衝撃的事実、発覚
それからの私は、特に変わり映えのない毎日を送っていた。魔法省で仕事に勤しみ、休日はお姉様やルーナとお茶をしたり買い物をしたりして過ごしていた。
結局、ティオの好きな人の話はわからないままだった。話題に上げてもすぐ逸らされるので、私からも話さなくなっていた。
最後にリベラート様に会ってから、一ヶ月が経とうとしていたそんなある日のこと。
魔法省で絶賛勤務中の私に、カイルさんからわざわざ魔法省を通して連絡があった。
――またリベラート様が勝手にどこかへ行ったりしたのかしら。
そんなのんきなことを考えていた私に、カイルさんから驚きの言葉を告げられる。
〝リベラートが倒れた。すぐに近くにある騎士団の診療所へ来られないか〟
一瞬、耳を疑った。リベラート様が倒れた? その事実を、すぐに受け入れることができなかったのだ。
手紙はこの一ヶ月も変わらず、ものすごい頻度で届いていた。そこに体調不良を仄めかすような文章はなかったし、元気だと思っていたのに。
カイルさんに『詳しいことは後で話す』と言われ、私は魔法省を早退させてもらい指定された診療所へと向かった。
私は顔色がかなり悪くなっていたようで、心配したティオも一緒につき添いとして来てくれることになった。
「カイルさん! リベラート様の容態はっ……!」
診療所に着き、ティオとリベラート様がいる部屋へ駆けつけた。
するとそこには、ベッドで眠っているリベラート様と、その近くで椅子に腰かけるカイルさんの姿があった。
前回ふたりと会った時とは、ずいぶんな温度差だ。カイルさんの深刻そうな表情に、私は息を呑んだ。
「君か。来てくれてありがとう。今は容態が落ち着いて眠っている。命に別状はない」
「そうですか。……よかった」
私がほっと胸を撫で下ろすと、ティオも私を安心させるよう背中をさすってくれた。
「あの、一体なにがあったんですか?」
「……それについてなんだが、フランカ嬢、別室で少し話せないか?」
私にそう言うと、カイルさんはちらりとティオの方を見た。ティオはすぐに空気を読み、私から離れた。
「大丈夫ですよ。俺、ここでリベラートさんのこと見てますんで」
「……悪いな。よろしく頼む」
私はそのままカイルさんに連れられ、誰もいない別の病室に入った。カイルさんはドアにもたれかかりながら、私にリベラート様が倒れた経緯を話し始めた。
「あいつ、騎士団内で嫌がらせにあったんだ」
「嫌がらせ?」
「ああ。それもかなり悪質のな。あいつは成績優秀で、訓練生の中でも才能がずば抜けていた。おまけに魔法は二種類も使えるし、注目の的だった。……少々抜けているところもあるが実力とやる気は確かでな。俺もあいつにはかなり期待していて、無意識にひいき目に見ていた部分があったかもしれない。そういったことを気にくわないと思った奴らが今朝、リベラートの馬に興奮剤を打ったんだ」
馬に興奮剤を!? 馬に蹴られりでもしたら死に至ることもあるのに、そんなことをしたら……。
「結果、突如暴れだした馬に体を蹴られ、リベラートは気を失った。幸いあいつの咄嗟の判断で直撃を逃れたようで、骨や脳に異常はなく、背中と腕の打撲で済んだがしばらくは安静にといった感じだ。……すまない。俺がいながら、こんな事態を招いてしまって……」
「悪いのは興奮剤を打った人たちで、カイルさんの責任では……」
「いや。今回のことは部下の異変に気づけなかった俺の責任だ。一歩間違えれば、あいつの命はなかった。君から大事な婚約者を奪っていたかもしれない。本当に申し訳ない」
ぐっと拳を固く握りながら、カイルさんは私に向かって深々と頭を下げた。
「大丈夫ですから顔を上げてください。私はカイルさんにこれ以上の謝罪は望みません」
「……すまない。恩に着る」
顔を上げたカイルさんはまだ申し訳なさそうに眉を下げつつも、安堵を浮かべていたように見えた。
「そしてここからがいちばん君に伝えたいことなんだが。リベラートのプライベートなことになると思って、もうひとりの彼には席を外してもらったんだ」
「ここからって……まだなにか続きが?」
カイルさんは無言で頷くと、私が病室に入ってきた時と同じように深刻な表情を浮かべた。
「馬に打った興奮剤にはかなりにおいのきつい成分が入っていてな。それを打たれると、馬の体臭にもかなり影響が出るんだ。リベラートほど注意深く、周囲の細かい変化にもすぐ気づく奴が、馬のにおいに気づかず近づいたのはおかしい。そうでなくとも、実際誰でもわかるほどあいつの馬は異臭を放っていた」
そんな強いにおいがありながら、リベラート様はいつもと変わらず馬に近寄ったってこと?
「リベラートが倒れたと聞いて、俺はすぐに現場に駆け付けた。〝お前ほどの奴が、なぜこの異臭に気づかなかったのか〟と勢い余って問い詰めると……意識を朦朧とさせたあいつが、俺に妙なことを言ってきたんだ。……〝実は俺、においがわからないんです。十三歳の時、魔獣に嗅覚を奪われた〟って」
「……魔獣に嗅覚を?」
魔獣っていうのは、この世界で幻と呼ばれている。姿かたちもいろいろあり、魔女と同じで、生きているうちに一度出会えるかどうかわからない希少な存在だ。
私がよく行っていた森にも、魔獣のいる洞窟があると言われていた。霧で入り口が覆われていて、誰も発見したことがないって噂だ。
リベラート様はその魔獣に会ったというのか。だけど、私も実際魔女と遭遇している。にわかに信じられない話ではない。
「続けて〝騎士団に入るのが夢だったから誰にも言えなかった。隠していてすみません〟――と。嗅覚障害があると、騎士団への入団がむずかしくなるとリベラートは懸念したのだろう。……俺には、あいつが嘘をついているように思えなかった。言われてみれば思い当たる節がいくつもあったんだ。誰も手をつけなかったにおいのきつい果物を平気でバクバク食べていたり、隊員の香水が入った容器の中身を水と間違えて顔を洗ったり……」
それって、少々抜けているってレベルでは済まされないような気もするけど。
「じゃあ、リベラート様は本当に嗅覚が……」
待って。嗅覚がないってことは――私が魔女からもらった〝異性を魅了する香り”も、リベラート様には効いていなかったことになる。
十三歳の頃に魔獣に嗅覚を奪われたのなら、私と出会った時にはもう嗅覚がなかったはずだ。
私は久しぶりに夜会でリベラート様と再会したあの日の会話を、ふと思い出した。
『一年前と今の私、明らかに変わったと思うことはありませんか? 例えば――香りとか』
『香りがどうかした? 俺にはフランカの言ってることがよくわからないけど――』
あの時は、もう香りを纏っていない私になにも変わらず接してきたことに驚いて、あまり気にしていなかったけど……。嗅覚がなかったのなら、わからないという返答にも納得がいく。
そして、この時私の中で、ひとつの大きな可能性が浮かび上がった。
――じゃあ、リベラート様は香りとか関係なく、本当にずっと私のことを?
「……っ!」
そう思った瞬間、大きく心臓が跳ねた。全身が熱くなり、自分で自分の体をぎゅっと抱きしめる。
「フランカ嬢、どうした? 顔が真っ赤だが、君も熱でもあるのか?」
「い、いやっ! 違うんです。ごめんなさいっ!」
「……なぜ君が謝るんだ?」
首を傾げるカイルさんに、うまく返事ができない。
私、もしかして喜んでいるの?
こんな緊急事態に、なんて不謹慎なんだろう。そう思いながらも、心臓の音が鳴り止まない。
いや、でもまだそれが本当の話かなんてわからないじゃない。勝手に盛り上がって、嘘だったら虚しすぎる。信じるのはちゃんと本人に事実確認をしてから――。
そう思っていると、トントンとドアをノックする音が聞こえた。
「お話し中すみません! リベラートさんが目を覚ましたんで、一応報告したほうがいいかなって!」
ドアの向こうからティオの声がした。どうやら、リベラート様がこのタイミングで目を覚ましたようだ。
私とカイルさんは目を見合わせ頷くと、部屋から出てリベラート様のいる病室へと戻った。
◇ ◇ ◇
「フランカ! 来てくれたのか。それにカイル隊長も……ティオくんまでありがとう」
病室に戻ると、リベラート様は上体を起こし、私を見るなり笑顔を見せた。
何度も見たその笑顔がいつもより眩しく見えるのは、リベラート様が嗅覚を失っていることを知ってしまったからだろうか。
「……リベラート様! よかった。具合は大丈夫ですか?」
それよりも今は、リベラート様が目を覚ましたことに私は安堵していた。
「ああ。みんなが戻ってくるまでの間に医者から軽く診察を受けたけど、特に異常はないって」
「無事に目覚めて安心しました。……びっくりしたんですよ。心配かけさせないでください」
「ごめん。自分が可愛がっていた馬に蹴られて気を失うなんて、情けない話だよな」
そう言って、リベラート様は後頭部をかきながらため息をつくと、がくりと肩を落とした。
「リベラート。そのことなんだが……あれは仕組まれたものだったんだ。成績優秀のお前を妬んだ隊員が、お前の馬に興奮剤を打った」
「……そうか。大人しいあいつが俺を蹴るなんて、おかしいとは思った」
カイルさんは、なにも知らないリベラート様に今回の事件のことを続けて説明しようとした。が、その前にティオがおずおずと手を上げ言う。
「あの、口を挟んで悪いんですけど、これって部外者の俺も聞いて大丈夫な話ですか? あれだったら席外しますけど」
さっきカイルさんが私だけを呼び出したことを気にしているのだろう。
「はは。いいんだ。ティオくんも、そしてもちろんフランカも、聞いてもらって構わない」
「……だったらいいんですけど。一応確認しときたかったんで。すみません。続けてください」
リベラート様が気にも留めていない口ぶりで言うと、ティオはカイルさんに頭をぺこりと下げながら話の続きを促した。カイルさんは一度大きく咳払いをすると、改めて口を開く。
「……あとから聞けば、隊員たちはこんな事態になるとは思わなかったらしい。興奮剤によってにおいがきつくなった馬の異変に、お前なら気づくと思ったそうだ。ただお前の焦った顔を見られればそれでよかったと。……まぁ、どちらにせよ許しがたい行為だ」
「俺の馬は、その後異常はないですか? 俺のせいで変な薬を打たれて……なにか後遺症が残ったりでもしたら」
「大丈夫だ。すっかり興奮状態も醒め、落ち着いたと報告を受けている。それと、今回の事件に関わった隊員は除名処分した。お前は回復次第、騎士団に戻ってもらう――が、その前に確認しておきたいことがある」
馬に問題がないとわかり、安心した表情を浮かべていたリベラート様の顔が少しだけ強張った。
「……俺の嗅覚のことですよね。覚えてます。ぼやけた視界の中で見えた、必死な形相をしていたカイル隊長に自分が言ったことを」
「〝魔獣に嗅覚を奪われた〟。あれは事実なのか?」
この話を初めて聞くティオは、隣でぎょっとした反応をみせた。当たり前だ。魔獣というワードだけでも驚きなのに、その魔獣に嗅覚を奪われたというのだから。空気を壊さないようにか、声を上げなかっただけでもすごい。
「事実ですよ。俺、なんのにおいもわからないんです。今ほのかにこの場に香っているであろう病院特有の消毒液や薬品のにおいも、そこの花瓶に生けてある花の香りも……十三歳の時に魔獣に嗅覚を奪われてから、なにも感じることができない」
「じゃあリベラート様は、十三歳の時に魔獣に会ったということですか?」
「ああ。森の中の洞窟でね。ほら、ストラの王都にある森には魔獣が棲んでいるという噂があったろう? 俺は魔獣を見てみたくて、ずっと洞窟を探していたんだ。ある日奇跡的に見つけることができて、そこでなぜか魔獣を怒らせてしまったみたいでね。代償に嗅覚を奪われたんだ。……信じてもらえないかもしれないけど、全部本当の話だ。だいぶ簡潔に話させてもらったけど」
「……あの噂、マジだったのか」
ティオが片手を口元に当てながら、ぼそっと呟いた。
魔獣が怒って嗅覚を奪った――幻と呼ばれる存在の魔獣なのだから、五感のひとつを奪う能力を持っていてもなにもおかしくはない。魔女だって、ありえない能力を持って私の願いを叶えてくれたし。
「今の話、信じます。だってリベラート様が嘘をつく理由がないじゃないですか。嗅覚がないからこそ、馬の異変にも気づけなくてこうなったのだし……」
この場で話を聞いたほかのふたりも、同じ気持ちなのか私の言葉に頷いた。
「……今まで誰にもこの話はしなかった。魔獣探しだなんて危険な行為を勝手にしたことも、当時の俺はひどく怒られると思ってたしね。それに、嗅覚がないということがバレれば、騎士団への入団は周りが認めてくれないと思ったんだ。……今回みたいなことが起きることを心配して。嗅覚って、案外任務をこなすうえで必要だから」
そのまま話を聞いていると、リベラート様の両親はとても心配性で、幼い頃からとても過保護に育てられていたようだ。騎士団への入団もかなり説得をしたらしい。
カイルさんはリベラート様の両親が入団をあまり快く思っていないことを以前聞いていたようで、敢えて今回彼の両親への連絡はしなかったという。もちろん重症だった場合は即刻連絡を入れたが、医者に大丈夫だと言われたので、私にだけ連絡してきた旨を教えてくれた。
「隊長には本当に感謝です。両親にこのことがバレたら、絶対に強制的に退団させられてたろうな。……ま、ヴァレンティ家の一人息子である俺が大事だっていうのはわかるんだけど。未だに父の仕事を継がせたがってて、騎士団で働く俺を応援してくれないし」
「だが、いつまでも隠し通すわけにはいかないだろう。両親にも、ほかの奴らにも。知ってもらえたほうがお前も楽なんじゃないか?」
「うーん。でも今までバレなかったしなぁ。周りに知られたらいろいろ気を遣われそうだし。嗅覚のせいで今回こんなことになったことを上に知られたら騎士団での昇格も難しくなる……」
カイルさんはなにも言い返さない。気まずそうに口をつぐむカイルさんを見て、リベラート様の言っていることは図星なのだと感じた。
「そのせいで夢が叶わなくなるのは嫌だ。俺は絶対に立派な騎士になって――そして、約束通りフランカと結婚する」
「!」
それでも彼は一歩も引くことなく、私の目をまっすぐ見据えてそう言った。
「それに、こうも思うんだ。もう一度あの魔獣に会えれば、俺の嗅覚は戻ってくるかもしれないって。それまでは……誰にも言わないでほしい」
「……なるほどな。魔獣に奪われた嗅覚は、魔獣によってもとに戻してもらえるということか。その可能性は大いにありえるだろう」
「ですよね隊長! ……実はこれまで何度か試みたんですけど、洞窟を見つけることすらできなくて。でも必ずまた魔獣を探し出してみせます。だから……お願いします。二度とこのようなことがないよう、気をつけますから!」
カイルさんは腕を組んだまま静かに目を閉じると、ゆっくりと深呼吸をして目を開けた。
「わかった。俺もできることがあれば協力しよう。……だが、再度今日と同じようなことが起きれば、当然黙っておくことはできない」
「ありがとうございます。カイル隊長……!」
「私たちも誰にも言いませんから安心してください。ね? ティオ」
「ああ。もちろんだ」
安心したのか、硬かったリベラート様の表情が途端に柔らかくなった。そして、緩んだ顔のままなにかを思い出したかのように口を開いた。
「そういえばフランカ」
「はい。なんでしょう?」
「そろそろ俺のこと本気で好きになってくれた?」
さっきまでとはまったく関係な――くはないのかな? 私との結婚の話をしていたし。いや、だとしても突拍子のない発言に、私は派手に動揺してしまう。
「な、なな、なに言ってるんですか!」
「なにってフランカの気持ちを聞いているだけだよ?」
「場所考えてください! ここには私たち以外の人だっているんですよ!?」
「ふーん。じゃあふたりきりなら答えてくれるんだ?」
「そ、それは……」
はっきりノーと言わない私を見てリベラート様はにやりと笑うと、急にベッドから立ち上がる。
「なにしてるんですか! しばらく安静にしてって言われたんじゃあ……」
私の制止を聞こうともせず、リベラートはスタスタとこちらへ歩み寄り私の手を取った。
「うん。でももう体はピンピンしてるし。ちょっと診療所の周りを散歩しない? もちろん、ふたりで」
「そんなことお医者様が許すわけ……」
「俺がうまく言い訳しておく。三十分で済ませろ」
「カイル隊長! ありがとうございます!」
「お前は一度言い出すときかないからな。……フランカ嬢、悪いが相手してやってくれ」
……カイルさんにそう言われてしまったら断れないじゃない。まぁ、断る理由もこれといってないが。
私は観念して、リベラート様の手を軽く握り返した。
「よし! じゃあ行こうか。時間は限られてるから、一秒も無駄にはできないしね」
「あ、ちょ、ちょっと! そんなに引っ張らないでください!」
私はそのまま物凄い勢いで手を引かれ、病室から出て行くこととなった。
診療所から出る直前に見えたティオが、なんだか複雑そうな顔をしていたのが引っかかる。だけど、リベラート様と診療所の外へ出たころには、今からなにを話せばいいのかばかり考えてしまい、そのことはすっかり気にならなくなっていた。
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