雰囲気は大切に
駆け足でバルコニーへ向かうと、手すりに腕を乗せ、すっかり暗くなった空を見上げるリベラート様の姿があった。
「リベラート様」
「……フランカ!」
声をかけると、リベラート様がこちらを向いた。私を呼ぶその声はわかりやすく弾んでいて、なんだかこそばゆいような、むずがゆいような感じだ。
「もう大丈夫なのか!? 急に倒れたからびっくりしたよ」
「平気です。驚かせちゃってごめんなさい」
「いいや。フランカが無事ならそれでいいんだ。それに、さっきはごめん。驚かせたのは俺のほうだ。突然あんなことして……。君に会えたのが嬉しくて、歯止めが効かなかった」
リベラート様は申し訳なさそうに眉を下げ、私に頭を下げた。
私のファーストキスをなんの前触れもなく、しかもあんな大勢の前で奪ったのは簡単には許しがたい。だけど、リベラート様がこの一年間ずっと、本当に私を想い続けてくれていたのだとしたら――。そう思うと、彼を責める気にはなれなかった。
「そ、そうですよ。ああいうのは、人目につく騒がしい場所ですることではないです! もっと、雰囲気ってものがあるでしょう」
そうは言っても簡単に許すのは悔しいので、私はリベラート様に少し怒った風を装って言い返した。
「……雰囲気か。例えば?」
「例えば? え、えーっと、周りに誰もいない静かな場所で、綺麗な月を眺めていたら、お互い自然と目があってそのまま――とか!」
「それって……今みたいな?」
「へっ?」
ちらりと目線を上にやると、バルコニーから憎たらしいほど綺麗な月が見えた。
周りには人の気配はなく、微かに聞こえるのは下の広間の騒ぎ声と、生温い夜風が吹く音だけ。
言った後に気づいた。今置かれている状況がまさしく、自分が言ったことと完全にマッチしていることに。
「もしかして今、俺はフランカに求められてたりする?」
「ち、違います! あくまで例え話ですから!」
「はは。そっか。残念だなぁ。絶好のチャンスだと思ったのに。でも、今度からはちゃんと雰囲気を大事にするよ」
おちゃらけながらも、私がそこまで怒ってないことに安心したのか、リベラート様はホッとしたような表情を見せた。
「……あの、リベラート様って、本気で私のこと好きなんですか?」
さっきルーナにもあれほど言われたのに、まだ完全にそうとは信じきれない。
しつこいと思われる気がしたが、改めて、私はリベラート様の気持ちを確認してみることにした。
「フランカがなにを疑っているのかわからないけど、君の不安が消えるまで俺は何度でも言うよ。――リベラート・ヴァレンティは、フランカ・シレアをこの世の誰よりも愛していると」
「……ほ、本当に?」
「本当さ」
「私のどういうところが?」
「全部」
即答されるものの、返事はあまりに抽象的だ。
「……明日になったら、もう好きじゃないかもしれませんよ」
「だったらまた明日、好きだって伝えるよ」
疑念が残る私を前に、リベラート様は自信たっぷりな顔をしている。
「これでもまだ不安? それともフランカって、案外欲張りさんなのかな。俺からの〝好き〟って言葉がまだ足りないなら、今から時間が許される限り、いくらでも愛を囁くけど」
「結構です」
リベラート様なら本当にやりかねない。歯の浮くような甘ったるいセリフを長時間聞かされていたら、耳がいつの間にか溶けてなくなってしまいそうだ。
「というかさ、そういうフランカは、俺のことを好きでいてくれてる?」
「え? えーっと……」
リベラート様にそう聞かれて、私はなんと返せばいいのかわからず口ごもった。
正直、リベラート様のことをちゃんと恋愛対象として見たことがなかったのだ。これは彼だけでなく、魔女に魔法をかけられてから出会った異性全員にいえる。
私はあの香りのおかげで、〝モテる〟ということを一時でも楽しむことはできた。でも、頭できちんと理解していた。これは、この香りの効果なのだと。
本心で好いてくれているわけではないとわかっていたから、誰のことも恋愛対象として見ることはなかった。当初は恋愛がしたいという願望もあったのに、私はそこに関してはやけに冷静だった気がする。
