めを攻めると、対する高柳は豪快な速球で相手を捩じ伏せる。互いの意地の張り合いが続く。イニングは六回、そして七回。試合は終盤戦へと進みながらも、同一線上を辿り、未だ終わりが見えてこない。
無常な結果に互いの打順が進む中、敗戦に繋がるランナーを出してしまう。相手七番打者を内野ゴロで危なげなく一つアウトを取ったが、続く八番に代打。その代打がセンター前にヒットを放つと、続く九番に送りバントを決める。そして、再び、この男がバッターボックスに入った。
高柳は投打ともに豪快だ。そのダイナミックなスイングは、素振りとはいえ、ビュン!っと嫌な音を鳴らす。
打ち損じても外野に飛ばす技術と力を有するスラッガーに対し、二死ながら、ランナー二塁と危機的状況。外野手は前進守備を取るが悩ましい。長打力のある打者だ。しかし、ここはケンゴの采配を信じる。七回と最悪なケース、ここでの一点が勝負を決する。最悪の決定打になりかねない。
1打席目、外角を本塁打
2打席目、内角をあわやレフト前
――ホントに嫌なバッターだ。何処に投げれば良いのか、まるでわからない。
高柳はバッターボックスに入ると、左の軸足でガリガリと地面を削り、イチローの様にグィーとバットを持った右の肘を伸ばす。
ゆっくりと体重を移動させるテイクバック。軸足に体重を最大限に乗せてから、ピタリと体を静止させる。振り子打法。次の瞬間、素早いスイングスピードでバットを振り切った。
初球、内角低めをバチコンと叩く。無理矢理引っ張った打球は一塁ベースの外。ファールと分かっていても背筋が凍る。力強く弾かれたボールは、今なお外野の芝生を勢いよく転がっている。
(やばいな、これは敬遠で歩かせるか!)と、ふと頭をよぎる打開策。アオイは首を振らず投げるだろうか?たぶん、投げる……だろう。
アオイは頑固そうだが、首を振る事は少ない。気に入らない配給だってあっただろう。あの、散々に嫌だと言っていたスライダーを要求した時だって、初めは首を振らなかった。不平不満を漏らす様なことは無かった。
ボール玉を二回、立て続けて投げる。一つはファール、もう一つはボール。追い込まれてからも、高めのつり球には手を出さない。外に逃げるスローカーブも見逃される。
ツーストライク、ツーボール。
怖いほど冷静だ。追い込んでるはずなのに、こっちが追い込まれている気分。投げる球がない。低めは両サイドとも攻略され、高めは長打になる危険性が付き纏う。そして、つり球のボールへと逃げていく変化球には手を出さない。
チート級のバッターを前に、どう立ち向かえば良い?七回表、最終回にランナーは二塁。一打で試合が決すると言っても過言ではない。
プロの選手なら、どうリードするのだろうか?あの野村克也なら、どう立ち向かう?
(敬遠だ、敬遠しろ、敬遠しかない。)
脳裏に響く歴戦の覇者の声。一塁は空いている。二番バッターは今日ノーヒットと調子が悪い。敬遠か。せめて際どいボール球で歩かせるか。
――アイツはそんな野球が好きかな?
たとえ、試合に勝っても、皆んなが笑っていても、そこでアオイは笑ってくれるのだろうか?頭がどうこう思っても、今の気持ちに忠実に、心が体を突き動かす。
――負けたら、みんなに頭を下げよう
僕は右手でパンパンとミットを叩き、ど真ん中に構える。アオイは不敵な笑みを浮かべた。勝負師の目だ。
少女はロジンパックを弾き、滑り止めをペロリと舐める。セットポジションから大きく身体を動かしテイクバック。ポニーテールの髪を体に巻きつけて、華奢な腕を振り切る。細くキレイな指先から放たれる速球が唸りをあげた。
エース対エースの意地の張り合い、ぶつかり合いに祈ることしか出来ないちっぽけな自分。今日一のアオイの速球は、高柳のバッティングセンスをも凌ぐ。
カツンと当たったファールフライ、マスクを外し晴天の空を仰ぐ。白球はキャッチャー後方を浅く浮遊している。
――絶対、捕ってみせる。
スパイクが地面をガリっと噛む。まさに無我夢中で白球に飛びついた。炎天下の乾いたグランドに、大きく舞い上がる土煙。それを夏間近の湿っぽい南風がなぎ払う。
「アウトー!」
主審の力強い声に、ドッと湧くスタンド。行き交うチームメイトとグラブでハイタッチ。もちろんアオイとも……。最高の高揚感と鳴り止まない胸の鼓動。
「バカね!あの場面は敬遠でしょ」
そう言って、アオイは笑っていた。
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