まやかしの愛
リベラート様と一切の連絡をとらないまま、また一年の月日が流れていた。長期任務はまだ続いているようで、この一年、リベラート様は王都へは一度も戻ってきていないとルーナから聞いた。
一年の間に、私は私でいろいろあった。
失恋の傷を癒すように魔法研究に打ち込んでいたら、私の土魔法についての論文が魔法省内で高く評価された。そのお陰でもっと責任のある仕事を任されるようになり、私はさらに仕事に打ち込んだ。
そんな私をずっと隣で支えてくれたのはティオだった。
私はリベラート様が嗅覚を無事に取り戻したことと、リベラート様とお別れしたことを最初にティオに報告していた。
我慢できずに泣き出した私を、ティオはただ、優しく抱きしめてくれた。
『それでよかった。フランカの選択は間違ってない』
ティオに肯定されて、心が軽くなったことを今でも覚えている。あの時ティオがいてくれなかったら――立ち直るのに、もっと時間がかかっていたたろう。
その一件から、ティオと私の関係は次第に変わっていった。
『婚約者がいなくなったなら、もう遠慮する必要ないよな?』
ある日突然ティオにそう言われ、とても驚いたことを覚えている。私はこの時、初めてティオの気持ちを知った。
『俺、フランカが好きだ』
彼は私にずっと、友達以上の感情を抱いていたのだと。
『すぐにとは言わないけど、これからは俺をちゃんと、ひとりの男として見てほしい』
それは、ずっと友人だと思っていた相手がそうでなくなる瞬間だった。
ティオは私に猛アピールを開始して、以前より積極的に絡んでくるようになった。
しかし私は、どうしてもティオを友人以上に見ることができなかった。友人でいた時間が長かったから、なかなか異性として意識することがむずかしかったのだ。
それでもティオはあきらめず、一途に私を追いかけ続けてくれた。
ティオはかっこいいし優しいので、魔法省で働くほかの女性からも人気は高かった。
時には私より綺麗で身分も高い令嬢から誘われたりもしていたのに、すべて断っていた。〝好きな人がいるから〟と。
そして、一生懸命私に気持ちを伝えてくれるティオを毎日見ていると、その思いに答えたいという感情が湧いてきた。
正真正銘、香り関係なく好きになってくれたのはティオが初めてだ。この先現れないかもしれない。
――今は友人としか見れなくても、その延長でいつか、恋人としてみられるはず。
もともと私は恋愛結婚はあきらめていたし、知らないどこかの令息と結婚するくらいなら、愛情を注いでくれるティオと楽しい日々を送る方が幸せになれる。
そう思った私は、ティオとの婚約を決めた。ティオから猛アピールを受けて、約十ヶ月が経った頃の話だ。
両親からは『リベラート様とは正式に婚約破棄をしたのか』と心配されたが、ヴァレンティ家から婚約について連絡がきたことはこれまでないし、向こうもとっくに破棄したと思っているだろうと伝えた。
ヴァレンティ家との婚約話が白紙になったことを、両親はしばらく残念そうにしていた――が、そんなことが吹き飛ぶほどおめでたいニュースが、つい先日飛び込んできた。……アリーチェお姉様の婚約話である。
『私、彼と婚約することにしましたわ』
そう言って微笑みながら身を寄せ合っている相手はなんと、ストラ国の第二皇子、セオドア様だった。
私と違い頻繁に王家主催の夜会に参加していた姉は、知らぬ間に第二皇子に見そめられ、この一年の間に親交を深めていたらしい。
――だからたまに屋敷を留守にしていたのね。まさか、セオドア様と密会していたとは思わなかったわ。
第一皇子は既に結婚しており、令嬢たちはみな未だ婚約さえしていない第二皇子のセオドア様を狙っているとルーナから聞いていた。
そんな競争率の高いセオドア様を射止めたのが、〝百年に一度の佳人〟であるアリーチェお姉様だった、ということか。
王家の人間との婚約が決まり、両親は大喜び。私とリベラート様が破局したことなど、どうでもいいといった様子だ。
現金だな、とは少し思ったけど、私はこういうのに慣れている。それに、皇子を射止めた姉は純粋にすごいと思ったし、シレア家の誇りだなと、私は改めて姉に尊敬の念を抱いたのだった。