そのためリベラート様のことも、変に意識しないようにしていた。……今日この夜会で再会し、気持ちを聞くまでは。
今リベラート様のことを好きかと聞かれたら、答えは多分ノーだろう。
ただ、この先好きになる可能性がないとは言い切れない。
現に、こうも簡単に前よりずっとリベラート様のことを意識してしまっている。
恋愛対象として見るのは今日からになってしまうが、このことをどう彼に伝えたらよいのか。
ひとりで悩んでいると、先に口を開いたのはリベラート様だった。
「……すぐに答えが出ないってことは、まだ俺と同じ気持ちではないってことだね」
私の気持ちを察したように、リベラート様は困ったように笑いながらそう言った。
「ご、ごめんなさい。リベラート様は私のことなんて本当は好きじゃないとばかり思っていたから、ちゃんとリベラート様とのことを考えていなくて」
「……悲しいなぁ。ずっと……好きだったのに」
そんな寂しげな顔をされると、なんだかズキンと心が痛む。
「まぁだとしても、ちゃんと条件はクリアしたのだから、フランカは俺と結婚してもらうし、当然婚約を解消する気もないから」
「え」
あんなに切ない表情をしていたのに、態度を一転させリベラート様は言った。まるで当然のことというようにケロッとしている。
「それに、あんなにモテモテだったフランカが、この一年まったく男を寄せ付けなくなったと噂で聞いたよ。それって、俺と婚約したからだよね? つまり、少しは俺の婚約者ってことを意識してくれてたんだろう?」
それは違う。私から寄せ付けなくなったのではなく、向こうがちょうどそのタイミングで寄って来なくなっただけだ。リベラート様は男性が私を取り囲まなくなった理由を、そうやって解釈していたとは。
「え、えーっと――」
「それに……今は違っても、必ず俺を好きにさせるよ」
「……っ!」
私の言葉を遮ってそう言うと、リベラート様はふわりと笑った。
月明かりに照らされたその笑顔を見て、私は思う。
――ああ、なんて綺麗なんだろう。
不覚にも見惚れていると、リベラート様が私の手を取った。両手を胸の高さまで持ち上げられ、ゆっくりと指を絡めとられる。
緊張で動けなくて、私はされるがまま、ひとつひとつの仕草にドキドキすることしかできずにいると、リベラート様は自分の額を私の額にこつんとくっつけた。
鼻と鼻が今にもくっつきそうな距離に、口から心臓が飛び出そうになる。視界いっぱいに広がるリベラート様の端正な顔立ち……目のやり場に困るんですが。
「フランカ……」
「リ、リベラート様――んっ!」
熱っぽい声で名前を呼ばれ、ちらりとリベラート様を見返せば、その瞬間にまた唇を奪われた。
二回目なので、気絶することはなかったものの、やはりまだこの不思議な感覚に慣れることはできず、私は目を瞑って固まることしかできない。
押し除けようにも、ぐっと両手を掴まれているせいでできないし――というかこの男、さっき勝手にキスしたことをまったく反省していない。
「はぁっ。……今度は雰囲気を大事にしてみたよ」
唇を離し、無駄に色気のある吐息を漏らすと、リベラート様は笑顔でそう言った。
雰囲気を大事にしろとは言ったけど、その前にもっと大事なことがある。
それは、相手の同意をきちんと得ることだ。それができずにひとりで先走るリベラート様は――。
「たった今からしばらくキス禁止!」
「えぇ!? それは困るよフランカ! 俺たち婚約者だろう!」
「そんなの知りません!」
「さっきは倒れるし……もしかして、俺って壊滅的にキスの才能がないのか!? こんなにも才能に溢れた人間だというのに……」
「それも知らないです! ていうか、自分で言います? そんなこと」
青ざめて見当違いなことを言うリベラート様を見て、私は盛大にため息をついた。
婚約者だからって、なにをしても許されるわけではない。
それに――本当に愛しているなら、もっと相手の気持ちを考えるはず。やっぱりまだ、リベラート様の気持ちが本物とは信用できない!
