ちょっとだけ、素直になります

 リベラート様に連れられ、私は診療所の敷地内にある小さな庭園へ来ていた。空はすっかり青からオレンジへと姿を変えていた。


「ここで話そうか。ベンチもなにもないから、芝生に直で座ることになっちゃうけど……」

「そんなの全然気になりません。私、いつも森で草むらや土の上に座りこんでましたから」

「さすが。俺の婚約者は頼もしいなぁ」


 私たちは芝生の上にふたりで座り込み、吹き抜ける心地よい風を肌で直に感じていた。


「なんか、周りに人がいない場所で話すのって久しぶりだね」

「たしかにそうですね。前回はティオもいたし、その前も私の屋敷でしたから」


 こうやって、人の声が聞こえない静かな場所でふたりきりになるのは、あの夜会以来だ。

 ちらりとリベラート様のほうを見ると、リベラート様もこっちを見ていて目が合ってしまった。


「……早くフランカの気持ちを聞かせてほしいなぁ」


 小さく首を傾げ、私から視線を外さないまま、悪戯っぽくリベラート様は言った。

 ……リベラート様も、誰にも言っていなかった話を私にしてくれた。多くを語りはしなかったが、話してくれたことは事実だ。嗅覚がないことを知った今の私の気持ちを伝えるくらいはしないと、平等ではないだろう。だけどその前に。

 

「……私の個人的な話を、してもいいでしょうか」

「フランカの? いいよ。聞かせて。君の話ならなんでも聞きたい」


 瞳をキラキラと輝かせながら、快く承諾してくれたリベラート様に私は話し始めた。


「私、学園時代――いや、それよりもっと前から〝魔性の令嬢〟なんて呼ばれてた時期があって。今は違うけど、男性に言い寄られる日々がずっと続いていて」

「うん。知ってる。フランカの人気っぷりはすごかったよ。学園にいる男全員がライバルでだなんて、俺も思ってもみなかった。でも、君はそれだけ魅力的な女性だったから――」

「違うんです。そうじゃ……ないんです」

「……フランカ?」


 魔女からもらった力で、纏った香りによってただみんなを騙していただけ。

 その事実を話す勇気が今の私にはなくて、おもわず口をつぐんでしまう。すべてを話すことはまだ先になろうとも、この溢れ出る感情だけでも、今リベラート様に伝えたいと思った。


「あれは全部まやかしで、偽りの愛だったんです。みんな、本当は私を好きなわけじゃない」

「……どうしてそんなことを思うんだ?」 

「そう思わざるを得ない理由があったからです」


 私が自ら話そうとしないからか、リベラート様がその“理由”について追及してくることはなかった。優しい彼のことだ。きっと、私が話すまで待とうという考えなのだろう。

 

「虚しかった。ほしいものだったはずなのに、苦しかった。ずっとずっと……私はきっと、寂しかったんです。」


 ――生まれてからずっと。姉ばかりが注目される世界で、誰も私を見ていない。それがつらくて魔女に願いごとを言って、姉より注目されるようになったのに。どんな男性も、私の虜になるというのに。

それでも結局、私の心が満たされることはなかった。なぜなら……全部、偽物だったから。

魔女にもらった香りで異性に魔法をかけて、みんなが私を好きだと勘違いする。偽物の世界で注目を浴びても、残るのは虚無な心だけ。

 それが嫌で、私は香りを手放して、本物の世界を生きることに決めた。注目は浴びなくなったけど、生きやすくはなったのはたしかだ。


「どんなに好意を伝えられても、誰のことも信じられない。それは私への本心じゃないという確信があったから。現に、今は以前みたいな現象は起きていないでしょう? それがまやかしだった証拠です。わかっていたから、私は誰かに恋をすることがなかった。人を好きになる気持ちが、わからなくなってたんです」

「……だから俺の気持ちも信じられなかったってことか」

「でも、今はこう思ってます。……リベラート様だけは、そうじゃないかもって」


「ひとつ聞いていいですか? どうしていつも、私の居場所がわかったんですか? 男子生徒から逃げて隠れていた私を、リベラート様はいつも見つけることができましたよね」


 私が放つ香りで男子生徒に居場所がバレないよう、私はいつもハーブを焚いたり、サシェを持ち歩いたりした。香りで香りを誤魔化していたのだ。

 それでもリベラート様は、いつも私を見つけ出した。あの時は、鼻が人よりよく利く男だと半ば呆れていた。しかし、リベラート様は当時既に嗅覚を失っていた。

 ――それなのにどうして。純粋に、私は疑問に思ったのだ。


「そんなの、好きな人なんだから当然だろう」

「え?」

「好きなんだから、居場所がわからなくても見つかるまで探すだけだ。だって、学園にいるあいだ、俺はずっと君に会いたくて仕方なかったんだから」


 当たり前のように、リベラート様はそう言って笑った。

 ……彼は容易く私を見つけていたわけじゃない。学園内のあらゆる場所を探して、私が見つかるまであきらめることをしなかっただけ。

 そこまでする理由はただ、〝私に会いたかったから〟?

