第39話 男とか女とか

「男とか女とか関係ない。彼女も、また、野球選手、それだけだ……そう、思わないかい」

「あ。あぁ」

「だったら、そういうリードをしたら、どうなんだ」


 高柳は――そう言い残し、悠然と一周まわって見せた。歓声を一身に浴びる相手のエースピッチャーは、噛み締める様にホームベースを踏むと「二打席目は楽しみにしている」とふわりと告げ、落ちてるバットを拾い上げ、ゆっくりとベンチへ戻って行った。


 初球から甘かったのか?ありきたりなリードだったのか?彼の一言では落ち度がハッキリとしない。


「ごめん。初球、外した方が良かったな」

「判断は悪くないわ。バッターが振らなかったら、相手の有利にカウントが進む。それくらい、私だって分かってるわよ」


「そっか。良い球だった。読まれてた。それだけだな」

「えぇ、完璧すぎて、むしろ気持ち良いわね」


 アオイはレフトスタンド上空、曇天の空を見上げていた。完璧な打球は敵味方、関係なく見惚れてしまう……そういうものだ。


「アオイー。ファイトー」


 相手の怒涛の応援を割くようにして、黄色い声援が木霊する。


「隣のクラスのカナちゃん。良いやつでしょ。ファンに情け無い姿は見せられないわ。今日の試合、絶対に勝つわよ」


 切り替えの速さに呆気に取られるが、(コイツはそういう奴だ)と、すぐに理解した。頼もしいほど真っ直ぐに今を楽しむ。それこそ、男だとか女だとかプライドなんてものは、全くと言っていいほど存在しない。悔しいが、高柳が言った通りだ。彼女らしい野球との向き合い方が、そこにはあった。


「なに笑ってんのよ」

「いや、楽しいなって」

「ふん、なによ今さら」


 曇天の空を割るように日が差し込み出していた。割れんばかりの声援と共に聞こえ出す蝉の音。「しゅわしゅわ」だの「ミンミン」だの喧しい。そんな活気のある夏を、目の前の少女の声が掌握する。


「よーし、みんな。打たせるわよ。気合い入れて取りなさい。エラーしたやつは私にラムネ一本、だからね」


「望むところだ!レフト。来いや!」

「ショートだ。ショート」

「バッチこい、サード!」


 エースピッチャーの一言に守備は息を吹き返す。互いが互いを鼓舞し、試合開始直前よりも活気に溢れた。(まだ、負けてない)誰もがそう感じていたハズだ。


 アオイは持ち前の丁寧なピッチングで、二番バッターを三振、三番を内野フライ、四番をショートゴロに沈め、キッチリと立て直した。そして、守り切りチーム一同はベンチに集結する。


「エンジン、組もうぜ」

 コウスケが無骨な手を差し出した。


 キャプテンの提案に「俺も前からやりたいと思ってた」と言って、ヨシユキがコウスケの手の上に、自分の手の平を重ねる。


 それを見た皆が「よし、やろう」と賛同し、次々と手のひらを重ねていく。まるで「絶対に負けない」という闘志が膨張していくかのように。


「ヨッシャ、逆点いくぞ!」

「「「オォーーッ」」」


 声が揃う。思いが揃う。「勝つ」という不屈の闘志が燃え上がる。


 ――絶対に勝つ。負けたくない。みんなと、もっと野球がしたい。この未知数なチームメイトと。


 レガースを外す事も忘れて、握り拳に力を入れて、バッターボックスを見つめていた。


「アオイ、出塁だ」

「アオイ、頼んだぞ」


 ヨシユキと声が重なる。顔を見合わす。なんだか照れ臭いが、今は互いにアオイのバッティングに思いを馳せる。期待を一身に集める我らがエースピッチャー、一番打者の白峰アオイが、左バッターボックスへと罷り通る。「試合はこれからよ」と言わんばかりに、ビュン!と鋭い素振りを一つ。威風堂々とした構えで相手投手、高柳を睨みつけていた。

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