「ねぇ聞いて。ビッグニュースがあるの」
仕事後、私はティオとカフェで一緒に過ごしていた。
「なんだ?」
「ついにね――アリーチェお姉様の婚約が決まったのよ!」
ティオは私と婚約してから屋敷に遊びに来て、姉とも何度か一緒に食事をしたりと良好な関係を築いていた。
そのため、ティオもこのめでたいニュースを喜んでくれると思っていたのだが――なぜか、目の前のティオは固まって放心状態である。
「ティ、ティオ?」
「あっ……わ、悪い! あまりに急だったから驚いて……わあぁっ!」
ティオの肘がぶつかったことでグラスが倒れ、注文していたアイスティーが床に溢れる。
慌ててふたりで溢れたアイスティーを拭くが、これほどに動揺するティオに対して、私は変な違和感を覚えた。
「飲み物、注文し直してくる?」
「いや、大丈夫。悪いな。……にしてもアリーチェ様が婚約なんてびっくりだな」
「ええ。だってそんな話、今まで一度も
していなかったのに。サプライズとか言っていきなり婚約者を連れてくるんだもの」
「その……相手は誰だったんだ?」
「第二皇子のセオドア様」
「セオドア様だって!?」
相手が王族と知って、ティオは目をまんまるにして声を上げた。
「さすがお姉様っていうか……。まだふたりの噂は広がってないけど、大々的に婚約発表をしたら国中のビッグニュースになるでしょうね」
妹の私も、ふたりについていろいろ聞かれるんだろうなぁと思うと既に憂鬱だ。聞かれたところでなにも知らないし、答えられることなどない。
「それに、ティオも私も義兄がセオドア様になるってことよ。やっていけるか不安だわ」
これから先のことが未知すぎて愚痴を叩いてみるが、ティオは深刻そうな顔をしたまま黙っている。
「結婚するのはまだ先なのか? 結婚したら、アリーチェ様は王宮に?」
「え? そうね。すぐにするわけではなさそうよ。結婚したら……そうなるんじゃないかしら」
「……そうか。アリーチェ様がいなくなったら、屋敷も寂しくなるだろうな。それにフランカまでいなくなれば、ご両親が悲しむんじゃないのか?」
「うーん。どうかしらねぇ」
そうは言っても、うちの屋敷から王宮はそこまで遠くはないし、会おうと思えばいつも会える距離だ。私がティオのところへ行くとなっても――普通にあたたかく見送られている光景が目に浮かぶ。
「だから俺考えたんだけどさ、俺、婿養子に入ってもいい。俺は長男じゃないし、両親もなにも言ってこないと思う。俺がフランカの屋敷に移り住むって形をとるのはどうだ? そのほうが今の環境を崩さなくて済むし、フランカもいろいろとラクだろ?」
「えぇっ?」
お姉様の婚約話に続き、ティオまで突然なにを言い出すのか。
「俺の実家はストラにないし、俺のところへ来るとなったら俺の国の魔法省に転職することになる……家族にもなかなか会えなくなるしさ。俺は今の環境を気に入ってるから、できればストラに残りたいと思ってる」
「ティオの気持ちはわかったけど、こういうのって私たちの意思だけで決めていいものなのかしら? ティオのご両親とも話したほうがいいと思うのだけど……」
「大丈夫だって。ていうかさ、俺は今すぐにでもフランカと結婚してフランカと一緒に住みたいと思ってる。フランカはどうだ? 俺との結婚、嫌だなんて言わないよな?」
私の意思を無視した迫るような物言いに、私は尻込む。
「ティオ、お、落ち着いて。どうしたの?」
「俺は至って冷静だぞ? フランカも俺と正式に結婚すること、早めに決めてくれたら助かる。婿養子に入る話も早めにしに行きたいしな」
冷静だなんて嘘だ。今のティオは、私には焦っているようにしか見えない。
「……考えてみるわ」
とりあえずそう言って、私はその場を収めた。
それからというものの、ティオは私に結婚を急かし続けた。
今までのように他愛のない会話や、土魔法について語り合うことはまるでなくなった。
顔を合わすたびに結婚の話、婿養子の話を繰り返され、遂にはティオを見るとため息が出てしまうようになった。
この時から、ティオに抱いていた違和感が自分の中に膨らんでいき――ある日その違和感が、確信に変わった。
曖昧な返答をし続ける私に痺れを切らしたティオが、休日に約束もなく私の屋敷を訪ねてきたのだ。