 

「……ふふっ。鼻が利くんじゃなくて、人より何倍もあきらめが悪い男だったんですね」

「なんの話かわからないけど……よかった。ここに来て、今初めて笑ってくれた」


 おもわず笑みが零れた私を見て、リベラート様は安心したように目を細め、眉を下げながら微笑んだ。


「私、あなたのことを信じたいです。そしたらきっと……初めて誰かを好きになれると思います」


 本音を言うと、私は多分、強がっていただけなのだ。

 リベラート様を入学式で初めて見た時に受けた衝撃――あれは、俗にいう“ひとめぼれ”というものに近かったんだと思う。だけど私は、その気持ちにすぐさま蓋をした。ズルをして誰かの気持ちを手に入れることにどうしても抵抗があったから。

 ほかの人と同じように恋愛対象としてみなければ、私は大丈夫。彼に本気になんてならないし、好きと言われても動じない……はずだったのに。

 よりによってリベラート様だけが、香りを失っても私を〝好きだ〟と言ってきた。理解不能だったし、どれだけ魔法が解けづらい人なんだと心配になった反面――どこか期待している自分もいたのが嫌だった。そして、その期待が外れてつらい思いをするのも嫌で、頑なに彼の気持ちを間違いだと否定し続けた。

 ほかの誰よりも純粋に気持ちをぶつけてくる彼に、冷たく当たることばかりで、素直になることなど無理だった。蓋をしていた気持ちが溢れ出ることが怖かったから。


 でももし、蓋を外すことが許されるなら、私は――。

 

「信じてもいいですか? 好きになっても、いいんですか?」


 この人のことを、好きにならずにはいられない。だって、初めてだったから。

 ほかの誰でもなく、私だけを見続けてくれた人は。まっすぐに、愛を伝え続けてくれた人は。


 リベラート様は私の言葉に目を見開いたあと、ふっと笑って、手を伸ばしそっと私の髪を撫でた。


「だめな理由がどこにある? 俺としては、むしろそうしてもらわないと困るよ」


 私顔を覗きこみながら、リベラート様は続けた。


「フランカの過去になにがあって、君が苦しんでいたかはわからない。でもこれだけは言わせてほしい。俺は君が好きだ。この気持ちはまやかしなんかじゃないことを、俺がいちばんわかってる。だから……安心して信じて欲しい、俺が君を好きだってことを」

「リベラート様……」

「もう寂しがる必要なんてない。フランカのそばには、俺がずっとついているから」


 言葉のひとつひとつから、リベラート様の愛を感じられた。今まで私の中にあった寂しさが、彼の愛情で埋められていく。

 無言で見つめ合い、自然と互いの顔が近づいていったその時――。


「フランカ!」


 背後から私を呼ぶ声。はっとして、私は反射的に呼ばれたほうを振り返る。


「ティオ! どうしたの?」


 ここまで走ってきたのか、息を切らしたティオが立っていた。リベラート様はというと、「いいところだったのに……」なんて言って隣で項垂れている。


「三十分経っても戻って来ないから迎えにきたぞ」

「えっ! もうそんなに経っていたの?」

「ああ。カイルさんも苛立ってるし、早く戻るぞ」


 ティオが私の腕を引っ張り、体を起こそうとした瞬間、その手をリベラート様が押さえて制止した。


「嬉しくない気遣いをありがとうティオくん。彼女は俺が連れて帰るから、先に戻っていいよ」

「……べつに、三人で帰ればいいじゃないですか」

「さっきまで空気読めてたんだから、今も読めないかな? 俺とフランカは今、最高に盛り上がってる状態なんだよね」

「はぁ? 意味わかんねー……」


 胸を張りながら自慢げに言うリベラート様を見て、ティオはわかりやすく顔を歪めた。

 

「ティオ。リベラート様はこういうわけわかんないことを普段から言う人だから。さっきカイルさんが言ってたように言い出したらきかないし、先に戻ってもらってていい? せっかく来てくれたのにごめんね。ありがとう」

「……わかった」


 立ち上がって宥めると、ティオは腑に落ちない様子で、ひとりとぼとぼと診療所へと歩き出した。……なんだか申し訳ないことをしちゃったかしら。


「ティオくん――彼は、君のことをとても気にかけているようだね」


 気づけばリベラート様も立ち上がり、私に向かってそう言った。


「ティオはいつも一緒にいますから。ほら、学園時代のルーナみたいな感じで」

「本当に彼はそれだけの感情なのかな? 多分、それ以上だと思うよ。だけど……彼は君を見ていない。そんな奴に、フランカは絶対に渡さない」

「……リベラート様?」


 険しい顔でティオの後ろ姿を眺めながら、なにやら意味ありげな発言をしたかと思うと、すぐにいつもの優しいリベラート様へと戻る。


「名残惜しいけど、そろそろ隊長の堪忍袋の緒が切れそうだし、戻るとするか」

「そうですね。お医者様にも怒られちゃう」

 

 夕焼けをバックに、リベラート様は微笑みながら、怪我をしていないほうの手を差し出した。


 ――ああ、私、この人のことが好きだなぁ。


 あたたかな手のひらに自分の手を重ねながら、私は素直にそう思えた。

いつか魔女との話も……私のこの気持ちも、きちんとリベラート様に伝えられますように。できることならその後もこうして、彼の手を握っていられますように。

 病室まで戻りながら、私は静かにそう願った。

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