いざ、婚約破棄へ

 仕事を終え、屋敷に戻ると客人が来ていることを知らされた。部屋に行くと、ルーナの姿があった。


 ルーナとは卒業後もよく会っていたが、最近はお互い忙しくなかなかゆっくりと話をする機会がなかった。

 約二ヶ月ぶりのルーナとの再会に、私はテンションが上がる。

 それにしても、ルーナがこうやっていきなり訪問してきたのは初めてだ。なにかあったのだろうか。


「ルーナ。今日は突然どうしたの?」


 私の部屋でお茶を飲みながら尋ねると、ルーナは即答する。


「明日、夜会に行くわよ」

「えっ?」


 私があまり夜会などの賑やかな場を好まないことをルーナは知っているはずなのに、なぜ誘ってくるのか。

 その疑問は、次にルーナが発した言葉によって明らかになった。


「明日の夜会――リベラート様が参加するって聞いたの」

「……リベラート様が!?」


 驚きで、大きな声を上げると共に、勢いでテーブルをバンッ!と叩きながら私は立ち上がった。衝撃でカップが揺れ、中に注がれた紅茶が大きく波打つ。


「騎士団の知り合いに聞いたから、確実な情報よ。入団から一年経って、夜会も解禁みたい。ちょうど今、リベラート様が所属してる隊は王都の近くにいるみたいだし」

「じゃあ明日の夜会に参加すれば、今度こそ確実にリベラート様に会えるってわけね……」

 

 ルーナに騎士団の知り合いがいたなんて初耳だが、なんとも有力な情報を得ることができた。


「教えてくれてありがとうルーナ。私行くわ! 明日の夜会!」

「どういたしまして。フランカがリベラート様に会いたがっていたの知ってたから、すぐに知らせなきゃと思って。久しぶりにフランカと夜会に行けるの、楽しみにしてるわ。ついでに新たな婚約者探しでもしたらいいじゃない」

「新たな婚約者ねぇ……興味がないわ」


 今のところ、両親も私の結婚を急かす気はないようだし。

政略結婚の話があれば、別にそれでもいいやって思うほど、私は結婚というものに夢も憧れも抱いていなかった。


 

「夜会に行くの、久しぶりすぎて少し緊張するけど、ルーナも一緒なら心強いし――ティオもいるなら、案外楽しいかも」

「ティオって、よく話題に出てくる魔法省の同期の人? イケメン?」


 目を輝かせ、ルーナはずいっと身を乗り出す。


「リベラート様ほどじゃないけど、さわやかでかっこいいと思うわ」

「へぇ~! 会うのが楽しみだわ。明日紹介してよね」

「もちろんよ」


 こうして私は、明日、王家主催の夜会へ参加することとなった。


 夜会当日。

 姉と共にドレスに着替え、馬車へと乗り込む。こんな格好をしたのは久しぶりだ。仮にも貴族の娘というのに、最近は魔法の勉強に没頭して、社交の場に顔を出すことを放棄しすぎていた。


「フランカと夜会に行けると思ってなかったから、とても楽しみだわ」


 向かい側に座っている姉がそう言って、私に微笑みかけた。ま、眩しい……! 


「私もお姉様と夜会に行けて嬉しいです。……隣を歩くのが、少々心許ないですけど」


 ドレスアップされた姉の破壊力は、普段の倍だ。

 キラキラ光っているような金髪の髪はアップにまとめられ、さりげない後れ毛は色気を感じさせる。薄ピンクのマーメイドドレスに、それより少し濃い色のチークとリップがよく似合っている。


 文句のつけようがないほど、完璧な美しさ。一体、今日は新たに何人の男が姉に心を奪われるのだろうか。


「何を言ってるの。今日のフランカ、とても素敵よ。さすが私の自慢の妹だわ。すみれ色のドレスがよく似合ってる。髪の毛もいつもよりふわふわしていてかわいいわ」

「きょ、恐縮です……」


 ドレスは侍女に適当に選んでもらっただけだし、髪の毛はうねった毛先を誤魔化すために全体的に巻いてもらっただけである。純粋に褒めてくれている姉に、そんなことは口が裂けても言えないが。


 王宮に到着し、私たち姉妹は大広間へと足を運んだ。

 既にたくさんの人で溢れかえっている。そしてそんな中に〝百年にひとりの佳人〟が現れれば、ざわめきが起こるのは当然のことだ。


 視線が一気にこちらへ集中し、関係ない私まで恥ずかしくなってくる。

 頬を赤らめ、姉に見惚れているのは男だけではない。令嬢たちも、姉に憧れの眼差しを送っている。本当に会場中の視線を、姉が独り占めしている状況だ。

その中には、かつて魔法学園で私を追いかけ回していた男子生徒たちの姿も多数見受けられた。魔法が解けた彼らの瞳は、今は私でなく隣の姉を映している。まぁ、これが当たり前の現実といえるだろう。


「アリーチェお姉様、さすがですわ。いつもこんなに注目を浴びられているのですか?」

「何を言っているのよ。今日はフランカがいるから注目されているのよ」

「あはは。それはありえません」


 引き立て役としては、かなりいい役目を果たしているかもしれないが。

 そんなことを思いながら、俯きがちで姉について行っていると、いつの間にか姉が目の前からいなくなっていた。

周りを見渡せば、大勢の男女に囲まれている姉の姿を発見した。ちょっと目を離した隙にこうなるとは。助けに行こうとも、あまりの人だかりに、輪に入っていくのも困難だ。


 ……とりあえず、私はまずはリベラート様を捜そう。今日はそのために夜会に参加したのだから。

そう思い会場中を歩き回るが、リベラート様は見当たらない。まだ到着していないのだろうか。


 ルーナとティオもいないので、仕方なくひとりで慣れない夜会を過ごすことになった。

 ルーナは早めに向かうと昨日言っていたけれど、今のところ姿が確認できていない。準備に手間取ったのだろうか。


 もう一度きょろきょろと目を凝らし大広間中を探してみると、テーブルに並べられている肉料理にがっついているティオを見つけた。いつもよりかっちりとした格好をしているが、やっていることはいつも通りで自然と笑ってしまう。

 ふとティオが顔を上げ、偶然にも目が合った。私に気づいたティオは手を振りながら、片手に肉料理が乗った皿を持ち、私のほうへと歩いてくる。


「おう! フラン――」

「久しぶり。フランカ」


 私もティオがいる方向へと歩き出したそのときだった。

 ティオが私の名前を呼ぶ。その声をかき消すように、後ろからはっきりと、別の人が私を呼ぶ声が聞こえた


振り返ると、視界に飛び込んできたのは、サラサラの空色の髪。


「あはは。驚いた?」


一年ぶりに見た彼は、変わらずのんきに笑いながらそう言った。


「……リベラート様」


 ――やっと、会えた。

 このセリフだけ見ると、まるで恋い焦がれていたようにも見える。実際は、婚約を解消したいだけだけど。


「フランカ……」


 リベラート様は私の名前を呼び、じっと私を見つめた。

 さっそく気づいただろうか。私から香りが消えていることに。私を見ても、なにも心が動かなくなったことに。

 リベラート様はしばらく無言で私を見続けると、はっとしたように目を見開いてこう言った。


「なんということだ……っ!」


 この反応……目が覚めたに違いない。よし! 清々しく私を振ってください! リベラート様!


「ドレス姿のフランカが綺麗すぎて、女神かなにかかと思ったよ!」

「はい。婚約破棄ですね。かしこまりまし――って、今なんて!?」

「婚約破棄!? フランカ、今なんて言ったんだ!?」

「私が先に質問しているんです!」


 必死な形相で詰め寄ると、リベラート様は「フランカを女神と見間違えたんだよ」と言った。やばい。意味がわからない。

 どうなっているの? 私はもう、男を虜にする香りを発していないというのに。

 リベラート様にかかっていた魅了魔法は、再会により解けたはずなのに。


「それより、さっき聞こえた不穏な言葉はなんだ!? フランカ、婚約破棄って……」

「い、いや、そんなの言いました? 聞き間違えでは?」

「……そうか。久しぶりのフランカに興奮して、幻聴が聞こえていたのかもしれないな」


 私の苦しい言い訳に、リベラート様はあっさりと納得した。そして、ため息をつきながら騎士団に入ってからの日々を話し始めた。


「騎士団に入って一年目は、ほんとに生活が厳しくてさ。全然自由もなくて、夜会はおろか、俺からフランカのところに会いに行くことなんて到底できなかった。唯一繋がりを持てる手紙は、いくら出しても君から返事がこないし……辛い一年だったよ。でも今こうしてまたフランカに会った途端、辛かったことが一気に吹っ飛んだ。やっぱり、フランカはすごいな」


 そう言って、リベラート様は私に微笑みかけた。

 手紙のことを言われると、気まずさと申し訳ない気持ちが込み上げてきた。読んでいないなんて事実、絶対に言えない。というか、リベラート様はいつまで私の魅了魔法にかかっているの? 

 

「それに……元気そうでよかった」


 安心したような笑みを浮かべ、リベラート様は私の頭を優しく撫でた。

 一年ぶりに見るリベラート様は、少し体が逞しくなっていた。でも、この笑顔と手のぬくもりは、あの頃となにも変わっていない。


 ――って違う! 思い出に浸っている場合じゃない!


「はい。この通り私は元気です。毎日、楽しくやっています。手紙の件は……ごめんなさい。文章を書くのが苦手で、返事ができませんでした。……で、リベラート様にひとつ聞きたいことがあるのですが」

「ああ。ひとつといわず、いくらでも聞いてくれて構わないよ」

「一年前と今の私、明らかに変わったと思うことはありませんか? 例えば――香りとか」


 意を決して、わかりやすく、ピンポイントで聞いてみる。

 リベラート様は私に近づくと、至近距離でじぃっと顔を見つめてきた。近い近い近い! 

 しかし、これだけ近寄れば、私から独特な香りが消えていることに確実に気付いただろう。


「香りがどうかした? 俺にはフランカの言ってることがよくわからないけど、ひとつ確信したことがある」


 リベラート様はそう言って、にこりと笑うと私の頬に手を伸ばした。


「フランカは、やっぱり世界でいちばんかわいいな」

「――っ!?」


 か、かわ、かわいい!?

 想定外の連続で、私の頭はパニックになる。おまけに不意打ちに褒められて、顔が猛烈に熱くなってきた。

 予想では、卒業式でほかの男子生徒たちに婚約破棄されたように、リベラート様にもそうされると思っていた。

 今、リベラート様は何て言った? 世界一かわいい? 私が? 百年の佳人といわれる姉をさしおいて?

 リベラート様が私を好きだったのは、私が魔女に香り魔法をかけられていたから。私と婚約を交わしたのも、リベラート様にとって本望ではない――のよね?


「フランカ、俺も君に会えたら、ずっと言いたいことがあったんだ」

「……なんでしょう」

「フランカが言った〝条件〟のこと。覚えてる?」


 もちろん覚えている。

私はリベラート様に結婚を申し込まれたとき、こう言った。


『次に会った時にまだ、リベラート様が私のことを好きだったら――その時は望み通り将来結婚でもなんでもします。でもそうじゃなければ、その時点で婚約は解消ということで』



 ――言ったことを思い出しながら、私はなんだか嫌な予感がした。


「俺は変わらず、君が好きだ。大好きだ。だから約束通り、将来は俺と結婚してくれるよね?」


 リベラート様が……今も私を好き?

 そんなのはおかしい。解呪は成功している。現に、以前私に好意があった人は誰ひとり、もう私を好きではない。

 それなのに、どうしてリベラート様だけ!? 絶句して、返す言葉が見つからない。

 真っ直ぐな瞳は、とても嘘をついてるようには思えない。


「あ、あの、えっと」

「ふっ。顔真っ赤だよ。かわいいな、俺の婚約者は」


 動揺する私なんかお構いなしで、リベラート様の細長い指が、するりと私の右頬を滑っていく。


「……フランカ、君に会いたくて死にそうだったよ」


 耳元でそう囁かれたかと思うと、リベラート様に腕を引き寄せられ、気づけば彼の腕の中にすっぽりと収められていた。

 熱い眼差しを向けられ、気づいた時には、唇に柔らかい感触が――。


「……っ!?!?」

 

 その瞬間、頭の中がキャパオーバーになったのか、はたまた初めてのキスの刺激が強すぎたのか――私はそのまま卒倒し、意識を手放した。


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