両親や姉に、ティオが婿養子に来たがっている話はしていなかった。
私は内心まずいと思いながらも、平然を装いティオに接していた。すると、偶然にもティオがやって来た数分後に、セオドア様が姉を迎えに屋敷へやって来たのだ。
うれしそうに頬を赤らめ、セオドア様の元へ駆け寄るアリーチェお姉様。そんな姉を、セオドア様もまた愛しそうに見つめている。
「お姉様、今日はセオドア様に王宮に招かれているの。昨日からずっと楽しみにしていて――」
青空の下で、なんとも微笑ましいふたりの姿を見守りながら、ふと隣に立っているティオに話しかけると、ティオはなんともいえない表情で、姉の姿を見つめていた。
苦しくて、切なくて――どうしようもない愛しさがこもったような、そんな眼差しで。
私はその姿を見て確信した。
ティオは最初から私を愛してなどいなかった。
ティオは私の向こう側にいる、アリーチェお姉様を愛していたのだ。ずっと、私越しに姉のことを見つめていた。
初めて屋敷へ遊びに来てリベラート様に邪魔された時も、私と遊びたいから屋敷へ来たんじゃない。姉に会いたかっただけ。だから、姉がいないとわかると居座ることなくすぐに帰って行った。
結婚を急かしたのも、自分が屋敷へ来たがったのも、姉が王宮へ行ってしまう前に少しでも近くにいたかったからだろう。自国ではなく、ストラに留まりたい理由も同じだと思う。
婚約してからも、私はティオと恋人らしいことをした記憶がない。手を繋いだり、キスをしたり。
お互い今さら照れくさくて、なかなかそういう雰囲気にならないだけと思っていたが、ティオは私とそういった行為をしたいという気持ちが最初からなかったのだろう。
感じていた違和感は綺麗に結びつき、私はどうしようもない喪失感に駆られた。
――仮にも好きだと言った婚約者の前でそんな顔を見せるなんて、まだまだ爪が甘いわね。
ティオは私の気持ちなど知らぬまま、去りゆく馬車を未だに呆然と見つめている。
そんなティオを見て、私は以前リベラート様に言われたとある言葉を思い出した。
『彼は君を見ていない。そんな奴に、フランカは絶対に渡さない』
――リベラート様は、どこまで気づいていたのだろう。今となっては、知る由もなかった。
「ティオ」
「……あ? ああ、えっと、なんの話だっけ」
「ティオ、大事な話があるの。私の部屋に来てくれる?」
外は快晴。気温もあたたかく、たまに吹く風も気持ちいい。
それなのに、私の部屋の空気は雨空のようにどんよりとしていた。
「フランカ? 大事な話って? ……もしかして、やっと俺と結婚する覚悟が?」
「ええそうね。してもいいと思ってるわ」
「! だったら、すぐにでも……」
すぐにでも、お姉様の近くに行きたい? 形はどうであれ、お姉様と家族になりたい?
ティオは自分で気づいていないのだろうか。今日ここへ来てから、私のことを一度もまともに見ていないことに。
常に心あらずという感じで、頭の中がさっき見た仲睦まじい姉とセオドア様のことでいっぱいというのが丸わかりだ。
「その前に、すべて正直に話して。……ティオは、アリーチェお姉様が好きなのでしょう?」
「な、なにを言ってるんだフランカ、そんなわけないだろ。俺が好きなのは――」
「誤魔化さなくていいわ。わかってるから。逆に今までよく自分の気持ちを抑えて我慢していたわね。うまくやっていたのに、お姉様の婚約が決まってボロが出まくりだったわよ。……それがなければ、私もなにも知らないまま、あなたと結婚するところだった」
すべてわかっている。嘘をついても無駄よ。
言葉にせず、目でそう訴えかける。
最初こそしどろもどろしていたティオだったが、これ以上言い逃れできないことを察したのか、片手で額を押さえながら大きなため息をついた。
「……ごめんフランカ。俺はあんなにお前を好きだと言っていたのに……最低だよな」
わかっていたことなのに、本人に認められると、やはりショックを感じた。
「いつからアリーチェお姉様を? 私に近づいたのは、私がお姉様の妹だって知っていたから? 全部話して。嘘も綺麗事もいらない。正直に話さないのなら、お姉様に全部バラしてもいいのよ」
「! それだけは――」
