第43話 たかが一点
ギアを更に一段階あげてピッチに立つアオイは緩急を駆使しながら、ツーストライク、ツーボールと追い込んでいた。
正午へと時間が進むにつれて、ギラギラと夏の太陽は力を増し、投手の体力を奪っていく。汗を拭うエースのバックを、内野が声を上げて盛り立てる。外野は後方守備。
(ツーアウトから長打は与えない)
(これ以上、点は与えない)
という意思表示をヒシヒシと感じる。
(あぁ、野球やってるな)なんて実感。なんの捻りもない。声に出したら「なに当たり前な事いってるの。バカなの」なんて笑われてしまいそうだ。ここは目の前の打者に集中する。
追い込んだ前打席本塁打の一番打者に対し、要求した決め球は、内角を抉る、めいいっぱい力を込めたカットボール。制球力こそ少々欠くが、伝家の宝刀、アオイ渾身のストレート。少し捻くれながらも、唸る最速のスピードボール。
確かに勢いでは圧倒した。しかし、高柳は詰まりながらも、力だけで白球を外野まで運ぶ。フラフラッと上がったボールはショートの頭を越える。ヨシユキは前進、前進、さらに前進するも、後方守備が
――足も早いとかチートだろ!
「任せろ」とヨシユキが叫ぶが、落下点には、まだ少し距離がある。ショートのユウキ、サードのコウスケは無理だと判断し身を引いた。その瞬間、小さな体を揺らしていたヨシユキが、頭から突っ込む。左手、グローブを持つ腕を必死に伸ばす。体は地面に接地、天然の芝生を滑る。
――頼む、ヨシユキ
地面に突っ伏したヨシユキが立ち上がる。遠く。外野には高々と天を仰ぐようにグラブを掲げる小柄な少年。その自信に満ちて掲げられたグラブの中には、自分の願いと共に白球が収まっていた。三塁塁審の手が上がり、アウトが宣告されると、割れんばかりの歓声がヨシユキを包み込む。
ユウキ、ケンゴ、コウスケが、ベストプレイヤーに近寄る。すり潰された草汁でユニホームを汚した少年は、照れ臭そうに鼻をぐじゅぐじゅっと右手でこねくり回すと、ニターっと蕩けた表情で笑みを
「すごい、すごい、すごい。凄いじゃないのヨシユキ君。今のズジャーってして、パスんってして」
ベンチに戻り、真っ先に目についたのが、手足をバタつかせて興奮するキョウコ先生。顧問の熱量を表すかの様に、ベンチ前、差し込む日光が
……が、意気揚々としたベンチを尻目に、たかが一点が遠い。三回裏の攻撃も呆気なく終わる。高柳は四球を出しながらも、制球力の悪さを払拭させるほどの圧巻のピッチングで、攻守を入れ替える。追いつく希望も抱けぬまま、イニングが無常にも進む。初回、アオイが踏んでいた二塁ベースさえ遠くに感じていた。
「クソッ。誰も打てねぇのかよ」
「ユウキ、コレからよ。ピンチはチャンス!」
「そぉ〜ですとも。壁というのは超えられる者の前にしか現れないのです。我々は壁を認識した。ピンチを認識することが出来た。後は乗り越えるだけではありませんか。さぁ、皆さんで乗り越えようじゃ、あ〜りませんか」
アオイを押しのけて、ユウキを押しのけて、額に汗を垂らし、「クククッ」と陰湿な笑みを浮かべてケンゴが前に出る。
「珍しく熱いな」
「意味深ね」
「俺、よく、わかんねー」
「ヨシユキ、バカだもんねぇ」
「うっせ。アオイ説明できんのかよ」
「えっ、えぇーっと。ピンチはチャンスって事よ。ねっ、シンジ」
「おぉ。たぶん」
――俺に振るなよ。ってか話が戻ってないか?
「なんか知らんが、チャンスだ!チャンスだ!俺は乗り越えるぞー」
何かに感化されたコウスケが全力疾走で守備位置まで走る。
「ほら、みんなも行くわよ。ほら、シンジも。ピンチを越えるわよ」
「そうだな。ヨッシャ!行くぞ」
「おぉ!」と皆の声も続く。そして、遅れてから背中から
「壁ですよカベ。皆さん、聞いてますか。壁ですよー。私が言いたいのは……」
ケンゴは最後のほう、少し怒り気味に声を上げていたが、リョウタとユイナが宥めすかし、守備位置へと促した。
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