魔獣、ハイリ
「なるほどねぇ。あなたの婚約者も運が悪いわねぇ」
私の話を聞いたベランジェールは、自分の髪の毛を指にくるくると巻き付けながら、気の毒そうに言った。
「それで、その魔獣はベランジェールという魔女に夢中で、その魔女の言うことならなんでも聞くって聞いたんですが……ベランジェールなら、魔獣に会える方法を知ってますよね?」
「アタシへのお願いはそれってわけね。……ま、その噂は本当よ。ストラの洞窟にいる魔獣――ハイリっていうんだけど、あいつはすっごく用心深くて他人が大嫌いなの。だから、外から人が入って来ないように洞窟の入り口を霧で塞いでる。ハイリが霧を晴らすのは、アタシが洞窟に来るのを察した時だけって言っても過言じゃないわ。……あなたの婚約者はそのタイミングで入り口を見つけて、中に侵入したんでしょうね。アタシは彼の姿を見ていないから、すれ違いだったのかもしれないわ」
ベランジェールが魔獣、ハイリと親交深いのはどうやら本当みたいだ。問題は、話を聞いたベランジェールが私とリベラート様に協力してくれるかどうかだけど……。
「お願いですベランジェール。どうしてもあと三日……いや、二日以内に魔獣に会って、リベラート様の嗅覚を取り戻さなくてはならないんです。力を貸してください」
誠心誠意を込めて、私はベランジェールに頭を下げた。
「過去に二度もわがままを聞いてもらっておいて、厚かましいのは承知の上です。だけど、今回だけは譲れないんです」
「そうね……あなたの寿命半分と引き換えなら考えてあげないこともないわ」
「えっ……?」
「アタシは魔女よ。いつも優しく、ただ願いごとを聞いてあげる女神なんかじゃあないわ」
私の寿命を半分差し出せば、魔獣に会うことができる――それなら、迷うことなどない。
「わかりました。私の寿命をあなたに差し上げます。だから協力してください」
顔を上げ、真正面からベランジェールを見据えて言うと、ベランジェールは目を見開いた。
「寿命半分よ? そんな簡単に差し出せるわけ? 一度限りの人生なのに」
「はい。だって六十歳まで生きるとしても、あと十年以上猶予はありますし。十年あれば魔法研究もそれなりにできるし、そもそも私、長生きしたい願望ないですから。もっと短かったとしたら、そういう運命だったってことで受け入れます。これでリベラート様を助けられるなら、お安い御用です」
今の私に未練があるとすれば、まだ新たな土魔法を自分の力で生み出せていないこと。ほかには……あ、ルーナとまだ行きたいって言ってたお店に行けてない。でも行こうと思えばいつでも行ける。寿命半分を渋るほど、この世界にしがみつきたい理由はない。
「……ふふふ。やっぱりあなたって、おもしろい」
ベナンジェールは肩を震わせ、満足そうな顔をしている。
「自分以外の人のために寿命を捧げるその覚悟、アタシがしかと受け止めたわ。その覚悟が、今回の報酬ってことにしてあげる」
「寿命はいらないんですか?」
「いらないわよ。肝心なことを忘れてない? アタシは魔女で不老不死。寿命なんかもらわなくたって、永遠の命は約束されているの」
言われて気づいた。たしかに、不老不死の魔女には他人の寿命をもらったとて、なんの意味もない。
……ベランジェールは最初から寿命をもらう気などなくて、私がなんて答えるか。そこに注目していたのだろう。その結果、私は彼女が満足いく返答をできたようだ。
「それじゃあ、協力してもらえるんですね!?」
「ええ。期限は二日って言ってたわね。だったらもたもたしてる時間はないわ。明日の十五時、婚約者を連れて一緒にまたここへ来なさい。アタシがハイリのところまで連れて行ってあげる。一秒の遅刻も許さないわよ。アタシは暇じゃないんだから」
「わかりました! 明日の十五時、リベラート様と共に必ずここへ来ます!」
私の返事を聞くと、ベランジェールはあっという間に闇の中へ姿を消した。
――よかった。明日うまくいけば、すべて解決する。早くリベラート様に連絡しなければ。
私は来た道を戻り、屋敷へと急いだ。
さっき転んだからか、久しぶりに服も髪の毛も土だらけだ。……帰ったら「もう子供じゃないんだから」って、怒られるんだろうなぁ。
◇ ◇ ◇
次の日。
カイルさんに事情を説明して、リベラート様は休暇をもらい私と共に森へ来ていた。
「本当に魔女と会うことができるなんて、フランカはすごいな!」
「あはは。運がよかっただけですよ」