「だったら話して。すべてを」
緊迫した空気が私たちを包む。
ティオはその場に膝をついて、か細い声で話し始めた。
姉がラターグに留学中、ティオはアリーチェお姉様のことを見かけひとめぼれした。
学園が違ったため、姉が参加するお茶会やパーティーへ参加し接触を試みたが、いつも姉の周りには人だかりができていて、一度も話すことができなかった。
遠くから見守るだけの日々が続いたが、ある日、〝アリーチェに妹がいる〟という情報を耳にした。
人づてに私の情報を聞いてまわり、私がストラの魔法学園に通う土魔法使いなことを知った。
そして、私がストラの魔法省へ就職すること、姉はストラへ帰ることを知ったティオは、姉を追いかけ自分もストラへの移住を決めた。
どうにかして接点を持つため、私のいる魔法省へ就職し、土魔法使いという共通の武器を使い私に近づいた。
私に姉を紹介してもらうタイミングを伺っていて、大チャンスだと思っていた夜会で突如リベラート様が現れ計画が台無しになった。
その後もことあるごとにリベラート様のせいでうまく事が進まなくなり、苛立っていたようだ。
私のいちばん近くにいれば、必ず姉と仲良くなれると信じていたティオは、リベラート様がいなくなったことをきっかけに新たな方法を思いついた。
それは、私の婚約者になること。
そうすることで、必然的に姉とも関わることになる環境を作った。
欲を言えば、そのまま私から姉に乗り換えたかったが――そうこうしてる間に、姉の婚約が決まってしまった。
あとは私の予想通り。
自分が姉の恋人になれなくとも、家族になればずっと一緒にいられる。
そう思って、私に結婚を急かしたと。
「……ふっ、はは、ははは!」
想像よりずっと入念に計画されていたことを知り、私はなんだか笑いが止まらなくなった。
「はー! アホらしっ! 私ってなんにも知らないで……ほんと馬鹿」
「……フランカ」
ティオは初めてできた男友達。ルーナと同じくらい信用し、頼りにしていた。
リベラート様に別れを告げ、ぽっかり空いた穴も、ティオが埋めてくれた。
告白された時は戸惑ったけど、うれしい気持ちもあった。
香りをなくしてから出会ったティオこそ――本当の愛を私にくれるんだって。
私は、とんでもない思い違いをしていたみたいだ。
「そりゃあそうよね。近くにあんな素敵な女性がいたら、みんな好きになるわ。私が男でも、私よりお姉様を選ぶもの。こんな平凡で、社交性もなくて、魔法のことしか頭にない……せっかく与えられた力すら自ら手放して、そのくせお姉様を羨んでばかりの卑屈な女、私がいちばん嫌いだわ」
「フランカ、お前、そんなこと思って――」
「思いたくないけど、思ってしまうのよ。……笑いたくないのに、笑ってしまうの。そうでないと心が保てない」
「……お前をひどく傷つけたのは俺の責任だ。許してくれとは言わない。ただ、婚約破棄はしないでほしい」
ここまできてなお、私との婚約をあきらめないティオに、私は呆れを通り越して尊敬の念すら抱き始めた。
姉への揺るがない執着心。強烈な恋心。私と最悪な関係になってでも、それを貫く信念に。
「……結婚でもなんでも、あなたの好きにして。ただし、アリーチェお姉様の幸せを壊すような真似をしたら、今の話を全部バラすわ」
「いいのか!? ……もちろん、アリーチェ様やセオドア様になにかするつもりはない。ただ、そばにいられればいいんだ」
私だけがなにも幸せにならないティオとの結婚。だけどもう、どうでもよくなっていた。
恋だの、愛だの、結婚だの。私の人生には無関係だったと割り切ればいい。
「いいわ。私もあなたを愛すことはないし、お互い様だもの。新たな婚約者を探すのも面倒だし、今日からは仮面婚約者として仲良くしましょう」
「……フランカは、それでいいのか?」
自分でお願いしておいて、私にそんなことを聞くなど愚問だ。
「ええ。私には〝愛〟なんて必要ないから」
あなたから与えられる建前上の愛情なんて、こっちから願い下げだ。
自分でも驚くほど冷めた声でそう告げると、私は膝をついたままのティオを見下ろし微笑んだ。
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