第2話 小松原キョウコ

 五月十七(月)快晴


「担任の小松原こまつばら キョウコです。」


 転校初日。キリッとしたパンツスーツを身に纏った女教師は、挨拶も程々に教室のドアを開けた。


 ボディラインを如実にょじつに表したネイビーのスーツ。低めのパンプスが木造校舎の床に足音を刻む。俺は担任の後ろを着いて歩く。騒めく視線を一身に感じ取りながらも胸を張った。


 五月晴れ。入梅前の爽やかな好天に恵まれた南摩中学校。開け離れた窓からは夏めく陽光が差し込み、麗かな温風がレースカーテンを揺らす。外では新緑の木々がさえずる。


 机は十二台。窓際、後ろの端の席。あたかも自分の為に用意されたような、殺風景な座席が目についた。


「緊張する?」


 振り向きざまニコッと笑顔を振りまく担任。キリッとした佇まいに垣間見える愛嬌の良さと、童顔が相まってか、年齢が掴みづらい。かなり若手のようにも見える。


「今日はホームルームを始める前に、転校生を紹介します。青木君です。自己紹介いいかな?」


「え……っと、青木シンジです。以前は宝木中にいました。宜しくお願いします」


「えっ、早ッ!それだけ」

 女生徒の不満な声と共に活気を取り戻す教室。


「何処に住んでるんですか?」

 どこからか質問が飛ぶ。


赤石橋あかいしばしの近くです」

「あぁ、白峰さんの家の近くね」


 ――白峰さん?


 勝手に盛り上がる女子生徒達。


「部活は決めましたか?」

「宇都宮の人は、みんみんの餃子は食べないってホント?」

「彼女いるの?」


 やんや、やんやと右往左往うおうさおうからの質問攻め。見かねた担任がらぬ助け舟を出した。


「青木君は野球部でキャッチャーだったんだよね。はーい。じゃ。みんな仲良くするように」


「ウソだー。そんなヒョロっちいのに、キャッチャーていうのは、こう言う奴を言うんだ。なぁ、コウスケ」

「おうよ、ヨシユキ」


 ちびっこい少年のリクエストに応える様に、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの男子が立ち上がる。ハラリと制服を脱ぎ、タンクトップ姿で肘を曲げる。盛り上がる上腕二頭筋。盛り下がる教室。「キャー」という女子の悲鳴すらない。


「座りなさい」

「……はい」



「じゃあ、授業はじめるわよ。教科書だして、青木君は奥の席ね。」


 やっと落ち着きの出だした教室で、今度はバシンと机を叩き、立ち上がる少女。


「130キロの球は捕れますか!」

「いや、あの……」

「白峰さん、席に着きなさい。授業を始めるわよ」


「……捕れますか?」


「コイツが捕れるわけないだろ。だいたい、130キロのピッチャーが何処にいるんだ」

「うっさい、ケンゴは黙ってて」


「野球部に入るつもりはありません」

とだけ答える。

「でも、捕れるんですよね……」


 ギラついた眼差し。漆黒の瞳は吸い込まれそうな程に澄んでいるのに、光が溢れている。時が止まったかのようだった。互いの視線が交差する。そんな感覚。俺はゆっくりと首を……。




「ストライーク!」


 野太い主審の声が、回想から引きずり下ろした。二球目、相変わらずのキレのある速球。ボールは腰の引けたバッターをよそ眼に、ミットに吸い込まれる。


 快晴のグランドに「バシッ」と快音の補給音が響いた。目の覚めるような、130キロのストレートだった。

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