魔獣への手がかり
事件が起きてから二週間が経った。
リベラート様は王都にある騎士団本部に留まり、打撲が完治するまで診療所へ通う生活をしていた。リベラート様の診察予定日に仕事が早く終われば、私も診療所へ足を運んだ。
任務へ同行できなくなったことをリベラート様は嘆いていたが、そのかわり私と頻繁に会えることをとても喜んでくれた。
今日もタイミングよく仕事を終えたので、私は診療所へ向かうことにした。いそいそと準備をしていると、ティオが声をかけてきた。
「フランカお疲れ! なぁ、軽くなにか食べに行かないか?」
「お疲れ様。ごめん。今日はこれから予定があって」
「……またリベラートさんのとこか。お前、そんなにあいつに会いたいのか? 今までは自分から会いになんて行かなかっただろ」
ティオに指摘されぎくりとする。たしかに今までの私なら、自分から積極的にリベラート様に会いに行くなんてことはなかった。でも、この前庭園で話をしてからは……私も、彼に会いたいと思うようになった。
「べ、べつにいいでしょ。婚約者なんだから、会いたいと思うのは普通じゃない」
「……意外だな。まさか認めるなんて。あの日、そんな急に態度が変わるほどのことをあいつに言われたのか?」
「リベラート様はいつもと変わらなかったわ。どっちかというと、私の受け取り方に変化があったっていうか……とにかく、食事はまた今度――」
「俺も行く」
「へっ?」
「だから、俺も今日は診療所についていく。いいだろ?」
「えーっと、なんのために?」
「そんなの、リベラートさんのお見舞いに決まってるだろ」
絶対に違う気がするのだけど……。ティオ、最近私があんまり構ってあげられないことに怒ってるのかな? あ、もしかして寂しいとか?
こんな大きな図体しておいて、中身はまだ子供なんだから。まったく。
「そんなに寂しいならしょうがないなぁ! 一緒に行こっ!」
「うわっ! なにすんだよっ!」
ティオのことが〝置いて行かないで〟とご主人様に懇願する大型犬のように見えてきて、私は背伸びをしてティオの頭をわしゃわしゃと撫でた。ティオは顔を真っ赤にしている。その姿がかわいくて、おもわず声を出して笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
診療所へ行くと、いつもの病室でリベラート様が待ってくれていた。
「フランカ! ……と、なんだ。今日は君も一緒なんだね」
「あからさまに嫌な顔するのやめてもらえます?」
ドアを開け私を迎え入れてくれたリベラート様は、私の後ろにいるティオを見てあからさまにトーンダウンした。それに対し、すかさずティオの鋭いツッコミが入った。
リベラート様の診察が終わると、私たちは決まって空き部屋でおしゃべりをしている。騎士団専用の診療所ということで一日の患者数がそこまで多くないことから、院長が好意で部屋を貸してくれているのだ。
「まぁ、今日は隊長も一緒だし、どちらにしてもフランカとふたりきりではなかったんだけどね」
「え、カイルさんも来てるんですか?」
「そう。今は少し席を外してるけど……そうだふたりとも! うれしいお知らせがあるんだ!」
リベラート様は腰かけていたベッドから立ち上がると、突然上着を脱ぎ始めた。
「きゃっ! ちょ、ちょっとリベラート様!?」
「おい、お前なにを始めようと――フランカ、見たらだめだぞ!」
慌ててティオが背後から自分の手で私の目を塞いだ。遮られた視界の向こう側で、ごそごそとリベラート様が動いている音だけが聞こえる。
「じゃーん! 俺の左腕と背中の打撲、無事に完治したよ! ……って、ティオくん、俺の婚約者になにをしてるんだ?」
「……なんだよそういうことか。いきなり脱ぎだすからびっくりした」
ティオはため息をつくと塞いでいた手をどけた。明るくなった私の視界にまず飛び込んできたのは、リベラート様の上裸姿だった。
細身でスラッとしているのに、腹筋は割れていてお腹には縦線がくっきりと入っている。意外にも逞しい体を見て、なぜか私が猛烈に恥ずかしくなってしまった。いつかあの体に抱きしめられたりしたら――って、私ったらなにを考えているの!
「ふ、服を着てください! 早く!」
「フランカ? 俺はただ包帯がとれたことを報告したかったんだけど……」
「……あ! いわれてみれば!」
今までは上半身に包帯が巻かれていたから、ここまで肌が露出していなかったことに気づく。
「完治したんですね。……よかった」
「包帯がなくなって窮屈さが消えたよ。完治祝いに抱きしめても?」
「そ、それは、服を着てからでお願いします……」
「ははっ。照れてるフランカもとってもかわいいね」
リベラート様は上着を着直すと、ティオの前だというのに思い切り私を抱きしめてじた。
しまった。〝ふたりの時に〟って言うのを忘れていた。
なかなか終わらない抱擁に、私は体を押し返そうと試みるが、リベラート様に力では敵うはずもなく無駄な抵抗に終わった。
「ったく、いつまでやるんだよ。リベラートさん、なんなら俺ともハグしませんか? ほら、完治祝いで」
「……うーん。ふだんは断るところだけど、今日は機嫌がいいからなぁ。そうだね、ティオくんともしておこう!」
「げっ! マ、マジかよ。今のは冗談のつもりで――ぎゃああ!」
ティオの言葉によって、私はリベラート様からやっと解放される。すると、今度はティオが彼の抱擁の餌食となっていた。
「マジでしやがったぞこいつ……! おいフランカ、どうにかしろ!」
「恥ずかしがることはない。これはお祝いのハグだからな!」
ティオが暴れながらリベラート様を引きはがそうとしていると、ガチャリとドアが開く音がした。
「……お前たち、なにをしているんだ」
病室に、カイルさんの低音ボイスが響く。
大きな男ふたりがひとりの女の前で抱き合っているという異様な光景を前に、カイルさんはドアノブに手をかけたまま立ちつくした。
「こ、これは、リベラートさんの完治祝いのハグってやつでして……やましいことはなにも!」
「まさかティオくんから俺にハグをねだるとは思わなかったよ」
「よけいなことを言うのやめてもらえます!?」
ティオの顔はよく見ると汗だくになっていた。あまりの慌てように笑いが込み上げてきて、私は俯いて静かに肩を震わせた。
「隊長もどうですか? 俺の打撲が完治したお祝いに、抱擁を交わしましょう!」
「遠慮する」
清々しいほどの切れ味でバッサリと言い捨てると、カイルさんは私に向かって手招きをした。
「はい? カイルさん、私になにか用ですか?」
「ああ。ふたりで話がしたい。リベラート、お前の婚約者を少しだけ借りてもいいか?」
「……心からいいとは言えませんけど、隊長のことは信用してるんで承諾します。絶対に口説かないでくださいね」
「いらん心配をするな。悪いな。すぐに戻る。……それまでお前たちはふたりで思う存分抱きしめ合ってもらって構わないぞ」
なぜか今だ身を寄せ合っているふたりを見て、カイルさんは鼻で笑いながらそう言うと、私が部屋の外に出たのを確認してバタンとドアを閉めた。
◇ ◇ ◇
前回同様、私とカイルさんはふたりで別室に入った。
「カイルさん、話っていうのは? ……まさか、リベラート様の容態が悪化しているなんてことは――」
「大丈夫だ。本人が言っていた通り、きちんと完治している」
よかった。ふたりで、なんて言うから、ちょっと身構えてしまった。
「君に話したいのは、リベラートの今後のことだ」
「今後? 無事完治したなら、任務再会になるんじゃないのですか?」
「そうなんだが――次の任務は、リベラートの昇格試験を伴う長期任務でな」
長期任務の話は以前、診療所でリベラート様からちらっと聞いたことがある。
昇格できる可能性があるから、それまでに絶対完治させたいと言っていた。また長い間会えなくなるけれど、必ず昇格して戻ってくるから待っていてほしいとも……。ちゃんと昇格できたらその時は、結婚したい、なんて話もされちゃったり。
「その任務になにか問題でもあるんですか?」
「言いづらいんだが……今のままでは、あいつの昇格は百パーセント無理だ。ついでに長期任務に連れて行くことさえ、俺は若干躊躇してしまっている」
「え!? ど、どうして……!」
リベラート様はまだ新米だが、実力はたしかだと聞いた。カイルさんだって、騎士団ではそんなリベラート様のいちばんの理解者だったはずなのに。
「嗅覚障害があることを隠したまま試験を受けさせることに俺は賛同できない。だが、嗅覚のことを話せば試験を受けさせてもらえるか危うい。この前起きた事件が……リベラートの昇格の足を引っ張ることになってしまった。過去にそういった失敗を起こした騎士を昇格させるほど、この世界は甘くないんだ。国を守るという大きな責任があるからな」
「それは……そうかもしれませんが、リベラート様は嫌がらせを受けてしまっただけで――」
「同じようなことが、また起きたとしたら? 長期任務先には、あまり関わったことのないほかの部隊も来る。そこでまたリベラートのことを妬むやつが出ないとは言い切れない。実力がすべての世界では、どんな手を使ってでも上のやつを蹴落としたいと思う野心家はうじゃうじゃいる。俺は今までそういった奴をたくさん見てきた。……すべて〝もしも〟の話だが、万が一を考えると怖いんだ。今度こそあいつが、戻ってこなくなるんじゃないかと」
