第15話 赤石橋

 古びた借家。ガードレールの下の小さな生活河川が、生い茂った雑草を縫うように流れている。名のない表札の小さな二階建て。キィーという錆びた金具の木戸を開ける。


 今日は散々だった。ユウキの顔を思い出すと、むしゃくしゃする感情、煮えたぎる憤りが、再びふつふつと燃え上がる。


「シンちゃん。おかえり。今日は餃子よ。好きでしょ。トシカズさんがね。みんみんの餃子を買ってきてくれたの。みんなで食べましょ」


「おじゃましてます」


 優しそうに細身の男性が微笑みかける。(こんな時に限って)と思いつつも、どうにか冷静を保って対応する。


「こんばんは。自分は素振りに行きますんで、先に……」

「野球か。それなら僕も多少は教えられるかな」


 立とうとする男性。


「いい!……いいです。あ、あの、えっと、友達と……約束をしてるので」

「あら、シンちゃん友達できたの?」


「あ、う、うん。齋藤さんも御飯が冷める前に、先に召し上がっていて下さい」




 夕凪。高く伸びる自分の影。荘厳な太陽光が山肌を朱に染める。小さな赤石橋。予備灯の車が家路を急ぐ。

 橋向こうには影が二つ。仲の良い姉妹が、一人はピッチングフォーム。もう一人はバッティングフォームを確認していた。笑い声だけが、チロチロと流れる大芦川の音に混じり、耳に入ってきていた。


 最近までは父が全面的に悪いのだと思っていた。別れ際、何度も頭を下げていた。初めて見せた父の情けない顔は今も頭から離れない。その姿を見て、父が悪いのだと自分で判断をつけたのだ。それでも、齋藤という男の登場により心は揺らぐ。


 離婚と言って良いのだろうか、未だ分からない。親の説明は不十分だった。住所も宇都宮のまま、別居のような生活。そこに離婚を決定づけるかのように現れた、齋藤という謎の男。


 そんな男と、どうしても自分がリンクしてしまう。転校して野球部に入り、好き放題に言いたい事を言っては場を荒らす。余計なお節介をしてしまう自分が……。


 ボロボロのバッティンググローブを見つめる。決して父が嫌いには、なれなかった。ただ、当時は野球を奪われたように思えて許せなかった。しかし……今となっては………。



 カツン。


 大芦川。土手に降りる手前のガードレールに、何かがあたる。金属の震える鈍い音がした。


「シンジー。聞こえてるんでしょ。返事くらいしなさい――よ!」


 カツン。


「お姉ちゃん。ダメだよ。危ないよ」

「大丈夫よ。私のコントロールは北別府マナ……ッブ!」


 ガンッ!


「危ないだろ」

「当たってないでしょ。何で怒ってるのよ」

「お姉ちゃん。北別府は分からないよ」

「精密機械は関係ない。危ないって言ってんだ」


「ハイハイ。それより、行くわよ」

「行くって、何処に」

「学校に決まってるでしょ」


「こんな時間に」

「そう、こんな時間に」

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