第44話 されど一点
『ピンチはチャンス』と最初は空元気のつもりで発していた言葉だったが、まさか、その壁とやらを乗り越えるチャンスが、こんなにも早く訪れるとは!
四回裏。一点を追う俺達の攻撃。先頭バッターは自分から。四番打者という期待が重くのしかかる。祈るようなアオイの視線を一身に受けて、二打席目。バッターボックスに入った。前打席は三振で終わったものの、当てたという自信は、少しだけ……まだ残ってる。
勝負は一瞬。胸の高鳴りが今までに無いほど大きく、早鐘を打っていたのだけ覚えている。初球、間違いなく直球だった。金属音がしたかは覚えてない。感触さえあったのか、それも思い出せない。兎に角にも、一塁を目指して必死に走っていた。
目で終えた打球は三遊間を抜けたか……否か?
疑問を抱いては消し去る。走る。「ザッザッザッザッ」とスパイクが土を蹴る。「ドッドッドッドッ」と未だ鳴り止まない心臓の音が響く。一塁ベースを駆け抜ける。
――俺はやったのか?
「走れ!」
「二塁だ、二塁!」
目線が泳ぐ。一塁側、味方ベンチはレフトを指差している。そして、一塁ランナーコーチのタツヤの声。
落としてる?
抜けてる?
ハッ!と気づく。レフト後逸。後ろに転がる白球を外野手が追いかけていた。再び足が動き出す。
脈が早い。懸命に走る。揺れる視線の先には、アオイが初回に盗んだ二塁ベース。あれほど遠いと感じていた壁が目の前に。
『ピンチはチャンスよ』
『壁は越えられます』
脳味噌をアオイとケンゴの声がアンバランスに反芻。そのことに対し、何か思ったものがあったが直ぐに掻き消され、体は反射的に足から滑り込む。二塁ベースに足が着くのが早いか、それともタッチアウトか!
返球はワンバウンド、セカンドのグラブに収まる。足がベースに着く感覚。と同時くらいか、(足が早かったと思いたいが)グラブが足に触れる感覚。夏の太陽に照らされた乾いた砂煙が舞う。
刹那……
「セーフ!」
野太い塁審の声が響いた。
その後は怒涛の勢い。五番のユウキが難しい送りバント決めると、六番のリョウタが外野フライを放つ。どちらも初球。行き着く暇がなく展開する。今まで防戦一方だった弱者の一撃。
高々と上がる打球を眺める。遠くには大きな積乱雲。灰色混じり、散り散りの雲の間から青々とした空が覗く。そこに白い点の浮遊。冷静に三塁ベースを踏み、タッチアップに備えた。
三塁側ランナーコーチの少女も祈るように打球を見つめていた。(ランコーはユイナか!)ココに来て改めて思う。三塁側は敵陣。敵陣に女の子が一人。嫌とは言わないのがユイナの良いところだ。一塁ランコーはタツヤ。さっきバントのサインを先輩に出したのはケンゴ。そして、ここぞで打球を放ったリョウタ。
――後輩に助けられてるな
外野手が捕球したと同時に駆け出す。ユイナの「GO!」という甲高い声が背中を押した。距離は十分間に合うのに、全力で駆けた。何としても……。
(ホームベースを踏む)
(同点に追いつく)
思いは原動力だ。この、クソ暑いグランドを、長ズボンと厚着して全力で走っている。汗の染みたユニフォームにこびり付いた土汚れ。泥だらけになりながらのスライディングは、更にユニフォームを濃くした。
横目、ちらりと視線に入る、呆然と立ち尽くす相手キャッチャーの姿が、点を入れたんだと思わせるには十分だった。
とうとう、俺たちは同点に追いついた!
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