夜会のその後
予想外の出来事の連続のせいで、夜会を楽しむ余裕をすっかりとなくした私は、一足先に屋敷へ帰ることにした。
その前に姉の様子だけ確認しておこうと思い、メイン会場である大広間へと戻るため階段を下りる。すると、下りた先に見知った姿があった。「……ティオ?」
「フランカ! 遅かったな。もう大丈夫なのか?」
私が名前を呼ぶと、壁にもたれ腕を組んでいたティオが顔を上げた。
「ええ。平気よ。ルーナに聞いたわ。心配かけてごめんね。もしかして、私を待っててくれたの?」
「ああ。心配だったのと――お前に聞きたいことがあって」
ティオは壁にもたれるのをやめて、背筋を伸ばしてまっすぐ私の前に立った。
「さっきの男だけど、あいつ誰だ? ……あんなところで、急にフランカにキスして……俺、すげー驚いたんだけど」
「! そ、それは」
どうやら、ティオにはしっかりとあのキス現場を見られていたようだ。
――それもそうか。だって、ティオのところに行こうとした最中にリベラート様がいきなり乱入してきたんだもの。
言葉を詰まらせる私に、畳み掛けるようにティオは言う。
「あの男はお前の婚約者だって言ってたけど本当なのか? 婚約者がいたのか? そんな話、一年間フランカと一緒にいて一度も聞いたことないぞ」
「……うーん。それが、私もびっくりなんだけど……どうやらいたみたいなんだよね」
「なんだよそれ。……意味わかんねー」
ティオの顔を直視できず、私は視線を泳がせる。
誤魔化すような私の返事に、ティオは納得いかないようだ。
「なんにしたって、勝手にキスするような野蛮な男だぞ。ろくな奴じゃないに決まってる」
「ええ。本当に」
ティオの言葉に、うっかり深く頷いてしまった。
「やっぱりフランカもそう感じてたのか!? じゃあどうして婚約なんて……脅されてるのか!?」
「へっ? いや! そんなことはないわ! リベラート様は悪い人じゃないのよ。キスのことも……しっかり叱っておいたし」
「……へぇ。庇うんだな。あいつのこと」
実際脅されているわけではないので、ここは庇っておかないと後にややこしくなりそうと思っただけだ。ティオに変な勘違いをされても困る。
リベラート様とのことをきちんとティオに説明できたらいいのだけど、そうなると、まず魔女との出会いの話からしなくてはならなくなる。
そもそもティオは私に香りがあったこと自体を知らないし、できることなら黙ったままにしておきたい。
せっかく素の状態で仲良くなれた異性の友達だ。ティオのことは大事に思っている。姉のようにモテたかったから、魔女に頼んでモテる体質にしてもらったなんて話したら、引かれてしまうかもしれない。
「で? フランカはこれから大広間に戻るのか? 婚約者なら、さっきでかい男に引っ張られて帰ってったけど」
カイルさんのことか。階段下にいたティオも、カイルさんに強制連行されるリベラート様の姿を目撃したのだろう。
「私はお姉様が無事かを確認して、もう帰ろうと思ってるわ。なんか疲れちゃったし」
「お前の姉様なら、ずっと囲まれてるから近づけないと思うぞ。……凄まじい人気っぷりだな」
僅かに引き気味で、ティオは言った。
やっぱりそうかと思いながら、私は扉を開けこっそりと大広間の様子を覗いてみる。
すると、ティオの言った通り、何人もの令息と令嬢に囲まれた姉の姿が見えた。
――楽しそうに談笑しているし、大丈夫かしら。元々姉は母に似て夜会やお茶会が好きだし。嫌々い続けているわけではないだろう。なんとかして、帰り際に一声かけておけばいいわよね。
そこで姉も一緒に帰るとか言い出したら、大勢の人に恨まれそうだけど。
「とりあえずお姉様は後回しにして、ルーナと少し話して帰ることにするわ。あ、よかったらティオもどう? ルーナは私の親友なの。改めて紹介したいわ。まだ会場にいると思うし」
「ああ……その子なら、さっきフランカが倒れた時にちょっと話したから大丈夫。俺はもう帰るよ」
「そっか。わかった。また魔法省でね。今日はいろいろありがとう」
不機嫌そうにスーツのポケットに手を突っ込むと、ティオは玄関へと歩き出す。
「そうだ。最後に確認したいんだけど――」
すると、ティオは突然足を止めて、私の方へ振り返った。
「フランカが今日夜会に来ようと思ったのは、あの男に会うためだったのか?」
「え?」
「だって普段なら来ないのに、急に来ることを決めただろ」
そういえば夜会の前日、ティオにも〝夜会に来ればいいのに〟って言われたのに、私はそこまで乗り気でなかった。そんな私が夜会に来たことを、ティオは不思議に思ったのかもしれない。
あの男――リベラート様のためかと聞かれたら、実際そうである。まさかこんな展開になるとは微塵も思っていなかったが。
「……そうね。会わなきゃいけない理由があったから」
「やっぱりそうか。……少しでも、自惚れた俺が馬鹿だった。じゃあな」
――自惚れるって、どういう意味だろう?
去りゆくティオの背中を見つめ、私は首を傾げる。
結局、この会話中、ティオにいつもの笑顔が戻ることは一度もなかった。
◇ ◇ ◇
その後、人だかりをかいくぐり姉に声をかけると、姉も私と共に帰ると言い出した。
「ごきげんよう、みなさん」と優雅に挨拶をする姉と隣に立つ私を見送る視線は、笑っているようで笑っていなかった。
みんなの心の声が聞こえる。「余計なことしやがって」と……。ちなみに、ルーナはどこかの令息と楽しそうに話していたので、声をかけるのはやめておいた。
馬車の中で、姉はやけに上機嫌だった。鼻歌を歌い、隙あらば私に笑いかけてくる。よっぽど夜会が楽しかったのだろうか。
そうして屋敷に帰ると――事件は起きた。
「アリーチェ、フランカ、おかえり。夜会は楽しかったか?」
「ええとっても! それよりお父様、お母様、ビッグニュースがあるのよ!」
「あら、なあに?」
姉はすぐさま両親のもとに飛びつくと、屋敷中に響き渡るような声で言う。
「フランカの婚約者に会ってきたの!」
「ちょっ! お姉様、そのことは――」
しまった。姉に口止めしとくのを忘れていた。やはり私が気絶しているあいだに、リベラート様が姉に婚約者だと名乗っていたのか。
姉の爆弾発言に、辺りがざわつき始める。
「ほんのちょっと挨拶しただけだったけど、とてもいいお方だったわ」
「ま、待てアリーチェ。フランカの婚約者って、一体なんの話をしているんだ」
「フランカ、どういうこと!?」
満面の笑みを浮かべる姉とは打って変わって、両親は面食らった顔をして私に詰め寄ってきた。こうなると、もう隠しようがない。
というか、リベラート様が公衆の面前であんなことをしたから、どちらにせよ今までのように隠し続けることなど不可能だっただろう。
「じ、実は――魔法学園の卒業式の日に、とある方から婚約を申し込まれておりまして」
「その人は誰なの!? 名前は!?」
「……リベラート・ヴァレンティ様、です」
迫りくる母の顔から目を逸らし、小声で呟いた。
「リベラートって……ヴァレンティ侯爵家の嫡男じゃないか!」
「どうして黙っていたの!? フランカがそんな目上のお方と仲良くなっていたなんて!」
関わりはなくとも、貴族であれば名家であるヴァレンティの名は聞いたことあるはずだ。両親はすぐにピンときたようで、屋敷内はさらに騒がしくなる。私は学園での話をあまり屋敷でしなかったから、両親が驚くのも無理はないけれど。
「きっとフランカも言うタイミングをずっと窺っていたのよ。それにリベラート様が〝改めて告白をしにきた〟って言っているのを耳にしたし、正式に婚約が決まったのは今日だと思うわ」
姉が私の背後に周り、肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。
「ねっ?」と同意を求められたので、とりあえず私はこくんと頷いておいた。
「ああ! 黙っていたことはもうどうでもいい! それよりよくやったフランカ! ヴァレンティ公爵の嫡男に見初められるとは、さすが我が娘だ!」
「本当に! あなたは私たちの自慢の娘よ!」
こんなにも両親に褒められたのは初めてのことだ。姉が一緒にいるのに、両親は今私のことしか見ていない。
「フランカ様、おめでとうございます!」
居合わせた使用人たちからも拍手喝采を浴びた。香りのない素の私が、屋敷で今いちばん注目されている、初めての瞬間だった。
「おめでとう。フランカ!」
そして姉は、澄み渡った純粋で綺麗な瞳を向け、笑顔で私にそう言った。心から、私のことを祝ってくれていることがわかった。
……立場が逆だったら、どれだけ敵わないとわかっていても、私は少しも姉を妬まなかったろうか? アリーチェ・シレアの辞書に、誰かを妬むという言葉はないのだろう。
その姉の姿を見て、私はやはり、この人には一生勝てないと思った。
◇ ◇ ◇
やっとの思いで自分の部屋に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。今すぐベッドにダイブしたい気分だったが、あることを思い出し一旦我慢する。
私は棚付きドレッサーのいちばん上の引き出しを開けると、中から大量の手紙を取り出した。
全部未開封のこれらはすべて、この一年でリベラート様が私に送ってきてくれた手紙でだ。
――今さらだけど、ちゃんと見といたほうがいいわよね。
今日リベラート様に会って、私はそう思い直したのだ。
初めて封を開け、一通ずつ目を通していく。
内容は「鍛錬が厳しい。でも楽しい」「鬼のように厳しい隊長がいる」「もっと強くなりたい」のような、騎士団での生活内容を知らせるものがほとんどだった。
ほかには「フランカに会いたい」「フランカはなにしてる?」「フランカの写真をくれないか」「一枚でいいから」――などに加えて、鳥肌の立つような甘い言葉がたくさん並べられていた。というか、どれだけ写真をねだってくるんだ。
そして最後には決まって「大好きだよ」の文字があった。
一年間、一度も返事を出さなかったのによくも飽きずにこんなに送ってきたなぁと感心する。
引き出しの中を埋め尽くす量の手紙を見て、私は思った。
――これからは、三通……いや、五通に一度くらいは、返事をしてあげよう、と。
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