〝百年に一度の佳人〟

「フランカ、入るわよ」


 ティオはその後、逃げるように帰って行った。

 時刻は十七時過ぎ。空が色を変える頃、王宮から帰ってきたアリーチェお姉様が私の部屋を訪ねてきた。


「じゃーん。これ、王宮の料理人の方達と一緒に作ったマドレーヌとクッキー! すっごく美味しくできたから、フランカにも食べてもらいたくて」


 目の前に、丁寧に包装されたマドレーヌとクッキーを差し出される。

 弾んだ声に幸せそうな笑顔――それを見るだけで、いかに楽しい時間を過ごしたのか伝わってきた。


「ありがとうお姉様。でも今食欲がないの。あとで食べるから、テーブルに置いといてもらえるかしら」

「……そう? わかったわ。食べられる時に食べて」


 お姉様はそっとサイドテーブルにマドレーヌとクッキーを置くと、ベッドに座る私の横に腰かける。


「……フランカ、なにかあった?」


 心配そうな声で、お姉様は私の顔を覗き込んだ。


「もしかして、ティオくんとなにかあったの?」

「どうして? なんにもないですわ。彼とはうまくやっているもの。近いうちに結婚しようとも思っているし」


 私は姉の目を見ずに、さっきのティオとの会話などまるでなかったかのような返事をした。


「……フランカは、本当に彼でいいの? 彼と結婚して幸せなの?」

「え……」

「私はね、ティオくんはフランカに相応しくないと思う」


 姉から出た意外な言葉に、私はドキッとする。姉がティオをそんなふうに思っていたことにも、私は驚きを隠せなかった。


「ど、どうしてお姉様はそう思うのですか? ティオとは仲良くしてきたじゃないですか」

「うーん。女の勘ってやつかしら。なんか、嫌な予感がするのよ。……それに比べて、リベラート様はフランカとすごくお似合いだったわ」


 ティオの話をした時とはまるで違う明るいトーンで、姉はリベラート様について話し出した。


「私ね、リベラート様と一緒にいるフランカを見てたらとっても羨ましくなったの。私もあんなふうに本気で誰かに愛されたいって……フランカのおかげで、私もちゃんと恋愛しようと思えたのよ」


 アリーチェお姉様が、私のことを羨ましいと?


「リベラート様に愛されてるフランカはこの世の誰よりも可愛くて、乙女で、キラキラしてたんだもの」

「お、お姉様はいつだって可愛くてキラキラしているじゃないですか! 私を羨む必要なんてない。それに、今では憧れの第二皇子の婚約者。セオドア様に愛されて、以前より魅力的になってます」

「……フランカから見てセオドア様は、私のことをどう思っていると思う?」


 どうしてそんなことを私に聞くのか。ただ惚気たいだけじゃないのか。生憎だが、私は今誰かの惚気を聞けるほど、心に余裕がないというのに。


「かわいくて、愛しくて仕方ないって、そんな目でいつもお姉様を見てますよ」


 聞かれたからには返事をしなくてはと思いそう答えると、姉は小さく笑う。


「そう。それはね、リベラート様も同じだったわ」

「……リベラート様も?」

「どんな男性もね〝好きになった女性〟がいちばんかわいくみえるものなの。覚えてるでしょう? リベラート様、私のことを〝邪魔〟だと言ったのよ。仮にも〝百年の佳人〟って呼ばれる私によ?」


 当時のことを思い出しているのか、姉はおかしそうにくすくすと笑い始めた。


「私にそんなこと言う人は初めてだった。見た目だけで寄りついて本質を見ようともしない、そんな男性を私は何人も見てきて、リベラート様のことも最初はどうかと警戒していたの。ほら、フランカ、十二歳になってからものすごくモテていたでしょ? わけもわからずあらゆる男性に付き纏われて――よく知りもしないで私のかわいい妹を突然好きだと抜かす男性に、私は嫌悪感でいっぱいになったのを覚えてるわ」


 いつも上品な姉から〝抜かす〟などという言葉が出たことと、私に対してそんな思いを抱いてくれていたことに、私は驚いた。


「フランカ、どうしてリベラート様と婚約破棄をしたの? あんなに仲が良くて、幸せそうだったのに……はぐらかして教えてくれないのには、なにか理由があるんでしょう?」


 リベラート様と別れたことについて、姉に追求されたのは初めてだった。

 口に出さないだけで、この一年ずっと、姉もなにか違和感を覚えていたのかもしれない。


 私は、ずっと隠し続けていたことを姉に話す決心をした。

 正直、もうどうにでもなれと自暴自棄になっていたせいもあった。


「……リベラート様が私を好きだったのは、まやかしだったからです。リベラート様は夢から覚めて、自由になったんです」

「まやかし? そんはなずないわ。あのお方は、本気でフランカを愛していたわ」

「それはありえません。リベラート様だけじゃない。私がモテていたことだって、全部……私が魔女にお願いして作ったまやかしだったんだもの」

「……どういうこと?」


 私は姉に、十二歳の頃自分の身に起きた奇跡のような出来事を話した。

 そんな馬鹿な願い事をした根底に、姉への強い憧れと、劣等感があったことも。


「小さな頃からそんなにフランカを苦しめていたなんて知らなかったわ。……本当にごめんなさい」


 話を聞き終わった姉は、泣きそうな顔をして頭を下げた。私は慌てて、姉に顔を上げるよう頼んだ。

 

「そんな! お姉様は悪くないわ! 私はお姉様に憧れて、お姉様みたいになりたかっただけにの。……実際なってみて、モテるのもたいへんだなって身に染みたわ。私には〝魔性の令嬢〟であり続ける根性がなかったの」


 しみじみと私は言うが、姉はどこか納得いかない表情をしている。


「お姉様? なにか引っかかるところがありましたか?」

「ええ。今の話を聞いても、リベラート様が魅了魔法にかかっていたことが信じられないのよ」

「でも、ティオから聞いたんです。リベラート様が〝私の香りが忘れられない〟って言っていたと」

「ティオくんがでたらめを言った可能性はない? リベラート様とフランカの仲を裂くために」

「それは私も一瞬考えたけど――その可能性はなさそうでした」

 

 実はさっきティオと、その件についても話していたのだ。

 リベラート様とふたりで話した内容は、ティオが私欲のためでっちあげた嘘だったのではないかと問い詰めた。

 内心どこかで、そうであってほしいとさえ願い始めていた。


 しかし、ティオは言った。


『あれは本当だ。絶対に嘘はついてない。……リベラートさんとフランカが仲違いするいいチャンスだと思ったのも事実だけどな。嘘だと思うなら本人に確認してくれてもいい。お前に最低な嘘をついてばっかだったけど、この件は死んでも嘘じゃないと誓う』と。


「お姉様が見ていたのも、わたしが見ていたのも、魔女によってまやかしの愛に囚われていたリベラート様。とどのつまり、彼は私を好きではなかった。それだけの話です」


 ――そして、魅了魔法など関係なかったティオも、私を好きではなかった。

 寂しくて悲しいけど、これが現実だ。


 姉はしばらく黙っていたが、思い詰めたように口を開いた。


「この先ティオくんとどうするかはフランカが決めることだし、私からはこれ以上なにも言わないわ。フランカが最終的に選んだ相手を、私も家族として受け入れる」

「……そうしてくれると助かります。リベラート様は、もう戻ってきませんから」

「だけど――だけどねフランカ。まやかしの愛が真実の愛になることだってあるわ。真実にできる魅力をあなたは持ってる。……フランカまで、まやかしの愛に囚われ続けないで」


 私の両手を握り、まっすぐな眼差しで姉は言った。

 私は柔らかく小さな姉の手を握り返すと、なんだかさっきよりもほんの少しだけ、頭がすっきりとしていることに気づいた。


「……ありがとうお姉様。お姉様に打ち明けることで、気持ちがラクになりました。やっぱりお姉様は、私の自慢の姉です」


 綺麗で、強くて、優しくて。

 私はそんな姉が大好きで、尊敬していた。

 だけど、姉は私のことなどなんとも思っていないと考えていた。

 

「ふたりでこんな深い話をしたのは初めてかもしれないわね。これからはもっといろんな話をしましょう。フランカも、かけがえのない大切な、私の自慢の妹よ」


 しかし、それは違った。

 姉は姉なりに、私のことを考えて、見守ってくれていたのだ。


「……はーっ! お姉様、私、無性に魔法が使いたくなったので、今から森へ行ってきますわ!」

「今から!? あまり長い時間いたら、暗くなってしまうわよ」


 いろんな感情スイッチが入りまくったからか、体を動かしたくて仕方がない。ストレス発散には、運動が効くってどこかで聞いたことがある。


「一時間ほどで帰ります! 晩餐は後で食べると伝えといてください!」

「ちょっとフランカ! 暗くなる前に帰ってくるのよ!」


 ダッシュで部屋を出て行く私に向けて、姉が叫ぶ声が聞こえた。

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