あきらめられない
どのくらいこうしていたのだろうか。
啄むようにキスをしたかと思えば、今度は深く口づけられて。苦しくなって一度唇を離そうとすれば、そんなこと許さないというように後頭部を押さえつけられる。
逃れられないリベラート様からのキスは、強引だけれど愛情を感じて――悪い気など、一ミリもしなかった。
「……ふっ。かわいい。フランカ」
「もう、長すぎです。日が暮れちゃいますよ……って! やばい!」
「いてっ!」
あ。勢いでリベラート様の綺麗な顔を押しのけてしまった。顔に傷は――ないわね。それなら大丈夫だわ。
「暗くなる前に帰れってお姉様に言われたのをすっかり忘れてたわ」
「もう子供じゃないんだし、少し遅れるくらい大丈夫だろう?」
「いや、状況的に帰るのが遅くなるとものすごーくよけいな心配をかけそうな気がしてですね……」
最後は元気に飛び出してきたものの、姉と会話した時の私は、今まで見せたことのないくらい暗い表情をしていたと思う。
帰るのが遅れると、私が森で思いつめて自殺を図ったとか――そこまでいかなくとも、とにかくいつもの何倍もあらぬ心配をかけてしまうに違いない。
「わかった。じゃあ俺が屋敷まで責任持って君を送るよ。婚約者が無事帰還したことを、フランカの家族にも知らせないとだしね」
「……婚約者。あ」
ここで私はもうひとつ、すっかり忘れていたことに気づく。が、何も知らないリベラート様は陽気にふたりの今後について話し始めた。
「結婚はいつにしようか。しばらく長期任務はないし、いつでもできるよ。あ、俺の屋敷にも遊びに来てよ。是非フランカを紹介し――」
「す、すすすみませんリベラート様。私、肝心なことを忘れていました」
「肝心なこと?」
「私――今、ティオと婚約してるんです」
「……な、なんだってえぇぇぇぇ!?」
リベラート様の美声が森中に響き渡った。それに答えるように、空を飛ぶカラスが「カァー」と鳴いた。なんともシュールな光景だ。
「どういうことなんだ。脅されているのか? いやその前に、人の婚約者に手を出すとはなにごとなんだ。万死に値すると思うのだが。俺が長期任務に行っているあいだに、ストラは一妻多夫性に法律を変えたのか? 俺はそんなこと聞いてないぞ」
「お、落ち着いてくださいリベラート様! ちゃんと話しますからっ……!」
ひとり暴走しだすリベラート様の腕を掴むと、私はきちんとこの一年間のことを説明した。
リベラート様ととっくに婚約破棄になったと思ってから、ずっとティオが私を支えてくれたこと。婚約を申し込まれ、それを受け入れたこと。
しかし、私たちはお互い愛し合っていない、仮面婚約者同士だということも。
「確認しておくけど、まさか俺以外の男と手を繋いだりキスをしたり――ましてやそれ以上なんてしてないよな?」
「当たり前じゃないですか! 今も言ったように……私たちの間に愛情はないんですから」
ティオが姉のことを好きだとは言わなかった。言わなくともわかるだろう。リベラート様はティオが私を見ていないことに、とっくの昔に気づいていたのだから。
「はぁ。……仕方ないとはいえつらいな。フランカが一時的にでも、べつの男と付き合っていたなんて。カイル隊長に思い切りげんこつを食らわされた時の百万倍はつらいよ」
「ご、ごめんなさいっ! だってまさか、リベラート様が私を迎えに来てくれるなんて思ってもなかったんです。私はリベラート様のことを、どうにかして忘れたくて……。みっともない言い訳ですよね」
責められてもなにも文句は言えない。自分勝手な行動をし、リベラート様を傷つけたことには変わりない。
「……明日、一緒にティオくんのところへ行こう。そこで俺の前できっぱりと婚約破棄宣言をしてくれたら――この件は水に流すよ。俺じゃなくてティオくんを選ぶと言うのなら話は変わってくるけどね」
ティオを選ぶとどうなるのか好奇心で聞いてみたい気もしたが、恐ろしい答えが返ってきそうなので聞かないことにした。
「わかりました。でも……」
ティオの姉への執着心はすごかった。簡単に引き下がってはくれないだろう。
「大丈夫。俺がついているから。ひとりで解決できないことでも、ふたりならどうにかなるさ」
「……ふふ。そうかもしれませんね」
楽観的だなぁとは思うが、そのポジティブさが逆に私に勇気を与えてくれた。
「ほら。行こうフランカ。そろそろ本格的に暗くなる」
空を見ると、もう陽が落ちる寸前だった。幻想的な景色に、私は少しばかり見惚れてしまう。
「……綺麗だね」
「ええ、とっても」
ふたりで沈みゆく夕陽を見つめながら、私たちは手を繋いで、一緒に屋敷まで帰った。
リベラート様が一緒に帰ってきたことに、屋敷の人たちはみな驚いていたが、誰もが歓迎ムードだった。私の婚約者がティオっていうことを忘れているかのようだ。
なにも話していないのに、ティオとは婚約破棄してリベラート様と婚約をし直した、とみんなが思っていた。リベラート様もそれを否定するどころか〝明日にはそうなるのだから大丈夫。そもそも俺は一度も婚約破棄してなんかない〟と言っていた。
結局両親の提案でリベラート様の〝おかえりパーティー〟をすることとなり、彼が自分の屋敷へ帰る頃には外は真っ暗になっていた。
「フランカ、よかったわね」
リベラート様が乗った馬車を見送っていると、姉が私の隣に来て話しかけてきた。
「本物の愛、ちゃんとあったじゃない。もう二度と離してはだめよ」
「……はい。私もお姉様みたいに、幸せになりたいと思います」
ふたりで微笑み合うと、馬車が見えなくなるまで一緒にリベラート様に手を振り続けた。もう片方の手で互いの手を繋ぎながら。
急に昔より距離が近くなった姉と私を見て、両親は不思議そうな顔をする。そんな両親を見て、私たちはただ笑い合った。
◇ ◇ ◇
翌日。
話があるとティオに伝え、私はリベラート様と一緒にティオの住む家へと向かった。
「……リベラート!? ……さん」
家の前で私の到着を待っていたティオは、私が連れて来た人物を見て目を丸くした。
「久しぶりティオくん。このたびは、俺の婚約者に手を出したことを謝罪してもらいに――」
「違うでしょう、リベラート様!」
「えっ? あ、ごめんつい……。このたびは、ふたりで君に伝えなきゃいけないことがあるんだ」
顔を見合わせ頷き合うと、不安で震える私の手をリベラート様がぎゅっと握ってくれた。
「……だいたい察しはつく。俺にフランカとの婚約を破棄しろっていうんだろ。目の前で手なんか繋いで、そんなにふたりの絆を俺に見せつけたいのかよ」
「ああそうだ。わかっているなら話は早い。そもそも俺はフランカと婚約破棄したつもりはない。絆を見せつけたいのも図星だ」
ティオは私たちを嘲笑うが、リベラート様にどうやら嫌味は効かないみたいだ。
「リベラートさん、嗅覚は戻ったんだよな? だったらもうフランカに執着する理由なんてないだろ! いつまで俺の――俺たちの邪魔をすれば気が済むんだ!」
「べつに俺は彼女に執着しているわけじゃない。ただ彼女を愛していて、そばにいたいだけだ。君とはちがう。それに……俺はフランカの魅了魔法にはかかっていなかったんだ。そのことで俺たちはすれ違ってしまったけど……わかり合えた今、前よりも愛は深まったよ」
「……魅了魔法にかかっていなかった? そんな……」
「リベラート様が覚えていた私の香りはね、魔女からもらった香りじゃなくて――普段の私が持ってる、そのままの香りだったの」
真実を聞いて、ティオは力が抜けたようにその場にへたり込む。
私はそんなティオのもとへ静かに歩き、目線を合わすように屈んだ。
「ティオ、ごめんなさい。昨日言ったことを取り消したいの。私――〝愛なんて必要ない〟って言ったけど、やっぱり〝愛〟を……リベラート様へのこの気持ちをあきらめられない。だから、あなたと結婚することはできません」
「そんな……昨日の今日で言ってることが変わり過ぎだ! おかしいだろ! お前と結婚できないと、俺は……アリーチェ様とのつながりがなくなってしまう」
