昔話をしようか
「リベラートは勉強も運動もできて本当にいい子ね。おまけに魔法が二種類も使えるなんて……将来はお父さんみたいに、いや、それ以上になるのよ」
ヴァレンティ侯爵家。そこそこ名のある貴族の長男として生まれた俺は、幼い頃から母によくそう言われていた。
俺の父は領地経営をしており、人の使い方がとてもうまかった。領主とは名ばかりで、自らが動くことはほとんどない。ただ、他人を動かす力はものすごかった。
〝莫大な金を得られるものは、なにもしていない時間も金を生み出している〟とは、金持ちがよく言うセリフだ。まさに、俺の父もよく言っていた。
父と母は、俺が父の後継ぎになることを望んでいた。だが、俺は領地経営について学ぶことにあまり楽しさを感じられなかった。……いや、領地経営自体は、おもしろそうな仕事だと思う。父のやり方が、俺には根本的に合わなかったのかもしれない。
父は風魔法、母は水魔法の使い手だった。普通はどちらか、それかどちらも遺伝しないといわれる中で、俺は二種類の魔力を持って生まれた。
俺の暮らすストラ王国は、魔法使いがそこまでいない。全体の半分以下だ。魔法技術もそこまで発展していなかった。
そんなストラで二種類も魔法を使えるとなると、〝お前は人より優れている〟〝お前に憧れる奴はたくさんいる〟と両親に言われた。そういう人を使い、領地経営を成功させろということだろう。……俺としては、自分の魔力をただ人を呼び込む餌にしたくないのだが。できることなら、この恵まれた魔力で誰かの役に立ちたいと思っていた。
俺は魔法を使うのも、学ぶことも好きだった。子供の頃は魔獣や魔女、精霊なんて存在に憧れて、大きくなったら外国へ行き、それらに会いに行こうと本気で考えていたほどだ。
八歳の頃、ストラの王都にある森に、魔獣が住んでいるという噂話を聞いた。
森のどこかに洞窟があり、その中に魔獣がいるらしい。そんなことを聞いてしまえば、森へ行かずにはいられなかった。
俺の住んでいる屋敷は王都にあるが、魔獣がいるといわれている森は正反対にあるので、若干距離がある。しかし、徒歩で行けない距離ではない。時間はかかるが子供だから体力はある。俺は両親に嘘をつき、たびたび森へ行っては魔獣がいる洞窟を探していた。
隠れて森へ通う日々を送っていたある日、俺は森で幼い女の子を見つけた。といっても、俺と同い年くらいの子だ。
――ひとりでなにをしているんだろう。もしかして、俺と同じで魔獣を探しているのだろうか。
そう思い、木陰からしばらく彼女を観察してみることにした。
「えいっ!」
女の子は掛け声を上げながら地面に手をかざした。すると、地面に置いてあった土人形が動き出す。
「動いた……!」
奇妙な動きをする土人形を見て女の子はぱあっと明るい笑顔を見せると、人形と同じように謎のダンスを踊り始めた。その姿を見て、俺はおもわず笑ってしまった。
なるほど。あの子は土魔法使いか。森で魔法の練習をしているんだ。
教育にうるさく、過保護な両親は人脈の強い上流貴族のいるお茶会にしか俺を連れて行ってくれない。そのせいで、同い年くらいの友達がほとんどいなかった俺は、女の子と友達になりたいと思った。だけどあまりにも真剣に魔法の練習をしているので、声をかけることができず、見ているだけだった。
その後も森へ行く時は、魔獣探しと一緒に彼女のことも探すようになった。女の子はいつも同じ場所で魔法の練習をしていた。
相変わらず見ているだけの俺だったが、ある日、見てしまったのだ。
いつも楽しそうに魔法の練習をしている女の子が、ひとりで泣いているところを。
泣き喚いているわけでなく、ただ、ぽろぽろと涙を流し静かに泣いている。
――なにか悲しいことがあったのだろうか。
こんな時ですら、俺は声をかけることができなかった。でも、自分にできることはなにかないだろうかと考えた。考えた結果、俺は木陰から風魔法を発動し、彼女の涙を心地よい風で吹き飛ばしてあげた。
――あの子には笑顔が似合う。もしまた泣いていたら、俺の魔法で涙を拭ってあげよう。
子供ながらに、そんなキザなことを思ったのを覚えている。
森へ通い出してから二年経ち、俺は未だに魔獣どころか、洞窟さえ見つけることができずにいた。
成長につれ勉強時間は長くなり、親の目を盗むのもむずかしくなった。久しぶりに森へ行ける機会があった日、俺は朝から風邪気味だった。
しかし、このチャンスを逃すと次にいつ森へ来られるかわからない。俺は重い体を引きずりながら森まで歩いたが、入り口付近で倒れてしまった。
「だいじょうぶ?」
うっすら残る意識の中で、誰かの声が聞こえた。
そのまま誰かに手を握られる。ガサガサとした感触――きっと、手に土がついているのだろう。
「だいじょうぶだから、がんばって」
そう言って、そっと体を引き寄せられ背中をぽんぽんと心地よいリズムで撫でられた。
その時、ふわりとあの森の香りが俺の鼻を掠めた。土や草、鼻が混じった、なんともいえないあの香りだ。
目が覚めると、知らない屋敷のベッドで寝かされていた。
起き上がった俺を見て、屋敷の夫人が状況説明をしてくれた。〝森で倒れた君を子供が見つけて、うちに連れてきたのよ〟と。
俺は森へ行く時、身元がバレないよういつもフードのついたローブを被り、なるべく地味な格好をしていた。貴族だとバレると、俺がヴァレンティ侯爵家というのもすぐにバレる。だから貴族と思われないよう変装していたのだ。