私はリベラート様に背を向けて、バルコニーを後にする。リベラート様は慌てながら、そんな私を必死に追いかける。
「リベラート! ……こんなところにいたのか」
大広間に戻ろうとする私の前に、突然険しい顔をした男性が現れた。
その男性はちらりと私を見ると、特に何かを言うこともなく、そのまま素通りして私の後ろにいるリベラート様のもとへ歩いて行く。
「カ、カイル隊長……」
「いつまでいるつもりだ。もう遊びの時間は終わりだ。帰るぞ」
リベラート様に〝隊長〟と呼ばれているということは、彼の所属している隊のトップの人だろうか。
おもわず振り返ってふたりのやりとりを見ると、リベラート様は隊長を前に少し焦った顔をしていた。明らかに、怖い上司にひるむ部下のような感じだ。いつも余裕ぶっているリベラート様があんな反応を見せるなんて、余程怖い人なのか。……たしかに、かなり威厳を放っているけれど。
「まったく、お前はすぐに勝手な行動をして。やはり、私がきちんと見張っておくべきだった」
「す、すみません」
「帰るぞ。しゃきっと歩け!」
そう言って、隊長がリベラート様の背中をバシッと叩く。
「待ってください隊長! あと少しだけ時間をください! 俺、やっと愛する婚約者に会えたんですから」
「婚約者? ……ああ。君がリベラートの」
隊長の鋭い瞳が私を捕らえる。まるで品定めするかのようにじっくりと眺められ、私は蛇に睨まれた蛙状態。
「隊長、フランカをいやらしい目で見ないでもらえますか!?」
「私がいつそういった目をした。お前が毎日毎日うるさいくらい語っていた女性が、どんな人なのか気になっただけだ。……すまない。気を悪くしたか?」
「い、いえ!」
リベラート様に呆れながらも、隊長は私を気遣ったのか謝罪の言葉を口にした。私は胸の前で両手を振りながら、まったく怒っていないことを伝える。
「フランカ、この人はカイル隊長っていって、俺の直属の上司なんだ」
「カイル・ だ。よろしく頼む」
「あ……フランカ・シレアです。こちらこそよろしくお願いします」
挨拶をしながら、改めてカイルさんをまじまじと見つめる。リベラート様よりも背が高く、ガタイもいい。見るからに強そうで、男らしさを感じる。
「婚約者の君には申し訳ないが、我々騎士団はそろそろ夜会をお暇させてもらう。よって、リベラートは連れて行くが、どうか許してほしい」
「あ、どうぞどうぞ。全然問題ありませんので」
「フランカ!?」
むしろさっさと連れて行ってください。
そう言わんばかりに笑顔で即答すると、カイルさんは若干驚いた顔をしていた。リベラート様は私の返答が不満だったのか、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている。
「婚約者の許可も得たことだし、行くぞリベラート」
「そんな、俺はまだフランカと話したいことがっ!」
「お前はあっても、彼女はないみたいだ。しつこい男は嫌われるぞ」
カイルさんはリベラート様の首根っこを掴み、嫌がるリベラート様を引きずりながら早足で歩き出す。
リベラート様は「また手紙を送る」「空いた日は必ず会いにいく」などと叫びながら、なんとも情けない体勢で私の前からフェードアウトしていった。必死なリベラート様がおもしろくて、私はふたりが見えなくなったあと、プッと小さく噴きだしてしまった。
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