姉への思いをティオは自らリベラート様の前で口にしてしまった。気配だけで、リベラート様が殺気立ったのがわかった。
じゃり、と地面を踏む音が聞こえ、私はティオに歩み寄ろうとしているリベラート様を手で制止した。
「フランカ……! 彼を庇う必要なんて……!」
「大丈夫。大丈夫ですから。……ティオとこうなってしまったのは私の責任です。どうか、私にけじめをつけさせてください」
私の言ったことに納得してくれたのか、リベラート様はそれ以上前進してくることはなかった。
「……ティオ。あなたがどれほどお姉様を愛しているかはわかってる。お姉様をあきらめろとは言わない。好きなら好きでい続ければいい。だけど……私という〝手段〟はあきらめてほしい」
「……」
放心状態のティオに語りかけるように言うと、私はその場で正座をし、手を揃えて深くおお辞儀をする。
「私はリベラート・ヴァレンティ様を愛しています。彼と結婚したいのです。ティオ・ベネット様。どうか、私と婚約破棄してください」
そしてはっきりと自分の意思を伝え、ティオからの返事を待つことにした。
拒否されたって、いいと言われるまではここをどかない。それくらいの覚悟を決めていた。
「……フランカが俺に〝愛なんて必要ない〟って言った時の顔が、昨日からずっと離れなくてさ」
「……ティオ?」
沈黙の中、口火を切ったのはティオだった。
「凍り付くように冷たい眼差しなのに、その瞳の奥は泣いてるように見えて……自分がどれだけ罪深いことをしたか、その顔を見てやっとわかったんだ」
ぽつりぽつりと、震えた声で話すティオの言葉に、私まで涙が出そうになってきた。
ティオは、自分のしたことを反省してくれていたのだ。
「そしたらさ、今までずっとアリーチェ様でいっぱいだった頭の中がだんだんフランカで埋め尽くされていって……俺はこの先、フランカと向き合っていきたいって……思い始めたばかりだった。信じてもらえないかもしれないけど……」
「……ううん。信じるわ。ティオとは長い付き合いだもの。ありがとう。最後に少しでもちゃんと私を見てくれて。気持ちには答えられないけど、うれしかった」
私にとって、ティオは初めての信頼できる異性の友人だった。
今回のことで、その時の日々まで白紙になることはない。
ティオは大きなため息をつくと、姿勢を崩しあぐらをかきながら、ぶっきらぼうに言う。
「はあ。わかったよ。婚約は破棄する。俺の気が変わらない内にさっさと帰ってくれ。……俺は、ひとりで頭を冷やす時間が必要だ」
「ありがとう! ティオ!」
「……婚約破棄してここまで喜ばれるって、なんかすげー複雑だな」
私が両手を握って歓喜の声を上げれば、苦笑まじりにティオは言う。
「それじゃあ、もう行くわね。今までごめんなさい。……ありがとう」
握っていたティオの手を離すと、私はリベラート様のところへ戻り、ふたりで背を向けて歩き出した。
「……フランカ!」
ティオが私の名前を呼んだ。
振り返ると、真剣な顔をしたティオが私をまっすぐ見つめている。
「たしかにアリーチェ様は完璧で素敵な女性だ。だけど――お前だっていい女だ! それを忘れ――ぶはっ!」
最後まで言い切る前に、リベラート様の水魔法がティオの顔面に直撃した。
「おっとすまない。威力が強すぎたみたいだ。だが、誰の前でフランカを口説いているんだ? 頭を冷やす手伝いならいくらでもするぞ」
「リ、リベラート様! これ以上は勘弁してあげてください」
「……ちっ」
リベラート様、今舌打ちしましたよね? ばっちり聞こえてますけど。
「私の婚約者がごめんなさい! ……また魔法省でね!」
「……ああ!」
望んでいなかったであろう頭の冷やし方をしてしまったことを代わりに謝ると、今後も気まずさを引きずらないように、私は手を振って笑顔でティオとさよならをした。
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