テンション高めのリベラート様とは反対に、私の気分は上がらないまま、約束の時間を迎えた。
ざぁっと強い風が吹き、大量の葉っぱが舞う。その葉の中から、ベランジェールが姿を現した。
「来たわね。ふたりとも。……ふぅん。これがフランカの婚約者?」
ベランジェールは私の隣にいるリベラート様に、なめるような視線を送る。
「はい。フランカの婚約者のリベラート・ヴァレンティと申します。今日は会えてうれしいです。魔女、ベランジェール」
リベラート様は律儀に一礼しながら、初対面のベランジェールに自己紹介をした。その様子を見たベランジェールは視線を私へと移動させ、にやりと笑う。
「フランカったら、アタシが解呪してからいい男を捕まえたのね」
「……解呪?」
「あっ! いや、なんでもないの! ベランジェール、早く魔獣のところへ行きましょう!」
「あら? この話は禁句みたいね。ごめんなさいね」
魔女の力で私を〝魔性の令嬢〟にしたことを、ベランジェールに口止めするのを忘れていた。
幸い、私が話を逸らしたことでベランジェールは察してくれたみたいだ。リベラート様も特に気にしていないのか、追及してくることはなかった。
私とリベラート様はベランジェールについて行き、森の中をひたすら歩いた。
迷路のように入り組む複雑な坂を下りきると、霧に覆われた場所に出る。……この近くに、ハイリのいる洞窟があるってわけか。それにしても視界が悪い。
「ここまでは自力で何度か来たことがあるんだけど、この霧のせいで、前に進もうにも進めないんだ。成獣の会えた時は霧がなかったのに……って、あれ?」
リベラート様が話していると、次第に霧は薄くなり、どんどん視界が開けていった。
完全に霧がなくなると、奥のほうに洞窟の入り口らしきものが見えた。
「一瞬で霧が消えるなんて……これが魔女の力か!」
「ハイリはアタシに夢中だから、会いに来てほしくて霧を消して入り口を教えてくれるの。この洞窟の入り口は定められてない。ハイリの空間魔法でいろいろな場所に出現するようになっているのよ。霧がある状態じゃまず見つけることは不可能。ついでに厄介なことに、この霧もハイリの特殊な魔法でできているから、ハイリ自身にしか消すことができないってわけ」
ベランジェールが霧の仕組みを得意げに教えてくれた。入り口も霧もハイリ次第なら、いくらがんばっても見つけることができなくて当たり前だ。
奇跡的に一度、霧が晴れたタイミングで洞窟に入れたリベラート様はかなりすごいんじゃないか。……まぁ、おかげで嗅覚を奪われてしまったわけだが。
「ハイリに会えたら、なぜリベラート様の嗅覚を奪ったか聞いてみたいですね」
「そうね。聞いてみたらいいわ。あなた、よほどハイリの逆鱗に触れるようなこをしたんじゃない?」
「……うーん。悪さをした覚えはないんだけどな」
「ま、本人に聞けばわかることよ。行きましょ」
臆することなく、ベランジェールはずかずかと洞窟内へと足を踏み入れる。
「怖い? 手、繋いでいこうか」
じめじめして、薄暗くて、たまにぴちゃりと水滴の音が響く。そんな洞窟内の不気味な空気にびくびくしながら歩いていると、リベラート様が私に言った。
「あ……いや、大丈夫です」
一度差し伸べかけた手を引っ込めると、リベラート様は不思議そうに首を傾げた。
「……フランカ? 顔色がよくないよ。怖いなら無理しないで。俺がいるから大丈夫――」
「本当に大丈夫ですからっ! それより急ぎましょ。ベランジェールに置いてかれちゃう」
触れられた手を払いのけ、私は先を歩くベランジェールの元に走って行った。
――最後に恋人らしく手を繋いでおきたかったけど、そんなことをしたらあとからつらいだけだ。
リベラート様の婚約者でいられるのも……あと僅かなのだから。あんなふうに心配してもらえるのも、優しく微笑んでくれるのも。これ以上、リベラート様との思い出を増やしたくない。増えれば増えるほど、忘れるのがむずかしくなる。
しばらく歩いていると、ベランジェールがぴたりと足を止めた。どうやらこの先が、洞窟内の終着点らしい。
「行くわよ」
この壁を曲がると、伝説の存在、魔獣がいる。
ごくりと生唾を飲み、リベラート様も一緒にベランジェールの後ろをついて行くと――そこにいるのは、リベラート様よりも僅かに体の大きい、灰色の髪をした青年だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます