一年後

 それから、一年の月日が経った。

 まずは、この一年間の出来事から振り返っていこうと思う。

 姉のアリーチェは、ストラへ帰国し、屋敷へと戻ってきた。

 美しさは歳を重ねるごとに増していき、以前より大人びて凛とした姉の姿を見ると、私までため息が漏れてしまうほどだ。

姉が戻ってきた屋敷は、たしかに私だけの時より遥かに華やかな雰囲気になった。美人な姉を見ているだけで、周りも自然と笑顔になるからか、屋敷は常に笑顔で溢れていた。


 素晴らしい成績を収め学園を卒業した姉は、てっきりどこかへ就職するのかと思っていたが、両親がそれを止めたようだ。

「今までたくさん勉強したのだから、しばらくゆっくり休みなさい」とかなんとか言ったらしい。父も母も、姉と二年間離れて暮らしていたのが寂しかったのだろう。


 それに、姉は働かずとも今すぐにだって結婚し、贅沢三昧ができる立場にあった。

 姉は卒業の際、あらゆる上流階級の貴族の息子や、それにとどまらず隣国の王太子にまで結婚を申し込まれたらしい。……さすがはアリーチェお姉様だ。


 私もある意味同じ状況にあったが、姉は私と違って申し込みを取り下げられていないし、魅了魔法も使っていない。

 姉はまだ結婚相手が決められないようで(なんとも贅沢な悩みだが)、誰ともまだ正式に婚約を結んではいないようだ。今は毎日、実家でのんびりと羽を伸ばしている。

 ……わかる。わかるわお姉様。きっと、二年間ずっと男たちに言い寄られて、すごく疲れたのよね!


 そして私はというと――すっかりと、香りの消えた生活に慣れていた。


 香りがなくなり、誰も私を追いかけて来ないことにも慣れたし、姉と比べられることなんかは、もう十年以上前から慣れっこだ。大人になったからか、昔のように、どうしようもない寂しさが私を襲うこともない。


 ルーナ以外の身近な人たちは、十二歳から十七歳までのあいだだけ、私に〝異常なモテ期が訪れていた〟という風に思っているらしい。メイドたちが一時期噂していた魅了魔法の話は、結局信憑性がないと判断したのだろうか。まぁ、今となってはどっちでもいいけど。


 私は予定通り、卒業後は魔法省で仕事に打ち込んでいる。

 今は仕事がいちばん楽しいと感じていて、なんだかんだ充実した日々を送っている。今日も元気に出勤中だ。


「フランカ、作業が終わったら昼飯食いに行こうぜ!」

「ティオ! もう少しで終わるから、先に下のカフェで待っててくれる?」

「おう!」


 雑務を終わらせ、私は急いでカフェへと向かった。

 カランと軽快な音を鳴らしながら扉を開けば、私を見つけたティオが席から大きく手を振ってくれる。


 ティオは魔法省の同期だ。姉が留学していたラターグの魔法学園の卒業生で、ストラの魔法省で初めて会った。

 私と同じ子爵家の次男で、短めの茶色い髪型がよく似合う、気さくで元気いっぱいな明るい人だ。


 ティオも土魔法の使い手だが、私より魔法の技術が高いし、知識もある。

 働き出した初日に、ティオから私に声をかけてくれたときは驚いた。解呪したのに、男が私に近寄ってくるなんて、と。

 今はもう思わないが、解呪直後の私は、香りを失った私に異性が自ら寄ってくることなんてないと思い込んでいた。

 話しかけてくる人が皆、下心や恋愛感情を持っているわけではないと、冷静に考えれば今ならわかる。でも、そのときの私は長年の香り魔法が解けたばかりで、感覚が麻痺している状態だった。

 ティオは同じ部署に土魔法の使い手が自分のほかに私しかいなかったので、純粋に仲良くなりたいと思って声をかけてくれたらしい。後でそのことを聞いた時は、あまりの自分の自意識過剰さに赤面したものだ。


