第29話 韋駄天
最終回、一点を追いかける南摩中。打順は下位打線。今日は不調のヨシユキだが、身体を張った好プレーで出塁した。
今まで送りバントすらした事のない男が、セーフティを決める。水平に寝せたバットに白球が弾かれると、三塁線ギリギリ、白線の内側を打球が転がる。三塁塁審がフェアを示す。
足はアオイやユウキより早くは無いが、ガッツ溢れる一塁へのヘッドスライディング。技ありのバントと根性がもぎ取った内野安打に、味方ベンチが沸く。
ここで代走。ヨシユキに代わりハヤトが一塁に向かう。絶対に一点を取る。チームが纏まりつつあった。砂埃に塗れた少年を出迎える。目が合う。
「なんだよ。俺は何だって出来んだよ。だったら勝てる選択をするまでだ。このチームで勝つんだろ」
汗と泥に塗れた少年。何度と放たれる「勝つ」という言葉。やる気が湧き上がる。
「ああ、勝つぞ!」
みんなの気持ちを乗せて、代走ハヤトは好走塁を見せる。ブランクを感じさせないリードと抜群のスタート。たった一球で見事に二塁を盗んだ。
ケンゴもバントで援護する。一死ながら三塁までランナーを進めた。勝利の女神を手繰り寄せているかのような感覚。ココは代打と行きたいが、残念ながらチームの選手層は薄い。
「ユイナ……頼んだぞ」
「はい!」といつもより歯切れの良い返事を交わす。
ユイナの打順は最後だが、バッティングが悪いという訳では無い。男子に比べるとスイングは非力だが、一回戦では良い打球を放っている。一番へと繋ぐ為の九番。
……勝利への布石となれ。
「キーン」と響く金属音。フラフラッと上がった浅めのフライはショートの頭上。面白い当たり。レフトは前進、更に前進。果敢にダイビングキャッチを試みる。
ハヤトは三塁ベース上。当たりは浅いが韋駄天はタッチアップ狙っている。レフトのグラブにボールが入ると同時に走り出す目論みだろう。そのためのタイミングを測っている。
祈るように見つめる。レフトの選手が芝生を滑る。息を飲む。
――入ったのか?
ハヤトは既に走り出している。立ち上がるレフト。返球はあるのか……。
「抜けたぞ!後逸だ」
ユウキの溌溂とした声が響く。明らかになる状況判断。ボールはレフト後方、グラブに収まる事のなかった白球が、転々と芝生を転がる。
「ヨッシャ!」
「いいぞ!」
歓喜とともにユイナは一塁ベースを蹴る。センターがようやくボールに追いつき捕球。二塁へ送球する。
「イッケー!ユイナ」
ネクストバッターズサークル。立ち上がる姉の歓声を背負って、妹は足からスライディング。舞い上がる粉塵。二塁塁審は手を横に広げる。
「セーフ!」
タッチの差。足が先に二塁を奪った。二塁塁審の野太い声に、南摩中ベンチは飛び跳ねる。チームの指揮が上がる。「勝つぞ、勝てるぞ!」と互いを鼓舞し、たくさんのエールがネクストバッターに注がれる。
バッターボックス、向かうは一番、ピッチャー、アオイ。エースナンバーを背負った、チームの大黒柱が意気揚々と罷り通る。
「アオイ……」
「また辛気臭い顔してる。アオイちゃんに、まっかせなさい!アンタだって、勝ちたいんでしょ」
「もちろん……俺も勝ちたい。任せたぞ」
笑顔を交わす。
「それで良いのよ」と彼女は呟き、堂々と左バッターボックスに入った。
夏風が騒めく。アオイは二球目を綺麗に打ち返す。「キーン」と鳴り響く金属音。そして、歓声。力強く振り切ったバット。打球は放物線を描く。
白球は舞い上がり、空に吸い込まれていく。分厚い入道雲の分け目から、夏特有の鮮やかな青を覗かせて、今日も晴天。萌える木々が揺れていた。
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