いろんな経験をしてきたカイルさんだからこそ、話に説得力があり、急に私も怖くなってくる。
万が一が起きてしまえば取返しがつかない。考えれば考えるほど、後ろ向きなことばかり頭に浮かび上がるのだろう。
「……でも、リベラート様は昇格に向けて頑張ろうとしています。学生の頃から彼の夢はずっと、立派な騎士になることだから。その夢を、どうしてもあきらめてほしくありません!」
しかし、だからといってリベラート様に夢をあきらめろというのはまた別の話だ。
私の言葉を聞いたカイルさんは神妙な面持ちをしている。カイルさんの中では、リベラート様の長期任務はほぼ不可能という結論が出ていたのかもしれない。
しばらく沈黙が続いたが、観念したようにカイルさんが口を開いた。
「ひとつだけ考えがある。それは――長期任務までに、あいつが嗅覚を取り戻すことだ」
「嗅覚を、取り戻す?」
「ああ。長期任務までの時間はあと十日。それまでに魔獣を探し出し、奪ったリベラートの嗅覚を返してもらう。そうすれば、なんの問題もなくあいつを任務に同行させ、試験を受けさせられる。それにリベラートだって、取り戻せるなら取り戻したいと思っているはずだ」
「たしかにそれなら……だけど、どうすれば魔獣に会えるのでしょうか?」
口で言うのは簡単だが、期限内に魔獣を探し出すなんてことが果たして可能なのか。〝王都の森の洞窟にいる〟という情報以外、なにも知らないような相手だ。
「俺なりに勝手に、ストラの洞窟にいるといわれる魔獣について調べさせてもらった。そして知り合いのツテを辿り、その魔獣に会ったことがあるという老人と話をする機会を設けてもらったんだ。その時、こんな話を聞いたんだ。〝魔獣はとある魔女に心酔しており、その魔女が現れれば霧を晴らし、洞窟への入り口が開ける〟と」
魔女に心酔――じゃあ、魔獣探しにはその魔女がキーになるということ?
「その魔女の名は――ベランジェール」
「!」
名前を聞き、私は固まった。だって私は知っている。
『ベランジェールよ。……フランカね。覚えておくわ』
そう言って私にウインクをした、ベランジェールという名の魔女のことを。
「魔獣を探す前に、まず魔女を探さなければならない。かなりいばらの道だが動いてみる価値は――」
「待ってください! ……私、知ってます。その魔女」
「……なんだと?」
「会ったことあるんです。魔女、ベランジェールに」
忘れようとも忘れられない名前。
なぜならその魔女こそが――私を〝魔性の令嬢〟にした張本人なのだから。
◇ ◇ ◇
私たちはすぐに、魔獣と魔女の話をリベラート様にするため病室へ戻った。
長期任務と昇格試験が今のままではむずかしいということはリベラート様に伏せた状態で、私とカイルさんは彼に嗅覚を取り戻すため動き出すことを話した。
リベラート様は魔獣への手がかりがあるとを聞くと、目を輝かせながら納得したように頷いた。
「長期任務前に嗅覚を戻せたら心強いし、そんな有力情報を手に入れたら動かないほかないな。それにしても――」
リベラート様は私のほうをちらりと見て言う。
「魔女と知り合いだなんて、フランカはすごいな! いったいどこで出会ったんだ!? 魔女も魔獣と同じで伝説の存在。出会えるだけでも奇跡なのに、知り合いだなんて……」
「たしかに。俺も気になる。フランカ、どうして魔女と関わりがあるんだ?」
ティオも便乗するように私に魔女との関係を聞いてきた。なにも言わないが、カイルさんも気になっているのか黙ってみ身をひそめているように見える。
「それは、幼い頃、偶然森で会って――シロツメクサの花冠を渡したら気に入られて、仲良くなったんです」
「ふーん。魔女っていうからなんか怖い気がしたけど、案外ほのぼのとしたエピソードだな……」
「フランカの可愛さに、魔女もメロメロになったんだろうな!」
願いを聞いてもらったくだりは内緒にして、ティオが言うようにほのぼのした部分だけを切り取ってみんなに話した。
「とにかく、リベラート様が長期任務に行く前に私は森へ行ってベランジェールを探してみます」
「ああ頼む。俺たちは長期任務の準備やほかの仕事で忙しくてなかなか一緒に森に行けないかもしれないが……なにかあればすぐ駆け付ける。いつでも連絡してくれ」
「俺も手伝うぞ。仕事以外の時間は空いてるし」
「ありがとうございます。カイルさん。ティオも」
カイルさんも忙しい中、魔獣の手がかりを調べてくれていた。これ以上負担をかけたくない。
ティオは今回のことにほぼ無関係なのに、勝手に巻き込んでしまった。そのうえこれ以上手を借りるのは、なんだか申し訳ない。
それに――私だって、なにかひとつでもリベラート様の役に立ちたい。このまま夢をあきらめさせることは、絶対にしてほしくないから。
「フランカ、俺のためにありがとう。だけど無理だけはしないで。俺は、今でもじゅうぶん幸せだからさ」
この笑顔に何度守られただろうか。今度は私が、この人を守らないと。
そんな思いを抱えながら、私はリベラート様に笑顔を返したのだった。
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