 今では毎日ランチを共にするくらいの仲で、ティオは私にとって、初めての異性の友人となった。


「そういえば、お前、明日の夜会には行くのか?」


 言いながら、ティオは大きなハンバーガーにかぶりつく。


「あー……招待状届いてたの忘れてた」


 夜会のことなど、すっかりと頭から抜けていた。


 ストラでは王家主催の夜会が、不定期で王宮にて行われている。その際、王都や王都の近くに住む貴族には、大体招待状が送られてくるのだ。

 結構な夜更けまで夜会は続くので、年齢制限が設けられており、十六歳未満は参加できない。あと、学生は基本的に参加が禁止となっている。


「フランカって、いつもああいう場に顔出さないよなぁ」

「うーん。だって、行く必要がないっていうか」

「……実は、なんか嫌な思い出でもあるとか?」


 ティオのなにげない一言に、私の耳がぴくりと反応する。

 嫌な思い出は特にないが、正直積極的に参加しようとは思えない。

だって、以前参加したら、みんな「アリーチェ様を紹介してくれ」って私に言ってくるんだもの。同じ会場に姉もいるのだから、自分でどうにかしろと言ってやりたくなった。そのせいで結局、夜会自体をまったく楽しめなかった。


「フランカ? いや。冗談だからな? ……本当になにかあるんだとしても、別に言わなくていいし! 俺はただ、お前がいたら楽しいのになと思って――」


 食事をする手を止めて俯く私を見て、ティオはフォローするように言う。私は落ち込んでなどいないのに、あまりに焦っているティオがおかしくて、ぷっと噴き出してしまった。


「ふふっ! 別になにもないわ。ただ夜会が苦手なだけよ」


 笑いながら、私はとある人のことをふと思い出していた。……リベラート様だ。


 騎士団に入ったリベラート様とは、卒業してからほとんど会うことがなくなった。

 しかし、私はリベラート様とどうしてももう一度会わなくてはならなかった。婚約を解消するために。

 最初に私が夜会に参加した理由は、リベラート様に会えると思ったからだった。

 国に仕えている立場の騎士団が、王家主催の夜会にいないはずがないと踏んだからだ。だが、私のその計画は失敗に終わった。

 騎士団に入って一年未満の新米団員は、鍛錬を優先すべく、よほどの理由がない限り夜会へは参加できないという決まりがあったのだ。

 その決まりのせいで、私は夜会でリベラート様に会うことは叶わなかった。そのため――私は未だにリベラート様の婚約者のままである。


 私はこのことをルーナ以外誰にも言わずに隠し続けている。だって、姉ではなく私なんかがヴァレンティ公爵家の長男から求婚されたなど周りに知られたら大騒ぎになるだろう。どうせすぐに破棄される婚約なのだから、できるだけ広まらないようにして、静かに終わらせたいと私は考えていた。


 リベラート様からは定期的に手紙が届いているが、私は一度も封すら開けず、返事をしたこともない。ちなみに屋敷の人間には、魔法学園時代の友人からの手紙だと嘘をついている。

 ……さすがに卒業式から一年間、私からなんのアクションも返さなかったことについては、リベラート様におかしいと思われているかもしれないが。

 

 私が次に夜会に参加するとしたら、それはリベラート様がいるとわかった時だろう。

 早く会って、リベラート様の目を覚ましてあげないと。私を想う時間など、彼にとっては無駄なだけなのだから。

 それに私も――リベラート様の〝婚約者〟という肩書から、一刻も早く解放されたい。


「……フランカ? どうした?」

「……あ、ご、ごめん! 考え事しちゃってて。そういえば、私は多分行かないけど、私のお姉様は夜会に行くと思うわ。お姉様、ああいう賑やかな場が好きだから」

「ああ、いつも大広間の男どもの視線をひとりじめにしてるお前のお姉様か。たしかに、めちゃくちゃ美人だよなぁ。……つーか、フランカは結局来ないのかよ。俺にとってはそっちのが重要なんだけど」

「お姉様より私のことを気にするなんて、ティオって変わってるわね」

「あのなぁ……お前、自虐的すぎだろ」


 思ったことをそのまま口にしたら、ティオに呆れた顔をされてしまった。


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