第41話 本格派左腕

 真紅のキャップを深めに被る長身の体躯。ダイナミックに振りかぶると、胸には北犬飼と赤で縁取られた筆書が堂々と体を成す。相手投手は冷静沈着な顔つきをしている癖に、放たれる投球は闘魂そのもの。赤のアンダーシャツから伸びる長い腕がしなる。

 浮き上がって見えるほどのノビのある速球が、ズドンッ!と音を立ててミットに吸い込まれた。


「ストライーック!」

 主審が右手を高々と上げる。


 ——あぁ、誰も打てない訳だ


 マシンでは体験できない生きた球。制球力は大したことはないが、そんなことは関係ないとまで言い切れるほどの勢いのある剛球。アオイのカットボールも並みの中学生を凌ぐが、それ以上のスピードボールを有している。要するに、南摩中野球部には未知のボールと言っても過言ではない。そう……自分を除いては。


 二球目もスピードボール。外から内へと入ってくる左投手特有の軌道で内角を抉るように突き進む。沸き立つ恐怖心をグッと堪え、差し込まれながらも肘をたたみ、コンパクトにバットを振るう。


 ——やっぱり、似てる


 チン!とバットがボールを掠り、その軌道を変え、ガシャン!と音を立ててバックネットを揺らす。「当てやがった」と誰かが叫ぶと、一瞬だけ時が止まったように音が消えた。


(左右こそ違うが球筋はトモヤに似ている)

あの時「夏こそは全国に行こう」と誓い合った、かつての友。宝木中のエースピッチャー、坂下トモヤの球筋に似ていた。


「青木君、ナイバッチ!」


 キョウコ先生の柔らか声と共に時間が動き出す。応援席の声援、虫の音が再開する。


「先生、まだ打ってませんよ」と、ケンゴがいつものような、冷静なツッコミの入れたのだろう。ヨシユキが腹を抱えて笑っているのが見えた。


 ——あっという間にツーストライクと、こっちは追い込まれてしまったというのに、味方ベンチは呑気なものだ。


「よしッ!当たるぞ」


 ネクストバッターズサークルから、珍しく大声を出すユウキの姿に驚く。今日は、いつにも増してチームメイトと同調しない、熱くも真面目だが、笑い合うベンチの選手達とは、温度差が少しズレてる彼の姿が滑稽に見えた。


 追い込んだ後に、変化球で一球外してくる。三番打者のコウスケと変わらずの至ってシンプルな配球だが、このリードが高柳の力を存分に発揮させている事は明白だった。


 変化球を生かすにはストレート。

 ストレートを生かすには変化球。

 これは、鉄則だ。


 勝負球は変化球にあらず。どんなに曲がりの強い変化球でさえ、遅いボールには変わりない。この世に魔球なんてもの無い。軌道さえ読まれてしまえば、後はスローボールと変わりない。強引な言い方だが、数多くの変化球も、結局は縦横斜めに変化する、ただのスローボールだと言える。


 相手キャッチャーは変化球をボール球として織り交ぜる事で、スイングを誘発させ、タイミングを外し、そして、次の一球の為の下拵えを丹念に準備している。高柳の制球力の悪さ、変化球への多様性の無さを払拭させ、エースピッチャーとして君臨させているのは、紛れもなく、このキャッチャーのリードにある。


(次に投げ込まれるボールがストレートだと分かっていても、自分は対応できるのだろか)


「おぃ、負けんじゃねぇーぞ!」

 今まで腹を抱えてヨシユキが直視し、檄を飛ばす。


「シンジ。アオイを帰せ!」

 先程までバッターボックスに立っていたコウスケを声を張り上げる。


 セカンドベース上、ぴょんぴょんと跳ねながら、アオイはホームベースを見つめている様だった。

 ツーアウトながら、ランナーは二塁。それも、ランナーには足の速いアオイ。一打同点のチャンス。


 ――俺は四番だ。絶対に打つ。打ってアオイをホームに帰す。


 ギュルリと握るバットのグリップ。高柳を睨む。ピッチャーはセットポジションから、ゆっくりと足を上げると、唸るような速球を放つ。予想通りの速球。

 外から中へと入ってくる、ノビのある速球に、ドンピシャのタイミングでバットを振るう。白球を捕らえた感覚はないものの、キン!と短く金属音が鳴った。

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