変装効果はあったようで、夫人は俺を庶民の子だと思ったようだ。具合がよくなった俺は屋敷を出て、助けてくれた子を探したがどこにも姿はなかった。
でも、俺は感じていた。助けてくれたのはきっと――いつも森にいる、あの女の子だと。
消えゆく意識の中で見えた赤茶色のふわふわの髪の毛、鼻を掠めた森の香り。それらがすべて、彼女だったことを物語っている。
――今度会ったらお礼を言おう。
そう決意した俺は、初めて彼女に話しかけることを楽しみにしていた。だが、現実はうまくいかなかった。
倒れたことにより、屋敷へ帰る時間が大幅に遅れてしまった俺は、両親にこっぴどく叱られた。そのうえ、俺がたまに屋敷を抜け出しどこかへ行っていることに気づいたメイドが、それを両親に話してしまったのだ。
それから約三年間、俺は森へ行くことができなくなった。
早く大人になって、自由を手に入れたい。そうすれば魔獣も……あの女の子にだって好きなだけ会える。
そう思いながら日々を過ごしていたある日、両親が茶会へ出かけて行った。俺も同行する予定だったが〝屋敷で勉強をしていたい〟と言って、ひとりで残ることに成功した。
専属執事に頼み込み、両親より先に屋敷へ戻ることを条件に、俺は森へ行くことを許可された。
三年ぶりの森は懐かしく、俺は胸を躍らせた。うきうきしながらいつもの場所へ向かうと――そこに女の子の姿はなかった。タイミングが悪かったようだ。
女の子がいないことに落胆したが、ここでずっと待っているわけにもいかない。
洞窟を探して、見つからなかったら帰りにまたここへ寄ろう。そう思い、俺は探索を開始した。そして見つけたのだ。いつも霧がかかってなにも見えなかった場所に、洞窟の入り口を。
恐る恐る足を踏み入れ、洞窟内を進んだ。しかし道に迷った挙句、空腹で力が出なくなった。
どこからかいいにおいがして、そのにおいを辿るように歩くとビーフシチューが置いてあって――それを食べたあと、魔獣に見つかり嗅覚を奪われた。
意識を失った俺を見つけたのは騎士団員だった。森で倒れていた俺を、ちょうど森を見回りしていた騎士団が見つけてくれたようだ。
「迷惑かけてすみません」
謝ってばかりの俺に、騎士団員は言った。
「迷惑なんかじゃない。誰かを助けることは、俺たちの任務だ」
……その時の騎士団員があまりにかっこよくて、それから強く、騎士団に憧れの念を抱くようになった。
騎士団に保護され屋敷まで送られた俺は、当然両親に激怒された。自分が悪いのできちんと謝罪したが、両親の過保護という名の見張りはエスカレートした。
俺がまた事故にでも遭えばたいへんだと両親も思ったのだろう。手塩にかけた、大事な後継ぎなのだから。
社交の場にもほぼ行けず、屋敷で過ごす毎日。しかし、あと二年経てば学園へ通える。ストラでは魔法使いは魔法学園への入学が定められているため、こんな息苦しい毎日ともさよならだ。
嗅覚がないと気づくのには時間がかかったが、誰にも言わないことにした。言えば、そのことを理由に、将来俺の騎士団入りを阻止されると思ったからだ。危ないとか、向いてないとか、あらゆる言いがかりをつけて。
辛抱して十五歳になり、俺は魔法学園へと入学した。そこで俺が最初にしたことは――あの女の子を探すことだった。
彼女も魔法使い。俺の予想通り年齢が近ければ、必ずこの学園にいる。
期待を胸に、俺は入学式できょろきょろと辺りを見渡してみた。そしてすぐ、彼女は俺の視界に飛び込んできた。
あの子だ。ずっと見てきたのだから間違いない。
この時――いや、もっと前から既に、俺は名前も知らない彼女にどうしようもなく恋い焦がれていた。
以前は話しかけられなかったけど、もうあの時の俺とは違う。それに俺は、二年間屋敷に閉じ込められていた時に決めたんだ。――絶対自分の好きなことをすると。人生を他人に決められるなんてごめんだ。
『やあ。突然ごめん。俺はリベラートっていうんだ。……君の名前は?』
振り向いた彼女の顔は、以前見た時よりも大人びていて――なにより近くで見ると、あまりのかわいさにドキッとした。
『えっ? えーっと……私はフランカ。フランカ・シレアです。……初めまして。リベラート様』
初めましてじゃないけれど、まずは初めましてから始めよう。俺とフランカの関係を。
だけど、ここでも俺は大きな壁にぶち当たる。なんと俺の長年の想い人であるフランカは、世間では〝魔性の令嬢〟と呼ばれるほど異性にモテモテだったのだ。
まぁ、フランカは世界でいちばんかわいいのでそう呼ばれるのも頷ける。ライバルは学園中――いや、国中の男全員といっていい。とんでもない競争率だったが、俺は絶対にあきらめる気はなかった。
よく男子生徒が『フランカの香りはたまらない』『あの香りは最早麻薬だ』など口々に言っていたが、俺にはそれがどんな香りかわからないのが悔しかった。
でも、未だにまだ覚えているフランカの香りがある。それは、俺を抱きしめてくれた時のあの優しい森の香り。……もしかして、みんなが言っているのはそのことか? できることなら、あの香りは俺だけが知っていたいものだ。
そう願いながら、俺はフランカに猛アプローチを開始した。いつか、俺と幸せになってくれる未来を信じて。
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