第40話 約束

 味方ベンチからの声援が飛ぶ。げきが飛ぶ。負けているのに、勝っているかのような錯覚さえ感じてしまう程、仲間達は明るい。その仲間達の(打ってくれ)という願いが、声となって、言葉となって、内野の赤土を駆け、外野の整えられた天然芝をちょっぴりと揺する。


 皆の瞬く視線は混じり合い、ただの一瞬でも見逃してなるものかと思わせるくらい、相手ピッチャーを凝視していた。相手の隙、癖、持ち玉から何まで、自分がバッターボックスに立っているかのような集中力を発揮し、ズドンと音を立ててキャッチャーミットに吸い込まれてゆく、左腕のストレートを目で追った。


 初球、一番打者アオイのスイングは空を切る。相手投手の長身から振り下ろされる落差のある速球に、タイミングを合わせる事すら難しいように見えた。しかし、ボールが全く見えてない訳では無い様子。初球こそ空振りをしたものの、冷静にボールを見極め、最終的に四球を選んだ。


 ノーアウトで早くも同点のランナーが一塁へ。


 相手ピッチャーの立ち上がりの悪さに期待したものの、高柳たかやなぎはすぐに調子を取り戻す。二番、タツヤは左腕の渾身のストレートの前に、送りバントすら許してもらえず、三球で沈んだ。


 バッターは入れ替わり、三番、主将が「ウッシャ」と吠える。右バッターボックスで風を飲み込むような素振りを放つ。誰もが、その偉丈夫の豪快なスイングに目を奪われる。(当たれば飛ぶぞ)と思わせる、その堂々たる出立ちが、外野の守備位置を五歩も六歩も後退させた。


 主将同士の真っ向勝負が幕を開けて、最初の一球。場を沸かせたの高柳でも、コウスケでも無かった。


 バッターに釘付けのバッテリーの隙をつき、絶妙のタイミングで飛び出したのは、一塁ランナーのアオイ。決して簡単では無い左投手から、見事に二塁を盗んで見せた。

 ベンチで自分の事のように、喜んでるかどうかは分からないが、サインを出したケンゴが、ウンウンと頷きながら、何処どこぞのプロ野球の監督の様に、澄ました顔でパチパチと軽やかに拍手をし、盗塁成功をたたえていた。


 それでも、相手エースピッチャーの豪速球を前に、コウスケのバットは、ボールを捉える事が出来ない。かすりもしない。それだけ、高柳のストレートは生きているのだ。ネクストバッターズサークルからでも、何ならベンチからでも聞こえる「ズドン」と重く響くキャッチャーミットの快音が、全てを物語っている。バッティングセンターのボールとは訳が違う。


 我が主将はすぐにツーストライクと追い込まれる。高柳、圧巻のピッチングを前に手も足も出ない。追い込んだ後は変化球で一球外した。球種はカーブだろう。事前の調べでも球種はカーブのみだと知っていた。それでも、この剛球との組み合わせだ。コウスケは体勢を崩されながらもグッと耐えたが、次の直球がピシャリと決まり見逃しの三振。顔色を変えないピッチャーと、悔しさを滲ませるバッター。厳しい勝負の世界がまざまざと広がる。


「シンジ、すまねぇ。頼む」

「おぅ、ナイスファイト」


 コウスケとの入れ替えで静かに入る右のバッターボックス。思い出すのは昨日のアオイとの会話。「私は絶対に出塁するから、アンタは打ちなさい。そしたら完封よ」と意気込む少女。


(完封は無くなった。でも、約束は生きてるよな)


 銀光のSSKのバットが天を仰ぐ。手には使い古された同じメーカーのバッティンググローブ。漆黒のヘルメットを深々と被り直し、ゆっくりと構える。


 ——絶対に出塁する。アイツはそう言った。そして本当に出塁した。約束を守ったんだ。だったら俺も約束を守らないとな……だって俺はアオイのキャッチャーなんだから

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